部屋の片づけ問題は発達障害で話題になりやすいことですね。私も子供の頃から片付けができない子でした。
中学生になってから念願だった自室が与えられましたが、床から机の上まで、整理整頓というものをどういう感覚でやればいいのかがわかりませんでした。散らかしているつもりはないのになんとなく散らかっていく部屋が嫌で、これも大変なストレスになりました。
それで1~3ヵ月に一回くらいの頻度で掃除も兼ねた部屋の模様替えをしていたのですが、何度目かの模様替えの時にふと、大好きな〝落ちものパズルゲーム〟をしている時の感覚でやってみたんです。掃除や部屋のものの配置を決めることが、どことなくパズルゲームをしている時の感覚に似てたからです。思い浮かべたのは『ぷよぷよ』です。ぷよぷよは同じ色の〝ぷよ〟が揃うと消えますよね。ですから部屋にあるものもぷよに見立てて、同じ色だと感じるものを一緒に扱うことにしたんです。同じ色とは実際の色合いのことではなく、その物の用途や種類のことです。
思い付きのやり方でしたが、この感覚の代用は〝なにをどこに置けばいいかを察知する意識〟として、見事に機能してくれました。
えんぴつと消しゴムは文具であり、筆箱に入れるもの。これくらいは流石にわかりますが、そういうものでも床に転がっていたり、他のものと同じ場所にごちゃっと置かれていると、そこに置かれているものが頭の中でペースト状になって個別に認識できなくなって、床と同化しちゃうんですよね。
発達障害の当事者は非言語が苦手と言われるように、その対象の属性を察知することが苦手です。今回のケースの場合、ぷよの色に置き換えることが非言語部分の属性を察知する感覚に繋がったんだと思います。こうして私は、一つ一つのものが個別に認識できるようになり、その行き先も認識できるようになりました。『ぷよぷよ』はそこの判断の速さで遊ぶゲームですからね(笑)
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部屋の片付け繋がりで、もう一つ話をします。
31歳の時に発達障害の診断を受けてから、当事者会に参加していた時期があるのですが、その頃住んでるアパートが汚部屋状態という、一人暮らしの発達女子さんの部屋を見させてもらったことがあります。
玄関が開いて、まず視界に飛び込んできたのは積み上げられた物、物、物……。なにもなければ二人はすれ違えるはずの通路の幅が一人分しかありません。「物」とは生活用品だったりゴミだったりで、一応どれも家の中にあってもおかしくないものですが、なぜか積み上げられているんです(笑)
台所から自室兼寝室までどこも足の踏み場はほとんどなく、どこへ行くにも足元をみて、何もないところを探す必要があります。尖った物や小さな生き物に要注意です。
その見学の時に思い出したことがありました。実家のことです。
私の実家は汚部屋ではないにしろ、どちらかと言えば散らかっている状態が普通でした。ゴミで散らかっているのではなく、例えばあっちにもこっちにもボールペンがあるとか、どこを見ても何かの書類が出てくとか、同じ種類のものが一ヵ所にまとめられてない感じです。動かしたら基本はそのままで、椅子や棚の引き出しなど、定位置に戻すという習慣がありません。私は家業が自己破産して実家を出てから、たまに実家に帰った時はよく「泥棒に入られた後みたいだな」と思ったものです。
発達女子さんの汚部屋にも実家と同じ特徴がありました。汚れ具合ではなく、家具のことです。家具の大きさが部屋の大きさとぜんぜん合っていないんです。彼女の寝室は半分近くがベッドで埋まり、残りの4分の1は巨大な化粧台が陣取っていました。後は棚やらテレビ、テーブル、ゴミなどで、移動可能なエリアがほとんどなかったんです。
発達障害の汚部屋問題の話を聞いて、とにかく一度掃除して後は整理整頓の習慣を……と思ったことがあるのですが、この体験を通して、それだけでは解決には程遠いことがわかりました。