発達障害考察の現在地と今後の展望

 年も明け、生活がまた大きく変わる区切りも近いので、ここらで発達障害考察の現在地と今後の展望を整理しておきます。

 

現在地

 私が長年の発達障害考察を通して主張したことは、『発達障害とは〝言葉の依存症状〟であり、人間の人格とは、それ自体が依存症状の産物である』ということです。

 この捉え方を基準にすることにより、発達障害の機序から症状の改善、再発防止、後遺症の対策まで、さまざまな課題に対してアプローチを組み立てることができるようになります。
 発達障害のことを「発達障害」のまま向き合うといろんなことがわからないままとなりますが、蓄積された医療知見が豊富にある「依存症」に見立てることで扱いやすくできるわけです。

 当然、この主張をするには発達障害を依存症として扱うに足る論拠が必要となります。ですので、発達障害考察本と外伝1〜4、5、6でお話しした考察と、主要症状の改善法とエピソードをその論拠として発信を続けてきたわけです。

 私は発達障害を改善したと主張しているスタンスですが、手探りの努力の中で、知らないうちに依存症の改善アプローチをなぞっていました。つまり先に改善があり、その改善の要因を突き止めていった末に発達障害依存症説ができたわけです。

 長らく、医学の標準回答との突き合わせができていなかったのですが、『Newton 2024年11月号』の発達障害特集はその点で役に立ってくれました。私の考察における解説は非医療者の経験的療法をもとにした考察だったこともあり、医学知識に準拠した内容とはいえなかったのですが、内容自体は医学的知見に置き換えられるものだったのです。

 あくまでも自論ですが、発達障害を依存症に置き換えることは可能なので、個人レベルでは有用性のあるアプローチといえますし、社会的には「依存症として扱うべきか否か?」という段階にしても良いと考えています。壁になるのは人権や倫理的問題です。

 ここまでの内容は以下のリンク先から確認できます。

 

今後の展望

 私の発達障害考察は、一個人レベルでは十分なところまでやったと自負しています。やり終えていないことといえば、

  • 自論を論文にすること
  • 発達障害改善デバイスを完成させること

 この二点なのですが、余生の中でできれば挑戦したいと思っています。

 それはそれとして、現時点でもできることはあります。
 自論を元に発達障害の境遇や改善法はほぼ言語化したわけですが、人類の人格そのものを依存症に見立てた上での、現代社会の実態はまだ十分に言語化できてないわけです。

 今後はその辺を含めた発信をしていこうかな、と思案しています。

 例えば、ネチネチタイプのパワハラ上司がネチネチで与える精神的影響を依存症視点で言語化できます。

 社員がケアレスミスを頻発しているとします。望ましい改善策は、ミスをしてしまう脳の状態から、ミスをしない脳の状態への移行です。これは今の人格から別の人格へ移行することですので、今の自分の使用をいち早くやめることが何よりも重要です。しかし言葉の使用や、人の声を認識することは現在の自分を否応なしに使用し、より定着させてしまうので、ミスをしない自分からの移行を阻害してしまう要因になるわけです。その中でも特にネチネチタイプは最も悪化要因になる存在の1つであり、社員に対しての加害行為であり、会社に損害を与えているに等しいわけです。会社の対策としては、その社員と、ミスが多い、改善しなければならない、まで認識・共有できていればよく、それ以上の言葉は不要であり、悪化の要因になると認識しなければいけません。

 これも発達障害依存症説が理解できていれば、順当に考えるだけでわかることです。現在の精神疾患者が爆増している社会問題を改善させる上でも、どこかで向き合う必要がある事実なのです。

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