発達障害考察本外伝5 放浪旅の話の補完

 本ページは『発達障害考察本外伝5: 発達障害を克服する為に放浪旅した時の日記』の補完です。

 本書は2008年、発達障害を克服する為に決行した、放浪旅中に綴った日記を原文のママ収録した書籍ですが、本文中には語る機会のなかったエピソードが多々あります。
 本記事をお読みいただければ、当時の状況や心境をより詳しく、正確にお楽しみいただけます。気になる方はぜひぜひお読みください。特に自分も旅をして日記を書こうと思っている人はぜひお読みください。私みたいに日記に書く内容のことで、失敗してほしくないので(笑)

 本記事はあくまでも、日記本編をお読みいただいた読者さま向けの内容となっておりますので、そこんところよろしくです。


全体に関する補完

 はじめに、日別の補完ではなく、全体に関することからお話しします。
 クリックしてお読みください。

日記っぽくない理由

 本作は日記でありながら、「読んだ人が放浪旅をしている気分になれるように!」という気持ちを込めて、当時の私が冒険小説風を意識して書きました。ですけど、この放浪旅日記を書くまでの私の執筆歴に商業的な執筆経験はありません。
 まず、18歳~19歳の頃から自己認知力の向上の為に、5~6年間ほど毎日欠かさず日記を書いていました。「もし自分の考え方がおかしかったら誰かに指摘してほしい」という気持ちが背景にあったので、書いていた場所はネットのホームページやブログ上でした。その日記の取り組みには、「思ったことや考えたこと、起きたことを全て記す」という自分で決めたルールがあり、書き終わるのが深夜になることもありました。その日記の執筆ルールは放浪旅日記にも継承していました。
 ゲームの攻略サイトをつくって、不特定多数向けにレビューや攻略記事を書いていたこともありました。ゲーム雑誌の編集者になりたいと思っていた時期で、自分なりには真面目に取り組んでいましたが、あくまでも趣味レベルです。ライター歴と呼べるものではありません。
 小説も書いたことはなかったです。それ以前に、当時の私は学校の教科書含め、活字主体の文章を読むことが苦手だったこともあり、小説というものをろくに読まずに生きてきました。最後まで読めた小説で覚えているのは、谷川流さんの『涼宮ハルヒシリーズ』や、乙一さんの『GOTH』です。ちなみに、漫画は読めました。1000冊ほど保有していた時期があるくらいには漫画好きでした。
 このように、本作は物書きとそれだけの関わりしかなかった私が、いきなり実録小説を書くことに挑戦して書き上げた作品というわけです。これが、小説風の気取った文章をベースに、地の文と会話文に、漫画的な台詞が混合した奇妙な文章になっていた理由です。

発達障害のことにあまり触れていない理由

 本作はサブタイトルに「発達障害克服」とあり、前著の中でも放浪旅は「発達障害を改善する為の旅」という風にお話ししました。しかし日記本編では、旅の目的は「もっと良い仕事ができるようになりたい」「人の情報が得たい」と書いていました。発達障害を克服したいという大きな願望を持ちながら、その点についてあまり触れなかったことには理由があります。
 放浪旅を決行した2008年当時は発達障害の認知度が今ほど広まっておらず、この障害知識がこの先の社会の中でどう扱われるようになるのか、全く見当がつきませんでした。万一、発達障害の認知度が高まらなかったり、そもそもそんなものなかった的なことになってしまった場合、自分の日記の内容が発達障害に関した記述ばかりだと、無価値なものになってしまうことを懸念して、あまり触れなかったのです。
 そこで、「もっと良い仕事ができる人になりたい」という目的は都合がいいものでした。その目的は旅の中で「人の情報を得ること」という形に昇華しました。
 アパートを引き払ってから放浪旅に出るまでの4ヶ月間、私は雇われ店長夫妻となった両親のお店でアルバイトをしていた時のことです。ホールスタッフなどの雑用をしたり、パソコンを用いてお店で使う販促物を作ったりです。そのパソコン作業ではメニュー作成もしたのですが、自分なりに満足いくものがなかなか作れませんでした。最終的に納得いくものができたのですが、その体験を通して私は「発達障害が改善できても仕事ができなきゃ意味がない」と思うようになり、「発達障害の克服」という目的を内包する形で、「もっと良い仕事ができる人になりたい」という意識を最前面に置くようになりました。
 ですから、私の旅の目的は「発達障害を克服して、いい仕事ができる人になりたい。その為にはもっと人の情報を得ること」という、一つの形で繋がっているわけです。

当時の知能レベルについて

 放浪旅を決行した時の年齢は25歳でした。下記の画像は24歳の時に受けたWAIS-R(ウェクスラー成人知能検査)の結果です。グラフの読み取り方についてですが、健常的な人ならどの数値も10前後になるそうです。私の場合、単語と知識、絵画完成が落ち込んでいます。

言語性検査
 知識 4 数唱 13 単語 6 算数 10 理解 8 類似 13
動作性検査
 絵画完成 7 絵画配列 9 積木模様 13 組合せ 13 符号 11
結果
 言語性IQ=94 動作性IQ=105 TotalIQ=98

(グラフ下部の説明)
 全体的な知能水準は、平均レベルです。また、言語性IQと動作性IQの間に有意差を認めます。言語性検査では動作性検査に比べ、全体的な能力の低下と顕著なばらつきが認められます。特に<知識><単語>での落ち込みが見られます。そのため、抽象的推理能力や思考の柔軟性があるものの、自分の理解していることを相手にうまく伝えることが苦手であると推測されます。
 動作性検査では、知覚からの情報をすばやく処理する能力が高いものの、視覚的な記憶という面での落ち込みが認められます。また<絵画配列>は高く、状況の適切を把握に把握する能力は備えているといえます。

 当時の社会性は『発達障害考察本外伝2: ストーカー脳を自力で改善した話』をお読みいただければよくわかります。

誤字について(覚え違い・存在しない字)

 日記本文中には誤字脱字を含め正しくない記述が多々あります。特に多いのが「頃」と「項」、「一旦」と「一担」、埼玉の「埼」と「崎」あたりですね。字の形が全く思い出せない場合は辞書を引いたのですが、何度も使うのに間違え続けている漢字は、自分の自信が勝り調べずに書いた字です。
 辞書は一日目の赤池駅に向かう前の本屋で道すがら購入した新品の本なので、古すぎる辞書だったとかそういうことはないと思います。それ以前に、私の漢字習得率が低すぎたことが要因です。
 そもそも存在しない字については、「たしかこんな字だった、でも違ったかもしれない」などと迷いながら書いていました。
 曖昧な時ってほんの数秒時間を使って調べれば済むんですが、普段からその発想に至れないほど疲労困憊、満身創痍でした。当時は自分がそういうコンディションに陥っていた自覚はありませんでしたね。

東京を目指した理由

 なんで東京に向かったのか。私は放浪旅は通して、行く先々で新鮮な体験や出会いがあることを期待していました。その脳への新しい刺激が症状の改善に通ずるという持論からの仮説を信じてました。ですので、基本的には都市部を経由しながら移動していく流れで考えていて、旅のはじめ頃はどうせなら日本一周しよう、とまで思ってました。
 これに加えて、当時、いじめ掲示板での交流を通して親しくなったメル友(元妻)も関東の方に住んでいると直感でわかっていたので、旅の道中に会えればいいなぁと思っていました。
 ですので、とりあえず東京だったわけです。

靴(ジャングルブーツ)について

 旅中に履いていたジャングルブーツが足に合わなくて、かなり痛い思いをしながら歩いていたのですが、本編中では特に触れませんでした。具体的には、ブーツの右足の親指にあたる部分が歩くたびに、靴の内側に向かってV字型に折れる癖がついてしまい、歩くたびにV字の尖った部分に親指の第一関節が圧迫されました。そのコンディションのまま一日中歩いていたのです。
 本文中に何度か触れた水ぶくれの件なのですが、最終的には膿んでグチョグチョになり、第一関節部分の肉がえぐれたようになりました。そのうち履き慣れる、と思い続けて靴を履き替えることもせず、靴の中敷きを変えたり足しただけです。一時は中敷きを3枚ほど重ねて入れて歩いていました。
 この靴擦れが治ったのはゲストハウス生活に切り替わってからです。
 これだけ酷い状態になったにもかかわらず日記上で書かなかったのは、毎日他の出来事のほうが印象に残ったせいです。意識して書かないと決めたわけではありません。


日別の補完

4月12日(土) 出発


旅のスタート地点

 旅のスタート地点は、厳密には実家のある三重県の桑名市になるのですが、万一にも家族や知り合いに見られたくなかったので、桑名市からみて東京の方角にあって、すぐに行ける都市である名古屋駅をスタート地点に決めました。ただ、名古屋も一度住んでいた時期があったせいか気が乗らず、結局、〝名古屋から普通列車で行ける範囲で最も東京側にある駅〟をスタート地点にすることにしました。と言っても、地図を開いて正確に決めたわけではなく、券売機付近の路線図を見て最も右隅にあった駅を選んだだけです。それが赤池駅だったわけです。

伏見に寄っている理由
 赤池駅に行く前に伏見に寄っているのは、ここにある『伏見オリオン座』という映画館の無料鑑賞券を持っていたからです。どうせ今日から時間に縛られないんだし、勿体ないから旅に出る前に使ってしまおうと思って映画館の前まで行ったのですが、特に見たい映画がなかったのでやめました。

地図
 当時はまだ携帯電話が主流の時代で、スマートフォンのような詳細な情報をいつでも得られるわけではありませんでした。ですので地図と辞書を買ったわけですが、この時に買った地図は「白紙地図」という、自分で書き込んでいくタイプのものでした。放浪旅に相応しいと思ってこれに決めたのですが、この選択のせいで非常に困ることになりました。地図を見ても何も書かれていないので、今自分が向いている方向はおろか、現在地すらわからないわけですw ちなみに地図を見るなんて、この時まで一度もしたことがありませんでした。「大丈夫、自分なら地図をみて現在位置を把握して進路を決めることくらいできる」と頭の中で自分に言い聞かせながらやっていました。

