発達障害の正体は依存症③ — 症状の考え方について

 発達障害は依存症と言ったが、それは発生機序や障害のとらえかたの話である。症状の性質について考える時は、「アルコールの酔い覚め」を参考にするとわかりやすい。

 発達障害の症状は「お酒に酔ったまま活動した場合に起きてしまうこと」に相当する。と言っても、お酒に酔っていない状態で症状が出ているわけだ。

 これは「シラフの意識」と「酔っぱらった脳」を組み合わた状態で生きている人をイメージすればよい。

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 お酒を飲んで酔うと、体が火照ったり、顔が赤くなったり、すぐに感情が昂ぶったり、気持ち悪くなったり、妙に眠くなったりと、いろんな症状が出る。よくある酔いのサインである。

 でも特に混乱はないだろう。お酒を飲んでアルコールに酔ったという経緯がわかっているからである。

 これが、お酒を飲んでいないのに脳が酔っぱらって、しかも意識はシラフのまま、言動や思考に影響を与えているとすれば?

 そのまま活動したらどうなるだろうか。

 ちょっと想像してから続きを読んでほしい。

 仕事をすれば、恐らくその人はケアレスミスをしまくるだろう。手元の様子を注意しながらやっているはずなのに結果が安定しなくなる。

 人の話を聞いているつもりでも、部分的に聞こえなかったり、ちゃんと耳に入らない(頭に残らない)ことが多いはずだ。昨今、発達障害界隈でも話題になるHSP(Highly Sensitive Person)とも絡めて考えてみたい。

 記憶も曖昧になり、ついさっき見たこと、聞いたこと、やったことが短時間でわからなくなる。頭の中ではなかったことになっている。

 人と喋ればなんでもないところで笑ったり、急に不機嫌になったり泣いたりするかもしれない。思ったことがすぐ口から出てしまい、人を怒らせたり傷つけることが多発する。これはお酒の上戸(じょうご)をイメージするとスケールが掴みやすい。笑い上戸、怒り上戸、泣き上戸など、いろいろ出る人もいれば、どれか一種に特化した人もいる。

 疲れやすくなるので勉強や運動は自ずと疎かになる。簡単なことからやって、覚えて、習得して、次の難易度に進むというステップアップが生涯を通して全くできない。

 部屋の掃除や健康管理といった日常のメンテもほとんどできなくなる。汚いものが察知できず、細部の違いがわからず同じに見える。

 一つのことに固執し、周りが見えなくなる。気分がハイになったりローになったりする。行動の原動力が体力ではなく、依存症なので本気でやる気になってもすぐに飽きる。常識やTPOにそぐわない言動を平気でしてしまう。これだけ整合性がとれていないのに、時間が経つと我に返ったかのように猛反する。

 二度とするまい、次からは気を付けると、心が傷だらけになるほどその誓いを何度も刻む。

 そして、またすぐに繰り返す。

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 これらの症状は、私の考察では「言葉」を要因とした依存症であり、遺伝か環境要因で抱えた症状だが、本人の「能力不足」、あるいは誰の責任でもない「障害」として判断するのが現代社会の解答例である。

 努力してなんとか克服しようとしても、この社会で生きている限りなにをするにも言葉を使う。叱られる時も、注意を受ける時も、反省する時も、努力する時も、なにをするにも言葉を使う。アルコール依存症患者が依存症を克服する為に更に酒を飲んでいるようなものだ。

 これが「発達障害は努力すると悪化する」と語り継がれる理由である。

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 私たちは常識的判断として、酔っぱらった状態における思考や言動を、その人の主人格とは扱わない。仮に酔っぱらって暴れてなにかを壊したり人を傷つけたりしても、むろん責任は問われるが、「あれがお前の本性だ」なんて判断はしない。

 酔っぱらった状態の人のことは、同じ人間として扱わない。それが社会通念に沿った距離感なのだ。

 しかし、社会はこれを「個性」として、社会の一員として受け入れる道をとった。

 その先にあるものはなにか、行く末は決まっている。
 緩やかな国の自殺だ。国民が一人また一人と自殺するのだ。

 依存症は必ず最後には死にたくなる。脳とは、それが決して遠ざけられないものと知った時、死を選択しようとするものなのだ。


発達障害の正体は依存症② — 改善方法と生活様式について

 発達障害を依存症ととらえることにより、当事者の状態や症状の性質、発症機序だけではなく、改善方法も考えやすくなる。これも依存症からの回復方法を参考にすればよい。

 まずなによりも依存要因との関係を断つことが要である。アルコール依存なら酒をやめること、ニコチン依存なら煙草を吸わないこと、ギャンブル依存ならギャンブルをしないこと。

 発達障害の場合は「言葉」が依存要因なので、「脳が言葉を使わないようにすること」が回復の条件となる。言葉を話さないようにし、聞かないようにし、聞こえてこないようにし、読まないように、見えないようにし、思考でも使わないようにする。とにかく言葉や文章、文字を遠ざける。

