言葉の攻撃性は「加害認知力」に置き換えて受け止めよう

 発達障害や精神疾患の病識を持っていると、脳のパフォーマンスが低下する条件に詳しくなっていきます。その営みの中でもう一つ、否応無しに精度が高くなってしまう感覚があります。それが本記事で提唱する「加害認知力」です。

 発達障害や精神疾患を抱えた境遇に長くいると、相対的に人に対して加害になる言動や状況を察知する加害認知力が、とても高くなってしまうのです

 その点だけをみれば「他人に対して優しい人」となるだけです。逆にいえば、精神上の疾患を抱えていない定型発達者は、加害を身をもって学習する機会が少ない為、加害認知力が低い人が多いとも推測できます。

 しかし、実はこれ自体が生きづらさの原因になるのです。しかも深刻です。
 あなたは自分のパフォーマンスが低下するようなことを、他人にもしようと思いますか? 普通は思いませんよね。なんのメリットもないからです。それが職場でのことなら尚更でしょう。

 しかし、営利活動というものは利益や効率などを求めると、必ず加害性を伴うものです。それが労働の本質です。

 したがって、自分や他人に対して加害にならないように配慮をしながら行動する人、話す人、判断する人は、営利性に反することが多い為、職場のお荷物になってしまうことが多いのです。
 自分は会社の為に一生懸命やっているのに、仕事もそつなくこなしているのに、なぜか周囲を苛立たせて、困った人扱いされるという人は、この境遇に陥っている可能性が高いです。加害配慮は無自覚にもやってしまう為、この問題は大変厄介なのです。

 これを解決するには、周囲の加害認知力が高くなって自分と同じくらいの基準になるか、自分の加害認知力を下げた振る舞いをするしかありません。正直、どちらも現実的ではありません。


 課題ばかり目に付く加害認知力ですが、この捉え方をうまく使えば、日常の精神的ストレスを大きく減らすことが可能です。

 職場で理不尽な注意を受けた時や、厳しく詰められた時、他人から受けた嫌な言葉が、頭の中でぐるぐるループするでしょう? 精神を病むもとです。仕事のミスや成果が出せないことについて、反省や学習は必要ですが、精神攻撃をされるいわれはありません。

 そんな時は、加害認知力の違いで考えてみましょう。注意であれ指導であれ、それが許容できない加害性を伴う場合は、「加害認知力が低い人」と思っておけばいいわけです。相手は加害性を切り離した行動がとれないわけですから。厳しい注意が必要だとしても、加害性を伴わない注意ができる人はちゃんといます。相手の知識の無さや人生の不幸やが、そういう行動をとらせているのです。特に虐待を受けて育った人に多いです。どこの職場にもいるタイプですね。

 自分が貴重な時間をつかって、一人反省会をする必要はありません。加害認知力が低い相手なら仕方ないんです。そういう人が右にも左にもいる職場であるなら、それは「加害認知力が低い職場」ということです。そんな職場はさっさと辞めてしまいましょう。

 本記事では「加害認知力」というキーワードを出しましたが、加害対応力、加害回避力など、いろんな種類に分けられる言葉です。まだまだ開拓の余地があるので、この言葉が気に入ってくださった方は、ぜひご自身でも使ってみてください。

 ちなみに「加害認知力」は本記事の説明用に私の考えた造語であって、この類の分野で使われている専門用語とかではないので、そこんところお間違いなきようお願い申し上げます。

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