日用語時点
 これも地図を買った理由と同じです。日記はノートにペンで綴るため、パソコンの変換的な機能を頼る術がありませんでした。小学校低学年程度の国語力しかなかったので、漢字を書く時はほぼ調べながら書くことになりました。

コメダ喫茶を利用した理由
 日記を書く場所にコメダ喫茶を選んだ理由は特にありません。そろそろ日記を書きたいなぁと思った時に、たまたま近くにあったお店だったからです。あと日記には書いてないのですがコメダに着く前の道中、4月26日から泊めてもらう都内在住の友達に携帯から電話をして、そっちに寄った時は泊めてほしいとお願いしています。

携帯端末のPSP
 この放浪旅は2008年4月に決行したわけですが、この頃はまだ日本にスマートフォンは普及しておらず、私が所持していた携帯端末もガラケーでした。ガラケーのブラウザ機能では開けるページに限界があったので、PSPを持っていくことにしたのです。今では駅やコンビニなど、わりとどこでもWi-Fiに繋げたりしますが、(記憶違いでなければ)当時はマクドナルドのフリースポットくらいしかわかりやすいところはなかったと思います。ちなみに私の持っていたガラケーはVodafone「905SH」でした。iPhone3Gの日本発売日は2008年7月です。「もっててよかったPSP」は当時ネットで流行ったスラングでした。「◯◯◯の皆さん、ごめんなさい」もどこかで流行った言葉です。

水筒に天然水
 水筒に天然水とか入れたいって書いていますが、自分の放浪旅は時々、大自然の湧き水を爽やかに浴びたり飲んだりしながら歩き旅をしているイメージだったからです(笑)そんな体験、一度もありませんでしたね。

持って行かなかった寝袋
 この旅の為に寝袋を購入していたのすが、丸めて収納した状態でもかなり大きさになりました。リュックには入りましたが、かわりに他のものが入らなくなったし、樽型だったのでリュックの上に乗せることもできなかったので、やむなく装備品から外したのです。

食費が1日ひゃくえん(笑)
 1日100円で食事がなんとかなると思っていたことについては、実家が飲食店なので、茶碗一杯のご飯の原価が大体いくらなのかを知っていましたから、「頑張れば100円で一食分くらいなんとかなる。自分は一食でも大丈夫だし」などと本気で思っていたわけです。むろん、100円で十分な食料が入手できるルートや方法を知っていたわけではありません。
 もともと、放浪旅前の一人暮らし生活の時は一日ほぼ一食だったことも背景にあるのですが、貧乏暮らしだった母からの体験遺伝のせいもあるだろうと思います。ネグレクトレベルの設定でも、これでなんとかなると思ってしまうわけです。

読者体験を優先
 漫画喫茶ルポへ辿り着く前の道中、私はしんしんと泣きながら歩いていました。生まれて初めて、自分の意思で生きている実感が得られたからです。でも「小説というものはストーリーが進むにつれて盛り上がるもの」という思い込みがあり、『一日目の内容から感情の温度が高いことを書きたくない』という理由で、そういう感情面には触れませんでした。

4/13「尻が気になる」


寝れなかった
 元々慢性的な不眠症(未診断)で、一日〜二日眠れないことがざらにあったのです。この時も歩き通してへとへとだったのに一睡もできず、1時間くらい横になったあと入眠を諦めて調べ物をしました。

隣の部屋の女
 マンガ喫茶で夜を明かしたのは人生でこれが初めでした。「隣の部屋の女」と書いていますが、これは覗いたわけではなく、部屋の前に女性用の靴があり、仕切りの下からストッキングを履いた足がはみ出していて、女性の声のいびきが聞こえたからです。

ウォシュレット
 コンビニのウォシュレットは、書き間違いで、コンビニではなくマンガ喫茶にあったものです。

食べる物を詳細に書いた理由
 食べ物の栄養についてやけに細かく書いていたのは、食生活を改善したい気持ちが強かったからです。実家はフランス料理店でしたが、調理を覚える機会がなかった為、一人暮らしの食生活はインスタント食品ばかりでした。あと洋食多めの食事で育ったせいか、舌が味の濃いものしか受け付けなくなり、食事はコンビニ弁当orスパゲティor焼きそばorラーメンorカレーのどれかでした。
 もう一つ。「自分の好奇心に沿って勉強することが、最も習得しやすいという考えを立証したい」という気持ちも背景にありました。学校の授業や親から強要される勉強ではなにも学習できなかったことから、〝社会へ反発する気持ち〟を込めて書いていました。

左は失敗
 日記上ではここに記念スタンプを2つ並べて押していました。

本当の理由
 「本当の理由を、目的を話す所じゃない」とはその通りの意味で、ここは旅の目的を話す場面ではないと再確認しつつ、自分に言い聞かせたその時の気持ちを綴ったのです。この頃はまだ、思っただけのことが口から出てしまう癖と慎重に向き合っていました。
 特定の場面で言葉が出せなくなる場面緘黙症という症状がありますが、発達障害にはそれの逆バージョンみたいな症状があるので、注意が必要なんです。 文章がぜんぶ話し言葉
 当時は一人称スタイルの文章しか書けませんでした。

温泉の利用料金
 お寺の温泉の利用料金を無料だと思い込んでいたわけですが、少なくともどこかで教わった知識ではありません。お寺を利用するのにお金がかかる理由が思いつかなかったので、勝手に無料だと思い込んだわけです。

温泉
 のぼせて気を失いそうになるまで、と書いていますが、気持ち良すぎて本当に意識を失って倒れかけました。最高の温泉でした。

服装
 「無駄に厚い服」と書いた通り、結構な厚着でした。上はTシャツに秋物のダッフルコート。フード付きで、ボタンが金色の金具っぽいフックで、ちょっと厨二病っぽい。下はただのジーパン。当時の自分が一番かっこいいと思う服装をしていました。体温調整が苦手で、鈍感で、季節やその日の気温に合わせて服装を変えるという感覚がなく、漫画の主人公みたいにいつも同じ服です。
 今の生活では妻の指導と安定した収入のおかげで人並みの服を揃えています。ファッションセンスは子供の頃から酷く、中学生になった頃から特に悩んだことの1つです。

日記が途中で終わっている
 翌日の日記をお読みいただければわかるのですが、想定外のことや、いろんな気持ちがたくさん溢れて、言葉がまとまらなかったのです。

4/14(月)雨~晴『足りないものはイメージ』


日記の文章量

 ビジネスホテルで風呂入ってから一気に書き上げた日記です。ただでさえポケット辞書を片手に書いているのに、前日の内容を含めたこの長文。爆走するように書きましたが、かなり時間がかかりました。

尻のあせも
 ホテルではシャワーを浴びている時にケツ毛を全部引き抜きました。ケツ毛が肛門付近の皮膚の荒れたところにチクチク攻撃をしてきたからです。

飽き
 実はこの3日目にはもう、旅に対する「飽き」を感じていました。一日中外を歩くことで陥る状況が大体想像できちゃったからです。その気持ちがぶわっと強まったのが、車の排気ガスのせいで黒くなった腕を見た時です。「この後はもう基本、同じ日常の繰り返しで、たまにイレギュラーなことがある。それだけだろうなぁ」と想像できちゃったんです。そのせいか、「こんなこと無理してやり続ける意味あるのかな?」とか、そんな気持ちが強くなりました。そういう気持ちは「歩け!」と自分に言い聞かせて気にしないようにしました。この心境については、強く意識して日記には書かないと決めたわけではありませんが、執筆中に書く書かないを検討することもなく、最後まで触れることはありませんでした。無意識に読者体験を優先したんだと思います。

~とは言ってなかった。つまり~ではない
 温泉への道を聞いた後の『お兄さんは徒歩じゃ無理みたいな事は言ってなかったから、辿り着けない距離じゃないんだろうけど』という記述に関して詳しく書きます。この時は、徒歩では無理なのに、徒歩で行こうとしてる人から行き方を聞かれたら、普通その情報も加えるはず、つまりそれがなかったということは〝歩いていけない距離じゃない〟と考えていいはずだ、という推測の整理が頭の中で働いていました。非定型タイプはコミュニケーションの苦労の末、逆にその練度が上がっていきます。ただ、〝阿吽の呼吸〟や〝アイコンタクト〟といった非言語コミュニケーションに慣れていくのではなく、お芝居的なコミュニケーションならなんとかできるようになるだけです。仕事をすれば、自己判断で勝手にやってしまう上に、期待通りの結果はだせないし、よくわからないことをしてしまう。そんな悪い癖を克服した後は、なんでも聞かないと動けない、自分で考えて動けない人に仕上がります。そんな自分を克服しようという気持ちが背景にありました。

発達障害系
 薬師寺に向かう途中に会った人たちを「発達障害」系と書きました。言動の様子からなんらかのハンディを感じ取れたからです。でもダウン症のような外見的特徴はなかったので、健常者と障害者の中間をイメージして「発達障害」と書きました。2008年、まだまだ発達障害の無認知時代でした。

一日100円の食費は今の自分には無理
 ここで目標の見直しをしています。発達障害者はいきなり達成不可能な目標を立ててしまうため、注意が必要です。この時はまだ一日100円を最終目標にしたまま、達成する方法の見直しをした感じですね。

お寺と神社の違い
 日記のこととは関係ないけど、私はお寺と神社の区別がいまだにつきません。

放浪旅を「仕事」と言ったことについて
 お寺の人に放浪旅のことを「仕事」と答えたのは、この旅は自分の人生の為にしなくちゃいけないことだから、それを言いあらわす言葉が「仕事」以外に思いつかなかったからです。