 これを達成すれば衝動性と麻痺は鎮静化する。が、期間は最低でも一ヶ月程度は必要だと考える。

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 次は依存症に陥っていたせいで習得機会が得られなかった基本能力を獲得する。普通の人が日常の営みの中で習得してきたことであり、相応の訓練が必要である。

 脳にちょうど良い感覚のピントを教え、叩き込み、矯正後は意識しなくてもピントがずれないまま機能する状態が望ましい。

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 それとほぼ同時進行となるが、労働に従事して発達障害特有の困難が起きないことを確認する必要がある。検証精度を上げる為にもできればクローズ就労が望ましい。

 ケアレスミスが頻発しない、コミュニケーションでトラブルが起きないなど、当事者特有の境遇に陥ることがないまま働ければ良い。

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 ここまでできたとしても、また衝動性と麻痺が強まらないように生活する必要がある。その為にも、言葉の使用量を抑えた生活様式を送ることが要である。この社会で生きている限り言葉と関わらずに生きることは不可能だから、「使用量を減らす」という方針になる。

・テレビやネットの利用時間を少なくする(テレビはみなくていい)
・家族との会話は程々にする(一人暮らし推奨)
・食事は和食系で中毒性の低い料理を基本とする(ジャンクフード等は控える)
・酒や煙草には手を出さない。ギャンブルやゲームなどは適度にする。(脳の依存的働きを煽らない)
・仕事は言葉よりも体の動作で進める職種にする(オフィス業務は非推奨)
・規則正しい生活を心がける(不規則な生活は依存症を誘引する)

 などなど、できることはいくらでもある。

 アルコールの摂取量を気にするように、一日に使用する総文字数を管理するつもりでよい。
 私はそうしている。

 最も重要なことは休息と睡眠である。言葉や音が聞こえてこない静かな空間で、意識から言葉が抜けていく時間をつくること。「言葉を抜く」という部分だけならジョギングなどの運動も効果大である。

 この「意識から言葉を抜く休息と睡眠」ができていなければ、あらゆる工夫は徒労に終わる。

 発達障害者に休息と睡眠の重要性を指南する媒体はいくらでもあるが、この「意識から言葉を抜く」という点を強調している媒体はまだ見たことがない。それだけ発達障害が言語化されておらず、回復域に達したケースも少ないということだ。

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 これが発達障害を治す方法であり、治せない理由である。

 しくみさえわかってしまえば「風邪を治す」と同じ感覚で考えることができる。風邪を治した、と言っても二度とかからないわけではない。条件を満たせばまたかかってしまう、それが風邪である。

 発達障害症状も同じなのだ。改善させることは可能だし、予防や対策を怠ればまた同様の症状を抱えてしまう。

 しかし、ほとんどの人にとっては最初の「言葉を遠ざける」ことが無理難題だろう。
 発達障害を治すとは、一般的な社会人の営みを放棄することに等しいのだ。


発達障害の正体は依存症① — 衝動性と麻痺、遺伝について

 私は長年の考察の末、発達障害の正体は依存症の類であると結論付けた。
 依存症といえば、アルコール依存なら酒、ニコチン依存ならタバコ、ギャンブル依存ならギャンブルが要因となる。

 では発達障害の依存要因とはなにか?

 それは「言葉」だと指摘する。言葉を読む、見る、話す、聞く、聞こえる、思考で使う等々、脳が〝言葉を使う〟毎に症状は悪化すると考える。

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 ギャンブル依存症と「金銭感覚の麻痺」がセットになるように、依存症の症状は「衝動性」と「麻痺」の両面からとらえられる。

 依存症と聞くと、その当事者の表面にあらわれる衝動性、「なにかがやめられない様子」ばかりにフォーカスされるが、それは麻痺の観点を見落としているからだ。普段はできる動作や選択ができなくなっている特徴にも注目するべきである。

 発達障害も同様に、症状とされる特徴を衝動性と麻痺に分けて考えられる。例えば当事者の特徴としてよく挙げられる「関心の偏り」は、依存症の衝動性としてあつかわれる「なにかがやめられない様子」そのものであり、普段は機能している「他への関心や注意」が麻痺しているという見方ができる。

 ケアレスミスや奇異なコミュニケーション、習得力の低さも依存症の「麻痺」としてあつかうことで、症状の輪郭が見えてくる。

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 発達障害を依存症として扱うことにより、その発症機序に遺伝の可能性や出生後の環境を積極的に取り入れることができる。

 遺伝により依存症状特有の衝動性の強まりやすさを引き継いだ状態で生まれてきた、あるいは幼少期からその依存症状が常態として定着してしまう環境で育った。その境遇が解消されないまま歳月を重ねて活動したことにより、様々な能力の獲得機会を失いながら、今日も脳の衝動性と麻痺に振り回される人生を送っている。

 それが現代の発達障害者であると私は考える。

 対して、俗に言う普通の人、定型発達とは、それらの境遇に陥らないまま活動できている人のことだと考えられる。

 

 

 すなわち、人間の人格意識とは、依存症状の産物なのである。これを発達障害考察の基礎として私は提唱する。



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