依存症状態に陥った人格意識を回復域にする為には、なんとかして言葉を遠ざける必要がある。
この言葉社会においてそれは大変難しいから、「遠ざけている時間を多くつくる」が現実的な選択となる。例えばジョギングなどのスポーツ、瞑想や睡眠がそれにあたる。
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「言葉を遠ざける」とは「今の自分を基準にしないこと」と同義である。そのスタンスから言って、昨今、発達障害でも話題になったライフハックは「症状を悪化する要因」になると指摘せざるを得ない。
発達障害ライフハックの問題点
私の改善法が問題の根から断ち意識する必要すらなくなるものであるのに対し、ライフハックとは症状によって発生する日常の「困り事1」に対して「ハック1以上」で対処することを常としている。
症状を改善して困り事自体を無くすわけではなく、「困り事との共生」が基本方針であり、引き算ではなく足し算だといえる。
ハックという情報要素を否応無しに多数習得することになる為、言葉の使用量は増え、それ自体が脳のリソースを消費し、心因的な負担も増加するはずである。
困り事が解消される=楽になる、という認識がそもそも間違いだ。困り事に対する悩みも解消に伴って得られる喜びも、意識上では別物だろうが、脳にとってはどちらもストレスでしかないのである。
人生や生活の質(QOL, Quality of Life)も下がってしまう。私が放浪旅をきっかけに得た改善法のような、「通常の社会人生活の営みの中では得られない知恵」なら広く伝わる価値があるだろう。対してライフハックとして挙げられる術はどれも「そのシチュエーションに立てば数多に浮かぶ発想の1つ」に過ぎないものだ。そういう水準のものは、自分で気がついたり家族や友人との交友の中で見つけていくことが望ましい。日常の質を維持する根拠になるのだから、それこそがQOLの向上だろう。
しかし、ライフハックはその貴重な体験を、出版社やライター、ネットのインフルエンサーに奪われてしまうのだ。
流行と話題により発生した熱が効果の程度を実際よりも大きく思わせていることも問題視したい「ライフハックが良いと思える理由」から「ネット交流の楽しさ」や「ビジネスとの相性」が切り離されていないと指摘する。
これを積極的に取り入れる理由が見当たらない。少なくとも、ライフハックがただただ増えていくばかりのグループに参加している人はすぐに抜けるべきである。
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類似する懸念として「傾聴」の性質にも触れておきたい。傾聴とは、相手の話を心を傾けて熱心に聞くことである。医療や福祉などの現場では勿論、教育やビジネスの場、家族・友人、他人の話を聞く時も、相手との信頼関係を築く上で重要な心構えとなる。
しかし、これも人格化した依存症状を定着させる効果を生む。いわば傾聴とは「聞く洗脳」なのである。当事者がお世話になる医療や福祉の場や、発達障害の当事者コミュニティも同様の懸念を内包すると指摘できる。
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ライフハックのことは良き文化の到来だと思いたかったが、その願いは虚しくも叶わなかった。
余談だが、ずっと前に解離性障害(多重人格のこと)を抱えた人からお話を聞く機会があった。
お医者さまからの助言の1つに、「症状(別人格)が出ている時のことを話題にしない」というものがあるそうだ。
その理由を聞く機会がなかったのだが、私は自分の考察を通してその答えを知ることができたと思っている。