叶えたい事は叶えられている
 「叶えたい・叶える」は当時の私の考え方のコンパスでした。なにを考えていても思考が散ってまとまらないので「いま、自分が将来、叶えたいことに着手できているかどうか」を意識して、最初の目的から脱線していないかどうかを確認していたのです。この意識の保ち方は私の日常でもありました。

中に入れてくれなかった?
 中には入れてくれなかったと書いていますが、中に入れてほしいと言って断られたわけではありません。そもそも建物内に「入る・入らない」の会話をした覚えがなく、もし書くとしたら「中に入る? とは言われなかったなぁ」と書くべきです。なんでこんな記述したのか謎です。

ビジネスホテルを探す
 ビジネスホテルに固執しているように見えますが、当時の私はカプセルホテルやスーパー銭湯の存在を知識としては知っていたけど、この時は失念していたのです。だから「安く一泊できるところ=ビジネスホテル」という発想だけで考えていたわけです。

少しだけ涙が出た
 自分のような人間は、社会人としてではなく、ホームレスのような生活でしか生きられないんじゃないかと思っていました。この放浪旅を通してその生き方を擬似的に体験できるのではないか、ホームレスの人たちの気持ちがわかるのではないか、と思っていました。でも、私がどれだけ本気になっても、その気になれば実家という帰るところがある自分には、その体験すらできないことに気づいて、悲しくなったのです。

イメージ力
 「イメージ力」と書いていますが、ようは先のことや、今の状況を正しく認識する能力のことです。特に病識の乏しい発達障害者は、このへんがクルクルパーなので全然ダメですw

アニメや漫画の台詞
 「もっとたくさん感動しなくちゃ」はたぶんなにかのアニメのセリフです。「バカヤロー」もそうです。
 アーアーアー、恥ずかしい。

4月15日(火)晴「太平洋だ」


「おおっ!」

小学生の時に家族旅行で一度だけ海に行ったことがあります。海にいったのはそれっきりだったので、この放浪旅は人生二度目の海だったわけです。そりゃ声も出ます。

日記の文章について
 スミマセン~の下りとか特にそうなんですが、書いてる時の感覚はまんまブログ日記でした。当時の自分の文章力の精一杯とはいえ、痛々しい。

浜名湖に沿って色んなところにある道の駅(笑)
 この時、道の駅という存在を初めて知った私は、道の駅のことを浜名湖の周辺にあるサービスエリアだと思ってしまったのです。

まとめについて
 この日から日記の最後に項目を分けてその日のまとめ的なことを書くようにしました。ルートと残金はメモ代わりでしたが、「課題」の項目は結構重要でした。お金の使い方のことも含めて毎日失敗と反省の連続で、それが多すぎてもうなにを意識していいのかわからなくなってきたので、一つに絞ることにしたんです。そうすれば考え易くなる→身につきやすくなるだろう、という思案でした。

4月16日(水)晴「イメージが固まってきた」


海に消える家族
 この旅中は、異様な出来事に遭遇するだろうという予感があったので、〝まさか一家心中?〟と考えて海に向かって歩いていく母子を追いかけたわけです。何の為の旅だよ!っていうのは、自分はこの旅を通して発達障害を克服して、人の感情が人並みにわかる人になりたい的なことを思ってたことが背景にあります。2008年当時はまだ発達障害の特徴について公的な情報がまとまっていなかったこともあり、個人レベルでの極端な捉え方による言語化が今以上に中心だったのです。

漫画の台詞
 『私はそれが知りたいんだ』なんてかっこつけた台詞を書いてますけど、これも漫画で見た台詞です。たまに使っている〝理解る〟ってのも漫画で見た言葉の使い方です。自分の言葉で書きたいという気持ちは強かったのですが、当時の自分はこういう表現の仕方しかできず、漫画の台詞を使わなければなにも書けない自分を情けない……と思っていました。脳がその漫画の台詞を使うことでその一文が完成することに固執していて、それ以上の文章模索をしようとしないのです。でもそれが自分の限界であることを真正面に受け入れていたので、日記を書くことを辛いとは思いませんでした。

吸い込まれそうになった感覚
 たぶんトロクスラー効果だと思います。一点を集中して見ていると周りにあるものが見えなくなる現象です。

サングラス
 ここでサングラスを紛失していますが、この頃の私はほんっとよく物を無くしました。家の中で行方不明になったり外出時に落としたり。貴重品を無くしたことはないんですが、無くなるものは決まって替えがきかないものばかり。例えば、放浪旅の前に一人暮らしをしていたころ、中古で買ったDVD映画を家に帰るまでに袋ごと紛失したことがありました。家に着く前に立ち寄ったところを探しましたが見つからず、そのうち、自分が買った記憶は妄想なんじゃないかと疑心暗鬼になりました。

海のシャワーがつかえない
 宿泊と風呂がセットだったり、シーズン中しかシャワーが使えないとかは知らなくても仕方ないと思うのですが、私はこの旅を通して自分の現実離れした思考や社会性を矯正したいと思っていたので、こういう体験は大歓迎でした。そのたびにショックで死にたくなりましたが。 

タクシーを利用した理由
 駅にいたのに、宿を求めてうろうろしながら最終的にはタクシーに乗りました。今なら考えられない判断なのですが、当時の私は、電車に乗って移動するという交通手段に不慣れだったのです。私は中学生になるまで電車というものには家族旅行が学校行事で乗っただけで、それも両手で数えられる回数だけでした。中学生の間は友達と遊びに行く時に乗ることがありましたが、切符の買い方などは毎回友達に教えてもらいました。それでも、路線や切符、ホームなど、それぞれの関係性はよく知らないままでした。どのボタンを押せばいいかといった場所とパターンで覚えていただけです。だから、高校は県外だったので毎日電車に乗ってましたが、定期券で毎日決まったルートを行き来していただけで、電車という交通機関の仕組みを理解していたわけではありません。知らない駅でおりた時、「この定期じゃ(この改札は)通れないよ」と駅員さんに注意されたこともあるんですが、なんで呼び止められたのかわかりませんでした。定期の区間内の駅だったから、お金は払っていることになっているはず、というロジックです(笑)高校中退後の生活でも、〝家から自転車で行ける範囲で完結させる行動パターン〟に特に変化はなく、やはり電車に乗るのは特別な時に限っていました。なのでこの時も、電車に乗って行こうという選択肢に至らなかったのです。タクシーの運転手さんも「電車で行ったほうが安いよ?」と言ってくれたのですが、その助言を断って乗せてもらいました。常識を知らなすぎると定型的な判断できず、こういう時に無駄な金を使うわけです。この後も電車を利用した場合の運賃を調べるといったこともしてません。「どれくらい損したのかな?」とか普通考えるところだと思うんですが、「タクシー高い!」って思っていただけです。それだけ電車というものがイレギュラーな乗り物だったわけです。

カインズホーム
 カインズホームのことをデパートと書いていますが、当時はどういうお店なのかを知りませんでした。ホームセンターですよね。まぁ当時はホームセンターという言葉もよく知らなかったんですが。

旅は1年間
 1年間とした理由はとくにないです。単にキリが良いからです。

7月の中頃に東京到着
 この頃は名古屋から東京まで、歩きメインだと3ヵ月くらいかかると思っていました。たまに携帯電話でサポートしてくれる友人が自転車で旅好きだったので、徒歩移動の場合に想定される期間を参考にしました。

野鳥観察用合羽
 装備品にある野鳥観察用の雨合羽は、この放浪旅の為に買ったものの1つです。なぜ普通の雨合羽ではなく野鳥観察用なのか? それは濃い緑色のポンチョタイプの見た目が、いかにも放浪の旅人っぽくてカッコよかったからです。つまり野鳥観察は関係無し。なんにもこだわらなければ1000円以下で買えたでしょうね。たしか18,000円くらいだったのですが、Amazonで即買いしたのを覚えています。この頃はまだ、一度ほしいと思ってしまうとそれだけで頭が一杯になることがありました。特に服装など身に着けるものに関してはあまりお金を使ってこなかったこともあり、上手な買い物ができませんでした。

海沿いを歩くのだから気軽に使える
 海沿いのほとんどは砂浜だと思っていました。

明らかにしていく 明かしていく
 当時は「もしかしたら途中で野たれ死んで、誰かがこの日記を拾って読むかもしれない」というケースも想定しながら書いていたので、新しい情報を書く時はいちいち「このタイミングで明かしていいのか」とか考えながら書いていました。と、当時は俯瞰して考えているつもりでしたが、これはただのメンヘラ思考の可能性が高いです。重要な情報を隠し持っていて、それを明かす展開はメンヘラの妄想あるあるですからね。

状況の整理
 この日も状況や考えていることのまとめをしています。旅に出る前の日常ても似たことはしていました。常にこうしないと脈絡のない判断をしてしまい、積み重ねがある営みが送れないからです。

4月17日(木)雨「少年」


全日本道路地図を買う
 日本白地図帳は自分で書き込んでつくっていくタイプの楽しい地図ですが、主要建物や神社仏閣がほんのちょこっと書かれているだけで、私の旅の事情には相性が悪すぎでした。旅はとりあえず東京に向かうと決めていただけで、基本は放浪でどこに行くかは気分次第。だからいつどこにいても現在地が特定できるよう、全日本版を買うべきだと判断しました。しかしこれも良い選択ではありませんでした。恐らく長距離ドライブ用だったのでしょう。1.18kgの地図は持ち運ぶにはめちゃくちゃ重かったのです。

春の夜
 寝床は公園内のテニスコートにあった屋根付きベンチでした。ミイラのように手を胸の上に当てて寝たと思います。冷蔵室の中にいるような寒さでした。この時に「春でも夜は寒い」ということを学びました。

