普通の喋り方というものがよくわからなかったので、いつも誰とでも楽しそうに喋っている友達が多いクラスメイトを観察し、喋り方を真似してみることにしました。私は誰と会話をしていても、二言目には冗談を言ったり茶化したりしてしまうほど普通の会話ができなかったのですが、この取り組みは確実に私の意識の中に定型寄りの会話感覚を根付かせてくれました。
口真似モードを意識してから2~3日後のある朝、近くの席のクラスメイトと「おはよう」と言い合っただけで、特になんの会話もしなかった時の新鮮な気持ちは今も覚えています。(あぁ、会話ってこんなんでいいんだ)って思えたんです。他の会話でもそうでした。自分が思ったことではなく、相手の言ったことに合わせた言葉を出すだけで、ちゃんと会話が成立していたのです。
ただ、この取り組みは2週間足らずで終わってしまいました。その口真似に選んだ相手が関西弁の人で、私の話し方が目立ったせいか、ばれてしまったのです。ある日の休み時間に「俺の口真似をするな」と注意されてしまいました。私は「ごめん、わかった」と言ってやめました。
取り組みは短い期間でしたが、頭の中にいくつかの「普通の会話パターン」をストックすることができたので、その後クラスメイトと会話する時は、普通の会話のパターンを思い浮かべながら会話をしました。頭の中にある言葉を文章で思い浮かべて、検索をかけながら会話する感じです。って言っても、これは流石に当事者じゃないと想像するのが難しいかもしれません。
私は31歳で発達障害の診断を得てから、色んな当事者会に参加して他の当事者ともお話ししてきましたが、当事者会で「頭の中で返答を検索しながら話す感覚」の話をすると、だいたいみんな「わかる!」って言ってくれました(笑)
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大人になってから当時を振り返って気づいたのですが、この頃の私は「思ったことは口に出さないと悪い人になる」と思っていました。実際に喋っている内容と思っていることが違う人は、「人を騙す嘘つき」だったんです。
小学生の頃も授業中の私語でよく注意されましたが、思ったことを口に出したことで怒られる、という結果は私を余計に混乱させました。今のように言語化できれば気づきもあったでしょうが、当時は言語ではなく感覚的に意識全体に広がるだけでしたから。
この思い込みがどこから来たものなのかを考えたのですが、一番関係ありそうな体験は、母が私を叱る時の怒り方です。悪いことをすればそりゃ叱られますが、当時の私は大声でなにかを言われると頭の中が台風状態になってフリーズしてしまう子でした。でも母から見れば何を聞いても私が何も言わないので、「言いなさい!」「ちゃんと言いなさい!」「どうしてなにも言わないの!」など、何も言わないことを悪いこととする怒り方になってしまったんです。
この思い込みは、周囲を悪人だと錯覚させることもありました。自分は悪いことをしていないのに、悪いことをしたことに仕立て上げるからです。
発達障害と反社会的な精神との関係性を考察する上で、悪いことをした時の叱り方は重要な部分だと私は考えます。