発達障害は依存症と言ったが、それは発生機序や障害のとらえかたの話である。症状の性質について考える時は、「アルコールの酔い覚め」を参考にするとわかりやすい。
発達障害の症状は「お酒に酔ったまま活動した場合に起きてしまうこと」に相当する。と言っても、お酒に酔っていない状態で症状が出ているわけだ。
これは「シラフの意識」と「酔っぱらった脳」を組み合わた状態で生きている人をイメージすればよい。
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お酒を飲んで酔うと、体が火照ったり、顔が赤くなったり、すぐに感情が昂ぶったり、気持ち悪くなったり、妙に眠くなったりと、いろんな症状が出る。よくある酔いのサインである。
でも特に混乱はないだろう。お酒を飲んでアルコールに酔ったという経緯がわかっているからである。
これが、お酒を飲んでいないのに脳が酔っぱらって、しかも意識はシラフのまま、言動や思考に影響を与えているとすれば?
そのまま活動したらどうなるだろうか。
ちょっと想像してから続きを読んでほしい。
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仕事をすれば、恐らくその人はケアレスミスをしまくるだろう。手元の様子を注意しながらやっているはずなのに結果が安定しなくなる。
人の話を聞いているつもりでも、部分的に聞こえなかったり、ちゃんと耳に入らない(頭に残らない)ことが多いはずだ。昨今、発達障害界隈でも話題になるHSP(Highly Sensitive Person)とも絡めて考えてみたい。
記憶も曖昧になり、ついさっき見たこと、聞いたこと、やったことが短時間でわからなくなる。頭の中ではなかったことになっている。
人と喋ればなんでもないところで笑ったり、急に不機嫌になったり泣いたりするかもしれない。思ったことがすぐ口から出てしまい、人を怒らせたり傷つけることが多発する。これはお酒の上戸(じょうご)をイメージするとスケールが掴みやすい。笑い上戸、怒り上戸、泣き上戸など、いろいろ出る人もいれば、どれか一種に特化した人もいる。
疲れやすくなるので勉強や運動は自ずと疎かになる。簡単なことからやって、覚えて、習得して、次の難易度に進むというステップアップが生涯を通して全くできない。
部屋の掃除や健康管理といった日常のメンテもほとんどできなくなる。汚いものが察知できず、細部の違いがわからず同じに見える。
一つのことに固執し、周りが見えなくなる。気分がハイになったりローになったりする。行動の原動力が体力ではなく、依存症なので本気でやる気になってもすぐに飽きる。常識やTPOにそぐわない言動を平気でしてしまう。これだけ整合性がとれていないのに、時間が経つと我に返ったかのように猛反する。
二度とするまい、次からは気を付けると、心が傷だらけになるほどその誓いを何度も刻む。
そして、またすぐに繰り返す。
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これらの症状は、私の考察では「言葉」を要因とした依存症であり、遺伝か環境要因で抱えた症状だが、本人の「能力不足」、あるいは誰の責任でもない「障害」として判断するのが現代社会の解答例である。
努力してなんとか克服しようとしても、この社会で生きている限りなにをするにも言葉を使う。叱られる時も、注意を受ける時も、反省する時も、努力する時も、なにをするにも言葉を使う。アルコール依存症患者が依存症を克服する為に更に酒を飲んでいるようなものだ。
これが「発達障害は努力すると悪化する」と語り継がれる理由である。
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私たちは常識的判断として、酔っぱらった状態における思考や言動を、その人の主人格とは扱わない。仮に酔っぱらって暴れてなにかを壊したり人を傷つけたりしても、むろん責任は問われるが、「あれがお前の本性だ」なんて判断はしない。
酔っぱらった状態の人のことは、同じ人間として扱わない。それが社会通念に沿った距離感なのだ。
しかし、社会はこれを「個性」として、社会の一員として受け入れる道をとった。
その先にあるものはなにか、行く末は決まっている。
緩やかな国の自殺だ。国民が一人また一人と自殺するのだ。
依存症は必ず最後には死にたくなる。脳とは、それが決して遠ざけられないものと知った時、死を選択しようとするものなのだ。