眠れない
 歩き疲れてくたくたなのにとにかく眠れません。精神病んでいるとこんなもんです。

旅の目的
 この日にようやく旅の目的を明かしています。書いてる時は、「ようやく書く時が来たか……」と感情が昂りました。一人で盛り上がりすぎてるように思われるかもしれませんが、この頃の自分は癇癪持ちのようにすぐ感情が高ぶってしまう人格でした。だから日常生活では常時感情を押さえ込む意識を保ち続けていたわけですが、放浪旅中はその縛りから開放されているので、「どんどんオープンにして、自分の正体を再認識しよう」と考えていました。自分の可能性を追求する為にやるべきだと思えましたし、自分のおかしなところを確認する為でもありました。メンヘラとして意識と、それをなんとかして掌握しようとしている意識が共存してる感じです。

テントの重さ
 テントは後に調べたところ、重量3.1kgでした。地図と寝袋と合わせて、この3つだけで5kgは確実。つまり荷物の総重量は10kg近くはあったことになります。背負うとかなりズシリときて、これで歩けるのか? と思ったものですが、体も鍛えるつもりでノシノシと歩きました。

収入を得る方法の考え方
 収入を得る方法について考えている記述は、頭の中の様子をそのまんま描写するつもりで書きました。この頃の私の考え方はこのように妄想的であり断定的であり、これ以外にないと思い込むように考えてしまう人でした。

現実的には難しい
 考えるまでもなくわかりそうなことですが、「現実的に考える」という点では、この時にやっとピントが合い始めた実感がありました。

温泉料金
 (男性)っていうのは温泉の料金のことです。この日は男性のみ300円でした。

歩いた距離
 『正直大した距離は歩いてないと思うんだけど』と書いていますが、いやいや、結構歩いてますよね。お店の人が驚くのも無理はありません。歩き旅、というだけでも驚かれます。それはわかっていました。でも自分にとっては〝できること・可能なこと〟なわけです。当時の私はこのような、「両方成立するが、相反する回答」と向き合った時、意識の焦点が定まらなくなり、平常心が不安定になることがありました。これはなぜかというと、基本的に私は普通の人の振りをしているつもりだからです。しかし放浪旅という非日常にいれば、自分がどれだけ普通のつもりでも、周囲はそう思わないでしょう。この、自分の行動に対する周囲の印象を理解するだけの想像力はあるのに、意識がそれについていかないということが度々あり、その困惑がこの記述にあらわれているわけです。

気に入ったフレーズ
 『聞こえた様な気がした』は、なんだか小説らしい言い方だなぁとこの時に気に入ってしまったのです。

置き去りにされた少年
 この日は置き去りにされた少年に遭遇しました。やっぱりこういう特殊なイベントが起きるのか、と、自分の人生の特異性を再認識しました。
 少年は小学4年生とは思えないほど小さな子で、痩せ細っているようにみえてしまいました。ちゃんとご飯食べてるのかな? って疑っちゃうほどです。眉間の怪我の詳細はわかりませんが、なにか堅いものがぶつかってできた怪我のように見えました。自分の不注意なのか殴られたのかはわかりません。いずれにせよ、平均からずれた悲惨な家庭模様が容易に想像できてしまいました。この少年は涙をぬぐった後は、ずっとうつむいていました。この状況に対する小学4年生の反応としてみると、違和感を覚えました。少年にとって親からのせっかんは日常的であると感じました。コミュニケーションというより、ただ一方的に捲くし立てられ、親の言うとおりに受け答えしても余計に叱られるばかり。そういう境遇の子はそれを回避する為、押し黙るようになってしまいます。だからこの少年の日常は、日々の記憶を回想するだけで精一杯なのでは、とも思えました。
 親は自分の子が途中で事故にあって死んでしまってもいいと思っているのか、もしくはそういう想像がもてない親なのか。自分の親は馬鹿だけどこんなことはしなかったなぁ、と思いました。

始まったか
 「始まったか」とは、今までの自分の人生があり得なさすぎることから、この放浪旅も何事もなく終わるわけがないという確信があったから思えたことです。

中間辺りの駅?
 本書の制作にあたって読み返してて気が付いたのですが、『どうやらここは私が目指した「たかつか駅」と「浜松駅」の中間辺りの駅らしい』は間違いです。『中間辺りにあるパチンコ店』って書きたかったんだと思います。

パチンコ店でのヒッチハイク
 パチンコ店の換金所前でヒッチハイクをした時、実は私は不愉快になっていました。まず最初に声をかけた中年夫婦の時、旦那さんと思われる中年男性に拒否されたのですが、その断り方が私の方も見ずに「嫌だね!」という強い口調だったからです。ヒッチハイクを断られることに不満はありませんが、乱暴な態度を向けられたことに、当時の私は社会悪に直面した時のような怒りを覚えたのです。その後、スーツ姿の若い男性が車に乗せてくれたのですが、この男性に対しても私は若干の不快感を抱いてしまいました。車内では雑談の中で放浪旅をする理由を聞かれたのですが、それがあまりに他人事の声のトーンだったからです。
 当時の私の考え方は、「正と悪」や「光と影」は表裏一体の性質を有するように、社会格差に対しても同様の観点を持って考えることが普通だと思っていました。つまり、「自分が普通に生きられているなら、自分の目に触れないどこかで、誰かを普通ではない境遇に追いやっている」という観点が持てるはずであり、スーツを着て会社で働いているくらい普通に生きている社会人なら、社会との向き合い方としてこれはわかっているはずで、放浪旅なんかをしている人に対しては、なんらかの生きづらさを抱えているとか、自分探しをしているといった予想が立つと同時に、「この社会では、そういう境遇の人が、どこかで今の自分の生活を維持する役目を負わされている」という観点も浮かぶだろうから、「それがわかっていれば他人事のような声のトーンで聞けるわけがない=つまりこの人はそういう社会の人間同士の関係性をさっぱりわかっていない」といった感じの思考の遷移を経て、私の頭の中で、自分を車で送ってくれた相手のことが嫌な人になってしまったのです。
 もしかしたら私は、そういう気持ちを隠し切れていなかったのかもしれません。車内では会話をせず無言の時間も長かったです。
 あと、当時の私はこの心境を書き記すことに積極的になれませんでした。これだけのことを思いながらも、このような心境が当時の自分にとっては特別なものではなかったからです。ここは当時の私の障害特有の感情や境遇が関わってくると思うので、放浪旅を読み返す度に書けばよかったと後悔するのですが、あの頃の私が書いても上手く書けなかったと思います。

4月18日(金)大雨雷「道の駅掛川」


コンビニが目印
 度々コンビニに立ち寄ったことを書いていますが、コンビニが最もわかりやすい目印だからです。コンビニの場所さえわかっていれば現在位置把握には困りませんでした。

雨の中を歩くのは危険
 ここでも現実的な判断ができていますね。一度、頭に気分がセットされるとその通りに行動するしかない脳だったので、こういう判断は一つ一つが重要でした。

動く歩道
 最初聞いた時なんの事だかよくわかりませんでした。立ったまま乗る人間用のベルトコンベアです。

ヴィレッジヴァンガードを利用する理由
 前日に引き続きまたヴィレッジヴァンガードで買い物をしています。通称ヴィレヴァン。全国に店舗がある書籍雑貨屋さんですね。旅の資金を節約しなければならないのに、それでもヴィレヴァンで買い物をした理由を説明します。私はお小遣いが少なかったこともあり、どの店に何が売っているのかという生活知識が乏しい人でした。中学生でも月1500円くらいでした。その中でもヴィレヴァンは中学生のころ友達に連れて行ってもらって大好きになったお店で、近くに寄った際は買いもしないのによく店に入ってぶらぶらしていました。ですから、「なんでも売っているお店」という知識に関して、私の中でヴィレヴァンはかなり上位にあり、なにか必要になった際に行くお店がヴィレヴァンだったというわけです。

おにぎりを食べる描写
 食感とか味とか、他にもっと書くことあるだろって思いません? 日常の中でも捉えている情報がいかに少ないか、ということがここにあらわれているわけです。あの店のラーメン美味しかった!と話す癖に、何系?と聞かれても何も答えられない感じですw

「え? ……母さんが?」
 っていう言い回しも、ドラマかなにかで見たフレーズですね。

身辺整理
 自分の郵便物の扱いについて身辺整理と書いていますが、これはアパートから実家に戻るにあたって、住所など登録情報の変更をちゃんと終わらせてあるということを言っています。日記上でもそう書けばよかったのですが、ここは当時の私の悪い癖でボカして書いてしまいました。ネットにリアルのことを書き込む時は、身バレしないようにフェイクを混ぜたりボカしたりすることがあると思うんですが、ここではその癖が出てしまったということです。あと、日記の執筆時間を短縮する為にも、短い言葉で言い表す文法を意識していたので、「とりあえずこれでいっか!」と思いながら書いた部分でもあります。

ヒューマンネットワーク構築(笑)
 『ヒューマンネットワーク構築』という怪しい単語について説明します。旅に出る前、雇われ店長となった父母の店でアルバイトをしたわけですが、その間、私は父に仕事の役割の違いについて何度も話をしました。店主でありコックである父、調理補佐からなんでもやる母、自分を含めホールスタッフ及び雑用のアルバイト、みんなそれぞれ役割が違います。しかし父はそこがわかっていませんでした。父は根からの信者脳であり、啓発ビジネス本を水を飲むように読む人でした。だからなにを話していても、なにかの本で読んだ知恵をウキウキしながら「答えを教えたろか?」「ええから聞きなさい」などと唐突に言い出して、自分の言葉で周囲が学んで話が進展するように、会話の工作をしたがる人でした。それはもう日常会話ができないレベルでした。他人の言葉からの説明にも全く聞く耳を持てない人だったので、私は一目で理解してもらう方法を考え、意識してほしいことを図を表して話をしました。これをヒューマンなんちゃらという横文字で命名したのは、当時はまだ一般家庭のパソコンが特別な存在だったことが関係しています。デジタルに疎い人でも「これからパソコンとネットは社会をもっと変えていく」という風潮が感じ取れました。その空気の影響か、なんとなくですが、なにかとデジタル用語っぽく表現してみたくなることがあったんです。日記上では、その父との件は読者体験を優先して詳しくは書かず、適当な単語で言い表しておこうと考えました。それで「ネットワーク構築」という用語に、人間関係のことをくっつけて『ヒューマンネットワーク』という単語で表現したわけです。まぁ、今の自分ならしない表現法です。恥ずかしいし、怪しいビジネスっぽい。

注意状態
 「注意状態が要注意になった」っていうのは、判断の基準や行動を更新する為に、自分の脳に対して状況の変化を意識づける必要があり、その心境を書いた部分です。こうしないと「あっそうかー」と思うだけで同じ行動を繰り返すからです。

4月19日曇りのち雨「鴉」


鴉(からす)
 『鴉』というタイトルは、自転車で横浜を目指す彼を想って決めたタイトルです。自分からダークサイドに堕ちていくような精神から、黒くて羽ばたくものが連想できました。はい、これも厨二病的発想です。最初からそういう傾向でタイトルをつけていればおかしくないわけですが、なにを実行しても自分の気分や調子がすぐに変わって、その時々の自分に振り回されてしまいました。

バケツ
 バケツに小銭を入れておいたのは、既にお客さんがいたことをアピールする為だったのですが、ならば透明なものに入れて見えるようにしておかなければ意味がありません。バケツは不透明のものでした。

テントの組み立て方
 テントの組み立て方は大体分かっていました。私は中学生の頃アウトドアグッズ収集にはまったことがあって、その時小遣いをはたいて4人用のテントを買ったことがありました。結局キャンプに行けたことはないのですが、いつか行ける日を夢みて部屋の中やお店の駐車場で何度か組み立てたことがあったのです。
 テントではぐっすり眠れましたが、自分ってやっぱり文明人なんだなぁとつくづく思い知った日でもありました。自分みたいな社会不適合者は、原始人やホームレスみたいな生き方のほうが合ってるんじゃないかと思いながら生きてきましたが、毎日シャワー浴びたいと思うし、寝床は布団がいいと思う奴でした。

掛川を離れたくなかった
 当時の私は予感というものを物凄く当てにする人で、言い方かえれば常に妄想に振り回されてる奴でした。黒猫を見ても不吉だとは思いませんでしたが、急に頭の中に沸く不安や怒りを自分の意識と切り離してとらえることができていませんでした。この特徴も放浪旅を通して少しずつ改善していきました。

入りませんか?
 『旅の話、入りませんか?』は正しくは〝要りませんか?〟です。そもそもひらがなで良かったと思います。

旅の話屋さん
 いわゆる路上の弾き語りと同じノリです。って書けばいいんだけど、当時の私はこれ以上ない最高の方法だ!くらいの勢いでした。基本は躁鬱でしたね。

テキパキと簡単な自己紹介
 はたからみれば普通に話してるだけなんでしょうけど、当時の自分にとって言葉に詰まらずにさっと話せるって結構特別なことでした。普段から自分がなにか言いおえるたびに、いま自分が言った言葉におかしなところはなかったか気にするくらいです。だからその自分の症状が良くなってきている変化を書いて、残しておきたかったという気持ちがあります。

理由なき不安
 「理由なき不安」とは、例えば仕事のミスや人間関係のトラブルなど、何かしらのストレスが風化して、なにも抱えていない状態になると決まって発生する現象です。当時は気づきませんでしたが心的外傷ストレスの類でしょう。こういう症状を抱えている状態が平常で、逆に症状が鎮静している時は情緒不安定になるのです。この状態の時は脈絡なく他人に対する怒りや自分に対する自責の念が頭に浮かぶので、「違う!」と頭に意識して書き消していました。でもそれ自体が悪化の要因であり余計にねじ込んでしまうことを当時は気づけませんでした。

自転車で横浜を目指す若者
 彼は吃音症だったと思います。どもりや細かく区切ったような喋り方で、流暢に話せないようでした。彼の悪者をやっつけて生活するという話は冗談には聞こえず、計画性は微塵もないながらも、たしかな決意が込められていました。私はその幼稚な計画を止めるべきかと考えながら聞いていたのですが、東京まで行くことを止める必要はなく、その後のことは、その時の身近な人に諭してもらえればいいと考えました。自分が踏み込みすぎないよう、「自分の役目ではない」と自分に言い聞かせながら話を聞きました。夜は隣同士にテントを張って眠りに着いたのですが、彼は「あっ……アァッ……ツッ……」と、針で体中を突き刺されたような、痛そうな声を絶え間なく発していました。これも吃音症の症状でしょうか? それとも別の疾患でしょうか。あれから、横浜にダークヒーローが出没したという話は聞いてないので、彼は思い改めたのだろうと思います。
 余談ですが、私は高校生の頃にも吃音症の人と会ったことがあります。学校の図書室で、その場には私と部活の先輩と、先輩の友人がいました。体育祭の時の演劇の話になり、先輩の友人の話を聞いていたのですが、その不自然な発声からすぐになんらかの障害を察することができました。その先輩の友人の声は壊れたスピーカーのように音量調整ができていなかったのです。それなのに私は話を聞いている途中、「もう少し声を小さくして、静かに……」と注意してしまいました。部活の先輩は絶句した様子を浮かべ、とっさに姿勢を正して「彼は吃音症という障害をもっていて……」と、私に彼の障害のことを説明し始めました。私は話を聞いた後、「すみません……」と謝ったのですが、実は私が注意をしたことには理由があったのです。先輩の友人は演劇時に、同学年の不良が茶化してきたことにとても立腹していました。その時のことを「あいつらはさぁ!」といった感じの荒々しい口調で批判していました。ただこの時、後ろの方の席には金髪やピアスをした不良っぽい生徒がいて、こちらをじろじろとみていたのです。私はこのままでは彼らとトラブルになると思い、声を小さくするか静かにするか、どちらかしてほしかったのです。しかし当時の私にはその説明を上手く伝えることができませんでした。その時の反省を思い出しながらこの日は眠りにつきました。

4月20日晴→曇→雨


下着
 下着はまた使うかもしれないからと持っておくより、きっぱり不要と判断して捨てた方が良いと考えました。優柔不断な性格を卒業したかったんです。私は物を無くしたり落としたり、破いたり壊してしまうことが日常的によくありました。なんでもすぐ失うから100円均一で済ませておく習性が染みついていたのです。でもまた買うことになってしまいました。そもそも、ちょっと金額を足して普通のパンツを買えばよかったのです。大して値段もかわりません。物価を知らないからこういうお金の使い方をしてしまうのです。
 ちなみに私は皮膚に軽度のアトピーがあります。普段はほとんど気にならないけど、悪化すると結構悲惨なことになるので、衛生面にはそれなりに気を使っていました。

覚え違い
 川根を「山根」と言い間違えています。今もそうですが私が物の名称を覚えるのがほんっと苦手です。

4月21日(月)超晴「風景」


なぜNIVEAなのか
 唐突に登場したNIVEA。定番の保湿クリームのことです。私は鼻炎アレルギーやニキビ、湿疹などいろんなアレルギー症状のせいで、とにかく一年中薬が手放せない子だったのですが、両親は私に薬の適切な使い方を教えませんでした。いつも「これ塗っておきなさい!」「これ飲んでおきなさい!」です。実家に就職した時も、皿洗いによるあかぎれで手がズタズタになったのに、わたしてきた薬はアトリックスでした。そんなほとんど虐待レベルの環境にいたこともあり、薬がほしいと思った時に考えることは至極単純で、この時も「皮膚が荒れたからNIVEA」くらいのことしか思っていませんでした。この時はたしか顔の皮膚がピリピリしたから薬がほしくなったので、恐らく日焼けだったと思います。

靴がブカブカ
 これは事実誤認ですね。実際には靴のサイズが大き過ぎだったのです。もちろん靴は購入前に試し履きをしましたが、私の足は横幅が大きいので、それに合わせると縦が合わなくなり、結果的にぶかぶかになるのです。

本屋の夫婦
 本屋の夫婦に旅のことを驚かれた時は、以前の極楽湯の時のように思いつめたりしませんでした。感覚の交通整理が少しずつですが進んでいます。たった一コマの出来事ですが、脳の反応が定型寄りになってきたかも~、と思ってました。

リンゴ
 リンゴをかじりながら歩くのはお勧めしません。歩き旅してるとやりたくなるけどね。手がべとべとになります(笑)

荷物の量
 荷物の量を4kg~5kgと書いていますが、テントだけで3kgあったことを考えるともっとあったはずです。

自問自答
 お金の使い方について自問自答していますが、発達障害者はこのように上手くできないことを自己分析の末に、〝自分自身の能力不足〟と結論付けてしまう傾向にあります。まぁ、それが実態を言い当てている場合もありますが、単に強まっている衝動性が鎮まれば改善されるケースもありますから、どこかで認識の軌道修正をする必要があります。衝動性を鎮める為に必要な行動は〝休息〟であり、新しい能力を習得する為に必要な行動は〝活動〟です。対処を間違えると悪化してしまいます。

ウヒョ! とか トコトコ とか
 子供ってドカーンとかキュイーンとかオノマトペを使って表現する時期があると思うんですが、私はこの頃になってもその特徴が残っていました。この日記は喋っている時の感覚で書かれた文章に近いです。

4月22日(火)晴→曇「旅の目的」


パン屋さんに感動
 このパン屋さんが素敵なお店だったのは本当ですが、当時の私はあくまでも発達障害症状の治療を要する状態だったことを考えると、あまり良い受け止め方とはいえません。例えばものすごく綺麗な絵を見た時は、どのように描かれているかの詳細な情報よりも、先に感情が大きく動かされることがあると思います。それ自体は素晴らしい体験なのですが、感情を鎮静させなければならないコンディションであることを思うと、受け止め方には工夫が必要だったと思います。まず感動ではなく、物理的な情報を認識するように努めるべきでした。
 あと、褒める気持ちは伝え方を間違えると上から目線になってしまうのですが、この頃の私はそういう角度を気にする観点がなかったので、日記の記述を読んで、私がパン屋さんに対して上から目線で物を言ってる印象を覚えた人もいると思います。

過去の考えを切り捨てる
 放浪旅に出るまでの人生は、自分で決めたことが上手くいかなくても、最初にやると決めたことをただ頭の中で反芻するばかりでした。間違いだったと気づくのはズタボロになってからです。
 それがこの公園では、それまでの考えを積極的に切り捨てています。これは大きな変化でした。

ホームレス
 当時の私はホームレスに関心を持っていました。自分ももしかしたらホームレスになるかもしれないと思っていたからです。今はまだ違うけど、とっくになっていたかもしれないし、これからなるかもしれない。そして自分のような境遇の人が沢山いる―― とか思いながら、東京へ向かう決意を固めました。
 あと当時の私は「ホームレスには隠れ発達障害者が多いのでは?」と推測していて、その真実を確かめたいという好奇心もありました。
 余談ですが、発達障害の当事者会で知り合った人の中には、やはり元ホームレスという人もいました。食べられるバッタとか、食べられる雑草の見分け方とか、そういう話をしてくださった方もいます。

4月23日(水)晴→曇雨「旅の話屋さんの目的」


はった峠?
 「はった峠」と書いていますが〝さった峠〟が正しいです。22日に駿府公園で話した会社員さんの言葉を聞き間違えたまま覚えちゃったんだと思います。

乗れない電車
 冒頭の乗れない電車は回送電車のことです。都心など電車が当たり前って人には身近な常識かもしれませんね。当時の私は「JR」という言葉の意味も知りませんでしたし、電車がホームでドアを開けているのに客が乗れないってことが理解不能でした。

うるさい!
 富士川楽座で旅の話屋さんを開店した時、次々に浮かんでくる迷いを頭の中で「うるさい!」と叫んで一蹴してました。これは今の自分にいらないと思えた思考を排除する為に、当時の私がとっていた方法です。
 私のような非定型は、常に過去と向き合っているといっても過言ではありません。過去の失敗と向き合い、そこから得られたものをもって次に繋げていこうと必死です。しかしそればかりでは結局、過去に縛られているだけです。でもこの時から「過去」ではなく「新しいこと」に挑戦して得られるフィードバックを求めようと、考え方の基準が切り替わったのです。
 旅の話屋さんについて考えることは、コミュニケーションに対する自分の姿勢について考えることと同義でした。誰と話していてもいつか人を怒らせたり悲しませたり困らせてしまう、だから私のような人は消極的になりがちです。何度も失敗と反省を繰り返していく内に人と疲れ果てて、人と関わることを自重していくんです。これは人生の中で習得してしまう習性です。でもそういう自分で決めた限界も、「新しいこと」に挑戦する姿勢に切り替わったおかげで、知らぬ間に乗り越えることができました。

署名の狙い
 旅の話屋さんの本当の狙いは「署名」と書いていますが、署名に関しては「書いてもらえればラッキー」という消極的な姿勢と「なにがなんでも書いてもらえ」という強気な姿勢、両方の気持ちがありました。その温度差のある2つの意識は認識できていたはずなのですが、旅の話屋さんが思い通りにいかない焦りや不安と向き合う内に強気の方が育って野心となり、その意識に支配されていきました。だから書いている時は、初めから自分はこれだけを考えていたみたいなニュアンスの言い回しになってしまっています。

会話シミュレーション
 署名をもらうまでの会話の流れを考えていますが、通常の会話の流れもこんな風にシミュレーションしながら生きていました。頭の中で最適な返答を考えながら喋る感覚、当事者さんなら共感できるかな。
 定型的な会話感覚を習得した今はやりません。疲れますし、やってることの性質は会話を利用した催眠に近いですね(笑)

4月24日(木)雨「創像力と努力」


テントを収納した場所
 トイレの屋根でテントを収納したと書いてありますが、もちろん屋根の上ではなく、屋根の下のことです。

道の駅 富士で会ったおじさん
 「道の駅 富士」で会ったおじさんは技術関係のお仕事をされている方でした。談笑の中で、「いま公開されてる技術なんて氷山の一角だよ」と言ってました。いつか私も言ってみたいです。

未来は造られるものじゃない
 「未来は造られるものじゃない。生み出すものだ」の記述は、放浪旅の前は同じことを繰り返すばかりの日常だったから、これからの人生は毎日新しいことと向き合って生きていきたいという気持ちを背景に書きました。実際に書いた内容よりも、心境側の背景の方が自分の言葉になっているのですが、当時の自分はそういう気持ちを自分の言葉のまま言語化することが苦手で、ここでもどこかで見たような言い回しを使って表現したわけです。

4月25日(木)晴『初ヒッチハイク、そして東京』


バイクのお兄さん
 この時、写真を撮ってくださったバイクのお兄さん今どうしているかな、元気にしてるかな、と思うことがあります。

これが感謝
 自分の中では珍しい感情だったので日記に残しました。

初ヒッチハイク?
 今までにも何度か車に乗せてもらったことはありますが、スケッチブックに自ら行き先を掲げてやったのはこの日が初めてでした。初ヒッチハイクというのはそういう意味で、つまり当時の私にとって、見知らぬ人に声をかけて車に乗せてほしいとお願いする行為は、スケッチブックを掲げないとヒッチハイクに値しなかったわけです。
 日記には書かなかったようですが、当時の自分は「せっかくの旅なんだからヒッチハイクをしてみたい」という気持ちに駆られていました。

刺激を求めること
 ヒッチハイクを指南してくださったおじさんも言っていた『刺激を求めること』。これは感覚を養う上では欠かせない、とても大事なことです。まさに自分がこの放浪旅で求めていたことです。だからこの言葉を言われた時は結構驚きました。もしかしたら自分は、自分が思っている以上のことをしているのかもしれない、そんな風に思いました。

サーターアンダギー
 もっと色々食べたかったけど金の節約の為でした。

4月26日(土)雨『チャーハン?』〜4月30日(水)晴『4月まとめ』


都内在住の友人
 都内在住の友人について説明します。放浪旅前の一人暮らし中にプレイしていたオンラインゲームのフレンドです。正確には、当時一緒にプレイしていたアルバイト先の同僚が入っていたチームメイトです。オフ会の時に私もお会いし、リアルでも友達になりました。4月14日と22日に宿探しの手伝いをしてもらった友人とは別の人です。
 いつ言ったかはもう覚えてないのですが、私は夏の間泊めてもらうお返しに、本が売れたら(本気で)50万払うと話していました。彼は仕事が忙しくなったことを理由に、泊めることができなくなったと言いましたが、やっぱり私のことが迷惑だったんだと思います。なんとなくそんな気がするんです。
 いまは交友がないこともあり、ちょっと踏み込んだことまで書きますが、彼はこの1年ほど前、一部の記憶が抜け落ちるという脳の病気になったことがありました。病名は聞いていないのですが、恐らく解離性障害の類かと。
 放浪旅中に私と会った時には寛解していたようですが、1Rの彼の部屋はかなり散らかっていて、ゴミも散乱していました。浴室なんて排水溝が詰まっていて水が流れずに池になっているレベルです。
 私は彼の精神的な意味での健康面を気にして、そして居候の身として、意欲的に家事全般を買って出たのですが、そういう私の積極性がストレスだったんだと思います。
 ちなみに日記では「居候」と書いていましたが、家賃や生活費は後から納めるつもりだったので、この場合は「同居」か「ルームシェア」と書いた方が良かったですね(笑)(「居候」は、家賃もなんにも納めないまま厄介になっている人のことを指します)

約束の人
 4月28日に会った約束の人について説明します。4月16日と21日の日記でもその存在に触れていたのに説明がないままだったので、「誰この人?」って感じでしたよね。
 私は放浪旅前の一人暮らしをしていた時、ネット上のいろんないじめ相談掲示板に参加して、いじめの相談を受ける役をしていました。この約束の人は、その時に掲示板でよくやりとりをしていた方でした。
 その後、放浪旅の為にアパートを退去したわけですが、当時は有線通信が主流だったこともあり、私はネット環境を失いました。ただ、この人とだけは交流を続けたいと思って、掲示板を去る時に、自分のブログを教えたのです。その後メル友になり、こうして放浪旅中にもお会いできることになりました。
 約束の人とはその日から交際するようになり、現在はお互いの人生を支え合うパートナーとして一緒に暮らしています。発達障害の社会認知度が高まった昨今、アスペルガー夫に苦しめられてカサンドラ症候群に陥っている配偶者のSNSアカウントや、その境遇を綴った夫婦漫画なんてものもありますが、私たち夫婦は上手くいってる方だと思います。

デジカメを諦めた
 今までに撮影した写真がメモリースティックにコピーしてあることや、大事なことは画像のデータで、新しいデジカメを手に入れるまでは携帯電話で、と自分が落ち着く為に心に浮かべたことを記しました。一つミスをするといつまでも考え込んでしまうので、順序立てて考えて頭から追い払う思考術です。大袈裟に言ってるように思えるかもしれませんが、当事者でこれができるとできないでは人生の幸福度が大きく違ってきます。

またまとめ
 振り返りは大事です。

ハンドルネーム
 最後の方の記述は自分の世界に入ったような文体で、この日記の中で最も恥ずかしい一文です。主人公が詩的に自分語りをしている場面でありそうな言い回しですが、この日記はこの時点ではもう、そういうジャンルではない形に育っていますから、ただ浮いてしまっただけですね(笑)

5月1日(木)雲『再出発』


ペット同伴の喫茶店
 この旅は私の宿命なのか、障害者やそういう類の話と関わることが多かったんですが、道中に入った喫茶店でもその話を聞くことが出来ました。ペット同伴可のお店って、ペット好きだけじゃなくて盲導犬を頼りにしている人にも喜ばれるんですね。とてもためになる話が聞けました。

御用達
 『どうやらここはペット同伴御用達のようだ。』の記述ですが、御用達という言葉の使い方としてこれは正しくないです。御用達とは〝位の高い人〟が好んで利用している物やお店の時に使える言葉です。セレブ御用達とかアイドル御用達とか。当時は「ペット同伴を歓迎されている店」という意味で使えるという思い込みで使ってしまいました。

S1道路
 「S1」とは、首都高速川口線のことです。

5月2日(金)雲→雨『思い込み』


時計の修理
 時計を修理と書いていますが、ただの電池交換です。これもネットに書き込む時のフェイクを混ぜる感覚です。フェイクは控えめよりも誇張気味になることが多かったです。見栄を張るつもりはなく、たしか理由があったのですが忘れてしまいました。

1日500円
 この日も一日の予算をオーバーしたことで、またお金の使い方について考え直しています。1日500円で満たされるだけの食事をするには、それ相応の知識が必要ですが、その知識がないまま思い付きだけでなんとかしようとしています。この「うまくできないことについて、うまくいかない方法を延々繰り返す様子」は日常生活でも同じでした。
 例えば学校のテスト。答えられるだけの知識がないのに、問題文を何度も読み返したり授業の内容を振り返ったりして、たぶんこれかなという答えを書き込む。ただの勘なのですが、それで「頑張って考えて答えた」つもりになっていました。仕事でわからないことがあった時もそんな感じです。「わからないから人に聞こう」と判断するまでがすごく遠いんです。

5月3日(土)雨―晴『空』



 この日は、自分に起きた変化を最も強く認識できた日でもあります。『私はそんな事を考える為に旅をしているんじゃない!』の部分にその気持ちを込めました。これまでの日記も、不安定な旅暮らしをどう切り抜けていくか、ということばかりでした。それはそれで発見もあるし、頭を使っている分、感覚の働きを良くする上でも多少プラスにはなっているのだろうけど、一番考えたいことではないわけです。考えなくちゃいけないのは、これからの人生のことです。自分の感覚を鍛えることや、人との出会いから得られたこと、それらをどう活かしていくのか、もっと先のことを一日中考えたいわけです。
 それなのに、ここにきて頭の中はアパートで一人暮らししていた頃と大して変わらないことに気づき、ショックを受けました。あの頃も、生活費のこととか職場の人間関係や仕事のことばかりで、実りあることを考えていたとは言い難い精神状態でした。
 それが空を見ていたら、ふっと小さくなっていったんです。日記では〝広くなった〟と表現しましたが、そのことについて、物事を本来のスケールとして認識できるようになったと考えられます。それまでは何事においても、1割くらいのことでも頭10割使って考えていました。
 突発的だったこともありこの時はまだ実感が得られなかったのですが、この頃から私は思考の大小や強弱を意識して変化させることができるようになっています。

5月4日(日)晴―雲『我慢』


我慢
 「我慢」と書いていますが、今の私なら「衝動性」と書くかな、ここは。発達障害者の生きづらい境遇の大部分は、本人の衝動性が元凶となって形成されていきます。ですから、衝動性をなんとか鎮めない限りなんにもうまくいかないのです。私はとにかく衝動性が強い子でした。頭に浮かんだことは何もかも口と体から勝手に出てしまい、口と体を全てを使って、自分や他人を傷つけてしまう子でした。

徒歩移動の放浪旅について
 アグリパークで出会った若者は大きな2輪のオートバイで旅をしていました。私の場合は「歩きたい」という気持ちが強かったので歩きメインになったわけですが、徒歩移動での放浪旅なんてするもんじゃないですよほんと。移動距離は伸びないし、無駄に疲れるし、お金はどんどん減っていきます。やる人はせめて自転車使いましょう。この頃はもう歩きだけに固執していなかったので、バイクの購入をわりと真剣に検討していました。まぁ結局、この旅では買わなかったんですけどね。

たばこ
 煙草は29歳で妻と同棲するまで吸ってました。それ以降は一本も吸ってません。これを書いている時点で禁煙12年目。もう非喫煙者ですね。

5月5日(月)曇⇔雨『旅の話屋さん』


新生旅の話屋さん
 また旅の話屋のことについて考えました。アグリパークゆめすぎとで考え方がバージョンアップしたので、今までに言語化してきたことも改めて校閲してる感じです。
 この時は、自分の思うがまま、好き勝手に考えられることを嬉しく思っていました。日常の中でも考えなくちゃいけないことって沢山ありますが、「この意識は普通じゃないな」って一度でも思えちゃうと、その時点でそのイメージは止まってしまいました。でもこの時はもうそんなこと気にする必要ありませんでしたからね。

5月6日(火)大快晴『新生旅の話屋さん』


何かが起きる感覚
 当時はよくありました。ただの妄想ですね。

おしながきページをやめた
 誰でも失敗をしたら、次は成功させる為に計画性を意識しますよね。今までの旅の話屋さんはその繰り返しでした。でも「こうしようああしよう」という狙いが結局、行動の幅を狭めていることに気づきました。旅の話屋さんにはおしながきのページがあったんですが、私はそのページの説明をすることに固執してしまっていたのです。
 仕事でもなんでもそうだと思うんですが、大事なのは「どういう結果が得られれば良いか」、そのゴールに向かうことです。おしながきの説明はあってもいいけど、その説明をすること自体は目的ではありませんから、そこに固執する必要はなかったわけです。よりお店っぽい形が整うというだけです。もちろん経過が大事な時もありますけどね。

ケジメ
 ケジメについて語っています。この時は「煙草をやめる」という約束がまた守れなかったことで気持ちが荒れてしまいました。日常生活中は〝普通の人を意識した自分〟でしたが、放浪旅中は〝ありのままの自分〟で活動していたので、他人と交わした約束の重さに不慣れだったことも感情が荒れた要因だと思います。
 この気づきをきっかけに旅がより楽しく感じられるようにもなりました。我慢とケジメがどこかで繋がっている気づきから、成長の仕組みを実感できたからです。この感覚にもっともっと錬度を重ねれば、いつか普通の人並に勉強も出来るようになる、という確信も持てました。
 あとその気持ちとは別に、もう一つの気持ちが膨らんでいるのを感じていました。日記には書いていませんでしたが、『今の自分を、社会の中で試したい』という気持ちです。それは衝動的なものでしたが、この頃から放浪旅を終える可能性を意識し始めていました。

5月7日(水)大快晴『満腹感』※5月8日分含む

 
文章量
 5月7日と8日の2日分とはいえ、ものすごい文章量です。1p30行の大学ノート11p分くらい。これを一日で、辞書をひきながらシャーペンで書く元気はもうないです。

今日だけは贅沢
 ほぼ毎日予算オーバーしているのにどうしてこういうことを言うのか。これは「今日はもう予算のことを気にしたくない」っていう気持ちが正しいのですが、その通りに書けなくて「今日だけは贅沢」という言い方になってしまったわけです。このように当事者は自分の本意とは違う言い方をしてしまう頻度が高く、人間関係でも損をします。

竹馬で日本を旅した友人を持つ人
 竹馬で日本を旅した友人を持つ人についてですが、後にネットで検索をしたら、竹馬で日本一周した夫婦の記事がヒットしました。記憶違いかもしれないけど、夫婦とは言ってなかったと思うので、別の人のことかもしれません。

地震が来る夜
 地震が来る夜は眠れないとか来る前に目が覚めると書いていますが、実際にそういう体験が何度かあったので、この頃はそう思っていました。

花の周りでダンス
 ここも浮いた文章になっています。自分の日記がぜんぜん小説っぽくないことをずっと気にしていて、なんとかして文学的な小説っぽい文章を書こうと試みた部分です。今は読み返すだけでストレスを感じます。はぁー、恥ずかしい。

うどん
 日記には書いてませんでしたが、私はこの放浪旅をきっかけにうどん大好きマンになっています。この旅に出るまでは積極的には食べませんでした。洋食屋の味の濃い料理で育ったせいか、うどんは私にとって味がしない食べ物だったんです。その味覚の鈍感さもこの放浪旅で改善されました。

5月9日(金)晴『情報』埼玉県道の駅「めぬま」→同県道の駅「かわもと」


とっくに終らせたと思っていた
 これは一人暮らし生活を始めたばかりの頃、「自分はもう大丈夫だ、これで普通の人生が歩める」と思っていた時の自分に対する気持ちです。

覚えられない〟ではなく〝ゆっくり〟
 『「認識」と「把握」に至る前の段階で「判断」と「行動」を求められる』は、これも「あぶり出し型脳」のことですね。

「希望」の叶え方を知らない大人が多すぎる……!
 こんな風にしてメンヘラは救世主思考が芽生えていくわけです。ただ私の場合、幸いだったのは、こういう思考をおかしいと思う部分も同時につくられていったことです。今思えばこのあたりは定型的な思考との戦いでした。

お前が余計な事を考えるな
 ここは「あれもダメこれもダメ」と判定したがる自分を黙らせるつもりで書いた記述です。ダメ出し判定しているのは過去の自分ですからね。

5月10日(土)雨『希望の兆し』埼玉県道の駅「かわもと」→同県道の駅「はなぞの」


5月10日分の日記
 読み返して気づいたのですが、5月10日分の日記はないです(笑) ただ単に書いてないようです。「5月10日」の日記は5月9日夜、Kと出会った時の内容であり、最終話となる「5月11日→5月12日」の日記は、日付通りの日の内容です。9月夜に「道の駅 かわもと」でKと出会い、10日は二人で深谷駅の方へ行きました。Kが「深谷駅と東京駅は似てる」という話をしていたのを覚えています。途中、バスにも乗りました。その道中、翌日から二人で道の駅を経由しながら峠を越えることに決め、「道の駅 はなぞの」を出発地点にして向かったと記憶しています。10日の日記は9日分の日記を書いた後に書こうと思っていて忘れてしまったんだと思います。

Kの話について
 Kが語ったエピソードはあまりに非日常で、今の自分なら事実と創作の境目を探しながら聞くような内容だったのですが、当時の自分はそういった疑いの目を一切持たずに聞いていました。初対面の人の話を一切疑わないで聞いてしまうのはよくないと今は思います。

男は明るい口調で~人生を明るく
 ここだけ訂正したいのですが、「明るい」ではなく「警戒心の無い無垢な笑み」って感じです。「明るい」だと大袈裟ですね。

5月11日(日)→5月12日(水)『焼き芋パーティー』→埼玉県道の駅「はなぞの」→同県秩父駅前スカイラーク


深夜の老人

 深夜のはなぞのにいた老人は、身なりからしてホームレスだったと思います。私は自分も将来こうなるかもしれないと思いつつ、この老人からなにかを学べれば……と思って声を掛けました。題目はなんでもいいから会話をして話が聞きたかった。でもそれは叶いませんでした。おじいちゃんの声はほとんど聞き取れず、会話はできませんでした。衝動的にですが、こういう境遇の人が社会に形成される背景には間違いなく、発達障害や非定型に対し社会が無理解であることが原因だと確信だと思いました。

自分は何を考えていたのだろう
 この時も過去の自分の判断に疑問を持っています。当時の自分はわかっていませんでしたが、この時の自分の考え方は衝動性が基準であり、その判断は、時間が経って落ち着いた後の自分にはついていけないものばかりでした。それが、放浪旅の生活の中で少しずつ衝動性が鎮まり、落ち着いている自分の意識に主導権が移りつつありました。  この頃の自分はその変化の途中だった為、〝衝動的な判断をする→(時間経過)→落ち着いた自分が疑問を持つ〟、というパターンを繰り返していたのです。

内部構成が把握できた
 Kの内面を断定的に分析していますが、こういう超越視点から人のことを評価するのは躁状態の特徴ですね(笑)

会話中の擬音
 実は中学生の頃まで自分もこのタイプでした。「キーン」とか「ドーン」とか効果音を使わないと言葉が作れないんです。中学2年生の時だったと思うのですが、クラスメイトから「お前その効果音やめろ(笑)」と指摘され、初めてその話し方がおかしいことに気づけました。それ以降、効果音に頼らない話し方を考えるようになり、自分の場合は改善はできました。

発達障害の可能性
 Kに発達障害の可能性を当てはめるのは難しいと思ったのは、当時の自分は発達障害の症状と育成環境は切り離して考えるべきだと思っていたからです。

貴方と出会う為の旅だった
 「私の旅は貴方と出会う為の旅だったんです」と実際に言いましたが、実はそう思っていませんでした。そういうフレーズが頭に浮かんで、いまこれを言わなくちゃいけない衝動に駆られただけのことです。

何の為に?
 コンビニで〝何の為に?〟と自分に問いかけた時、私は当初の目的をすっかり失念してしまっていた気づきました。私は別に日本一周したいわけじゃないんです。『放浪の歩き旅』も手段であって目的ではありません。日常生活では得られない刺激を脳に与え、脳の感覚を活性化させることが狙いです。それを元に感覚をコントロールする術を得ることです。感覚の活性化は十分に叶えられていたし、『二人で一緒に本を創ろう』という話になった時点で、もう歩き旅をする必要はなくなっていたのです。
 あと、自分が今までに一度もなれたことがない程の、ベストコンディションであることにも気づけました。だから放浪旅を終える決断をしました。
 そもそも無計画な旅で、なにか気づきがあればその都度、やることがコロコロとかわります。出会ったばかりの人を誘って一緒に行動できる性質の旅ではありませんでした。その点で今はKさんに対して、振り回してしまったことを申し訳なく思っています。

知り合いのテレビ局の人
 日記本編中では触れていないのですが、Kはネカフェ難民生活のことで、過去にフジテレビから取材を受けたことがあるそうです。知り合いのテレビ局の人とは、その取材の時に連絡先交換をしたテレビ局の人だそうです。

後日談


自分に起きた変化
 私は心のどこかで、自分を変えたり鍛えたりするには、自分を痛めつけて辛い体験をしなければならない思っていました。でもそれは漫画やゲーム、映画やテレビなど、様々なメディアがコンシューマーに植え付けたただの思い込みであり、本当に必要な条件ではなかったのです。
 日記の文章にも表れていた通り、放浪旅中の私は躁状態に陥っていました。発達障害のADHDを自称するビジネス系アカウントや、キラキラしたことを言いまくる自己愛性パーソナリティを連想した人もいると思います。思い通りにいかない放浪旅を前進させたい、その一心で頭を使ってきましたが、結局はその営み自体が脳を狂わす要因だったわけです。
 それでも旅の最中は自分の判断に対して疑問を持つことができました。考察本シリーズでお伝えした通り、放浪旅中は脳の衝動性を煽る要因を遠ざけていたことが、功を奏したのです。
 ゲストハウス生活を始めてからは、この変化を生活と仕事の両面から確認できました。仕事ではケアレスミスをせず、対人では普通の会話の速度についていけるようになったのです。放浪旅前なら考えられなかったほど、何事もない穏やかな日常を過ごせるようになりました。その日常の変化の影響により、ゲストハウス生活後もしぶとく燻っていた衝動性が鎮まっていき、躁状態である自覚はないままに、自分の判断傾向に疑問を持つことが増えました。 こうして私は、自分の脳に起きた変化の解明に取り組むことにしたのです。

日記について
 日記は一年間続けましたが、ゲストハウス生活を始めてしばらくしてから、日記の執筆に使う時間を減らすことにし、メモ書き程度の文章量にしました。日記を書く時はどうしても過去を振り返ることになるわけですが、これからは未来のことを考える時間を増やしたいと思うようになったからです。

Kとのその後
 歩き旅を終え、ゲストハウス生活を始めて少し経ってから私の携帯に彼から電話がありました。その時の話は『いま知り合いのトラック運転手の助手をやっている。フジテレビの人と今度会って話す』とのことでした。彼は別れた後、ちゃんとホームレス生活を脱出していたのです。しかし連絡はそれ一度だけで、その後は音信が途絶えました。  読者さんの中には、彼の話の内容や渡したお金を紛失していることなどから、彼の動向に対してある種の企みや怪しさを感じた方もいると思いますが、少なくとも彼の言動や仕草は演技でできるようなものではなかったです。
 あと、私は焼き芋パーティーの時の彼の話が印象に残っています。焼き芋を食べながら刑務所での生活の話になって、私は彼に「刑務所の生活ってほんとに更生できるものなの?」という質問をしました。彼は首を横に振りました。彼は「ちゃんと更正する人もいるけど、社会復帰やそういうことを叶えるなら、早く社会に出て仕事したほうがいい」と言いました。その理由は、刑務所の中では悪友の仲間ができてしまうし、刑務所に入所することを計画に入れて犯罪する人もいる、それが理由だと話しました。
 私は自分自身がいつか、「この社会は間違っている」といった反社会的な精神が爆発して、大きな犯罪を起こしてしまうんじゃないかという予感を抱えていました。それは冷静な怒りの感情が見せる自分の将来のビジョンでした。
 幸いなことに、自分は出会いや友人に恵まれたお陰で暴走しませんでしたが、世の中にはそういう感情を抑えきれずに人を傷つけてしまい、刑務所行きとなった〝非定型〟が何人もいるはずです。彼の話を聞いて、『非定型は刑務所にすら居場所がない』と思いました。
 彼はどことなくどころか全体的に怪しい人ですし、結局彼との出版の話も音信不通になったことで無くなりましたが、ホームレス生活を脱して、住む所と収入のある生活をしているのなら、それでいいじゃんと私は思っています。
 ちなみにこの焼き芋パーティーの時の会話を日記に書かなかったのは、他のことを書くのに一杯一杯で、書くことを失念してしまったからです。

日記の書籍化について
 放浪旅後、日記を本にする為にいつか出版社に行こうと思案していたのですが、Kと音信不通になったことでその構想は保留となりました。
 その後、当時は交際関係だった今妻と絵本作家を目指して共同創作をしたり、コミュニケーション力を上げる為に小説を書いたりして、創作とは関わり続けました。そうしている内に小説投稿サイトや電子書籍のセルフ出版が台頭し、商業出版以外の選択肢を得ました。
 私は熟考の末に、セルフ出版に力を入れる道を選びました。自分の発達障害考察がいろんな人に読まれることは望みますが、あくまでも「ネットの検索で辿り着いた人が読んでくれればいい」というのが私が想定している読者の範囲です。
 この方針の根底には、「読み手とのミスマッチをなるべく起こしたくない」という配慮があります。発達障害を改善する話は気を付けて取り扱うべきだと思うからです。しかし商業出版は売れることが正しい世界ですから、ミスマッチを前提にしています。その点で私の方針と相反するので、商業出版に対して積極的になれませんでした。本屋に並ぶのに「この本は必要としている人だけに売ってください」なんて注文はできませんからね(笑)

ホームレスのボランティア活動について
 ゲストハウス生活を始めてから、ネットを頼りに自分でも参加できそうな支援団体を探し、活動内容や方針などを吟味したのですが、結局どこにも参加しませんでした。私のホームレスへの関心はあくまでも発達障害の症状改善という願望の上にあったのですが、ホームレス支援は症状の改善云々ではなく、「現状の延命」だと思えたからです。

終わりに

 御読了ありがとうございました。旅日記の補完は数年前に一度ブログで日記を掲載していた時に書いたものであり、日記本編と読み返しながら編集しました。といっても、その時の方が記憶の鮮明度が高いので、基本的には誤字脱字や表現の見直しをした程度です。
 読み返していて思ったのは、読めば読むほど当時の精神状態のおかしさがわかるということです。そのおかしさは放浪旅という特殊な環境を通してでしか改善できなかったということも、今回、再確認できました。
 また年に一度くらいの頻度で読み返したいと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました