『発達障害考察本外伝6 セルフメンテナンスの極意』、第4章最初の記事は、「発達障害を自助努力で改善していく上で必要な知識と課題」についてお話しします。
これまで考察本シリーズを通してお伝えした、発達障害の捉え方や改善法の要点をおさらいしつつ、その先にある課題にも言及していく内容です。
本記事は発達障害にご関心のある方ならどなたでもお読みいただけますが、あくまでも自助努力による改善がメインテーマです。特に成人のグレーゾーン境遇にいる人を読者対象とした言葉で解説をしていきます。診断済みの方や当事者ではない方は、そのつもりでお読みください。
発達障害グレーゾーン境遇の基礎知識
「発達障害グレーゾーン」とは
「発達障害のグレーゾーン」とは、発達障害の症状に悩みながらも、なんらかの事由で診察が受けられないでいる境遇を指す言葉です。例えば、親に相談したが診察に行かせてもらえなかったケースや、病識を持って自ら診察に行ったが診断が下りなかった、などがよくある例です。
- 不運にも適切な診察をしてもらえず、診断域であるにも関わらず診断が受けられていない
- 両親の育成方針のせいで精神科へ連れて行ってもらえなかった
- 症状がはっきりとしていないため、医者に診断域だと思ってもらえなかった
- 通信簿など子供のころの記録がない為に正確な診察ができなかった
- 自助努力が相応に成就していたために診断の必要がないと判断された
などなど、ケースは様々です。
これに加え、発達障害の症状に振り回されたまま活動したことにより、人間関係が維持できない、学習ができない、学校を中退する、定職が安定しない、精神上の二次障害を抱える、多額の借金をしてしまう、税金の未納や滞納がある……など、生活上の様々な問題を抱えてしまい、健全な社会人生活が送れてない境遇までを想定する言葉です。
昨今では各種機関も、診断がなくても病識があればできる範囲で対応をしてくれる傾向にありますが、「診断がない・障害者手帳がない」という状態は、やはり生活や就労を含め、あらゆる点でネックになることに変わりありません。
このグレーゾーン境遇が長ければ長いほど、仮に診断を受けられたとしても、その頃にはもう時すでに遅しという状況に陥っている可能性が高くなります。慢性化する苦悩のせいで社会の適応行動に対する判断力が低下していくのです。
- 学習能力がない。学校の授業についていけず、小学生レベルの知識すらない
- 学歴、職歴に傷がある。学校を中退してしまう、転職回数が多い
- 年金や手当などの請求資格を失ってる。税知識がなく、税金を滞納している
- 多額の借金がある。ショッピングやギャンブルなど依存症になってしまう
- 洗脳されやすい。宗教や悪徳ビジネスにはまってしまう
- 犯罪に走る恐れがある。ハラスメントを受けやすく、社会に対する恨み募りがある
など……
発達障害のグレーゾーンというだけなら「なんらかの事由で診察が受けられないでいる境遇を指す言葉」なのですが、実態として「健全な社会人生活が送れてない境遇」までを含めて考えるようにしましょう。
「自力でなんとかするしかない」という意思力が裏目に出る
発達障害は生きづらいと言われていますが、グレーゾーン境遇の生きづらさは比較にならないほど悲惨なものです。あらゆる課題において、とっかかりにアクセスできないない境遇にいるからです。
診断済みの方なら、診断があることや障害者手帳の資格をテーブルにして、医療や福祉など周囲のサポートを受けることができます。発達障害という現在地を中心に、自分に最適な道の選択肢を揃えやすいわけです。とっかかりがあるわけです。私も31歳までグレーゾーン境遇にいましたが、診断を受けて障害者手帳を持ってからの人生は、樹海で綱渡り状態だった人生が一変。やっと、地面の上を歩いて生きている気持ちになれました。
しかし診断がなければ、発達障害の影響が疑われるあらゆる困難の多くは、自力でなんとかするしかありません。とっかかりがありません。しかも、自助努力は多くの場合、裏目に出てしまうのです。勉強も運動も、ほとんどの学習行動は成就しません。社会に出て働けば、ケアレスミスだらけで職場のお荷物です。コミュ障だから人間関係も維持できませんし、仕事の覚えも悪いです。何をやってもうまくかず、ただただ疲労困憊するだけです。
頑張ってなんとかしよう、次こそ解決しようと、ふんばりながら生きている間に、身も心も、社会的なステータスも、ぐちゃぐちゃになって追い込まれて、どこかで道を踏み外してしまうのです。
しかも、症状の改善法がない
というわけで、多くのグレーゾーン境遇の当事者が、「何をするにも、先に発達障害の症状をなんとかしなければならない!」という答えに辿り着きます。「こんな症状を抱えたままでは無理だ」という結論です。
しかし、発達障害症状の改善法は未だ確立されていない為、本当に効果があるのかどうかもわからない想像の工夫をしたり、ネットで調べた怪しい方法を参考にするくらいしか手がありません。
腕の筋肉がほしければ腕立て伏せをすればいい。
風邪を引いたらお薬をもらって安静にすればいい。
賢くなりたければ勉強すればいい。
といった、ある目的の実現、ある状況の解決をする上で誰もが知っている「普通はこうする」という方法論がないのです。
そういう実態もあって、数年前に発達障害ライフハックなるものが有力手段として流行ったわけですが、所詮はその場しのぎだった為、今ではビジネスアカウントが主に発信して、情弱が釣られているばかりで、誰も参考にしていません。
発達障害を改善する為の考え方
ここからが本題です、と言いたいのですが、まず前提知識として必要な、依存症に関するお話から始めます。本記事では発達障害考察本シリーズを通してお伝えした改善法をもとにお話を進めていきます。
依存症状の改善法は?
「発達障害を改善する方法は?」と聞かれて、さらっと答えられる人はどれくらいるでしょうか。あなたは答えられますか? 難しいですか。
でも、「依存症の改善は?」というお題なら、一般常識からでも答えを組み立てることができますよね。
とにもかくにも、依存のもとを止める!
まず何をおいても、その依存症のもとを止めることが不可欠ですよね。
アルコール依存症ならお酒を止める、ニコチン依存症ならタバコを止める、ギャンブル依存ならギャンブルを止める、ということです。
医者じゃなくったって、これくらいはわかりますよね!
後遺症を改善する
多少、医療知識があるなら、後遺症にも言及できると思います。
アルコール依存症なんかがそうですね。お酒はやめられても、臓器にダメージが残ったかもしれません。たばこもそうですね。肺がんの発症率を高めます。ギャンブル依存症だって、せっかくギャンブルをやめられたのに借金が残っているかもしれません。借金の苦しみも広い意味では後遺症ですね。
重要なことですが、依存症というやつは、依存のもとをやめられたとしても、心身や生活管理の部分で解決しなければならない問題が必ず残っているのです。
ここは、「基本的に依存症は後遺症とセットで考えるもの」ということがわかっていればOKです。
二度と依存のもとに関わらない
依存症をやめても、やめられたから少しくらいは大丈夫、なんて思ってはいけません。
お酒でもアルコールでも、ギャンブルでも、一度依存症の診断域にまで陥ったのなら、やめたあとは二度と関わらないことが重要です。
依存症だった頃の脳の状態に簡単に戻ってしまいます。脳には一度安定した状態に戻ろうとする性質があるのです。
依存症の苦しみを二度と味わいたくないのであれば、絶対に関わらないことです。
依存症の改善法まとめ
依存症の改善方法を三つの要点でまとめました。
- 依存のもとをやめる
- 後遺症を改善する
- 二度と関わらない
特別な勉強をしていなくてもこれくらいはわかるでしょうか。実はこれらは医療的にも、依存症改善の基本ステップとして正しい考え方なのです。
依存のもとをやめる、とは、「解毒」のことですね。後遺症の改善は、「リハビリテーション」でしょうか。二度と関わらない、とは、「スリップ対策(再発予防)」ですね。
リハビリテーションという言葉は、それ自体が改善プロセス全体そのものを指す言葉でもあるんですが、ようは、劣っている機能を回復・改善するということです。
依存症の自覚をもった人は、上記三点のポイントを中心に克服する道を考えるわけです。未診断でも医療知識がない人でも、一般常識を基準に順当に考ていけば、大体似たようなアプローチになるはずです。
まず、やめよう。
影響が出ている範囲を改善しよう。
そして、二度とやらないぞ。
という感じですね。
ここまでの内容を踏まえた上で、次項へおすすみください。
発達障害の改善法は?
もし発達障害も依存症と同じように、解毒・リハビリ・スリップ対策というポイントを基準にして、自力で改善までのプランを考えられるとしたら、当事者たちの生きづらさはかなり改善されるでしょう。発達障害グレーゾーンという社会問題の規模も縮小できます。
当事者が独自に対策できる、すなわち早期対応が実現するということ。それができれば症状や境遇の悪化防止になりますし、自暴自棄に陥る可能性も下げられるので、医療や福祉へ繋がれる機会も増えていきます。
当事者が対策知識を身につけているということは、それぐらい大きな効果が期待できるわけです。
しかし、発達障害と依存症は別々のもの、というのが通常の考え方です。
ここから先の考え方に進むには、発達障害症状の捉え方を変える必要があるのです。
衝動性と麻痺
依存症状は衝動性に加えて、なんらかの感覚が麻痺しています。わかりやすいところで言うと、ギャンブル依存症だと「やりたい」や「やめられない」といった衝動性だけではなく、「金銭感覚の麻痺」がありますよね。(余談:「金銭感覚の麻痺」は一般用語として定着していますが、実は「麻痺」の医療定義的には正しくない使い方です。比喩的に解釈してください)
アルコール依存症、ニコチン依存症、ゲーム依存症……。全部そうです。衝動性の他に、なにかしらの感覚が麻痺を起こしてしまうのです。
アルコールやニコチンといった物質系依存の場合は、多くの場合、健康維持に注意する感覚が麻痺を起こします。ゲームやギャンブルなど物質系ではない体験依存の場合は、社会性の麻痺という要素が目立ちます。
このように依存症とは、衝動性以外に目立つ変化の部分を、麻痺という言葉を使って捉えることが可能なのです。
この捉え方は馴染みがなかったという人がほとんどだと思いますが、衝動性・麻痺という言葉を使っていなかったというだけで、特徴の捉え方に大きな差はないなずです。依存症状はそれだけ、輪郭が単純であるということです。
ここまでの話を前提として思い浮かべてほしいのが、発達障害の主要な症状なのです。
私は「ケアレスミス・コミュ障・習得困難」を発達障害の3大症状としていますが、この症状の特徴を、依存症を捉えるようにイメージしてみてください。
まず衝動性ですね。ケアレスミスが酷いあなたは、「ミスをしないぞ! 集中するぞ!」などと強く念じていませんか? してますよね。それはギャンブル依存者が「ギャンブルはもうしない!」と意識しているのに結局繰り返してしまう境遇と、なにが違うのでしょうか。
コミュ障についても、「普通の振りをしよう」「失言に気をつけよう」などと強く意識していませんか? そもそも、その症状を自覚する前から、「◯◯をしないよう気をつけよう!」「◯◯がしたい!」という強い衝動性に振り回されながら生きていた自覚がありませんか?
そして発達障害は、常になにかの感覚が麻痺していますよね。ケアレスミスは、集中に関わるなんらかの機能が麻痺している。コミュ障は、社会性が麻痺している。習得の困難は、学習に関わる何らかの感覚が麻痺している。このように捉えることができるはずです。
このように、発達障害の症状も普段そう捉えていないだけで、「衝動性・麻痺」というワードを規格にすることで、依存症の輪郭を有しているといえるわけです。
発達障害はなんの依存症なの?
発達障害の3大症状を依存症状のように捉えることができたとしても、発達障害と依存症を結びつけるには、まだ肝心の部分が揃っていませんよね。「発達障害が依存症だとして、じゃあなんの依存症なの?」ということです。
アルコール依存はお酒、ニコチン依存ならたばこ、ゲーム依存はゲーム。というように、依存症として扱うからには、その原因の元となる依存対象がなければ話になりません。
発達障害を依存症に見立てるとしたら、なんの依存症だといえるでしょうか?
先に答えを言います。それは、「言葉」なのです。
私たちが話す、聞く、聞こえる、読む、書く、思考などで絶えず使っている、言葉が元凶なのです。
考察本シリーズの中でもお伝えしたように、私は長年、発達障害のグレーゾーン境遇にいましたが、25歳の時に決行した放浪旅をきっかけに症状が改善しました。当初は改善に貢献した要因がわからなかった為、症状の再発に悩みながらも、様々な仮説を立てました。その後10年にわたる考察の末に、『発達障害は言葉を要因とする依存症状である』という捉えかたをもとにした一貫性のある改善法を確立させることができたのです。
具体的な考察の経緯は考察本シリーズの中でお伝えしている為、本記事では要点のみお話しします。
人格とは依存症状の産物である
お酒やタバコ、ギャンブルでもいいですが、やめようと思っていても一度スイッチが入ってしまうと、もうそれがしたくてたまらなくなりますよね。
そういう衝動性はもう実際にやるか、時間経過で鎮静させるしかありません。そうして、日頃からギャンブルはもうしないと思っているのにやってしまい、やってるうちは楽しいのに終わったあと後悔する。お酒もそうですね。我慢の日々のあと、気が緩んで飲んでしまい、飲んだ後に後悔する。
これは意識が連続しているというだけで、一時的に別人格になってしまっていたと捉えることができます。ご経験のない人は想像するしかないと思いますが、依存症状によって発現する衝動性はそれくらいの強制力があり、意志の力だけではどうにも抗えないことなのです。
というわけで、あくまでも比喩的にですが、「依存症状とは別の人格を形成する症状である」といえるわけです。
依存症は物質依存と非物質依存に分けられる
比喩的に、依存症が別人格を形成する症状であるなら、通常は依存症状として観察されない主人格もなんらかの依存症状の産物ではないか、という視点でとらえることができます。
そこで前々項であげた「言葉」が出てくるわけです。
依存症の対象は医学的に、「物質系依存」と「非物質系依存」に分けられて考えられます。物質依存が、アルコールやニコチンといった物質系ですね。非物質依存がギャンブルやゲームなど体験のことを指しています。
平たく言えば、医学上、社会的判断を背景に依存症として扱われている対象があるというだけで、人間は何にでも依存症になり、どのような対象からでも依存症所以の人格が形成されてもおかしくない、というわけです。
これを前提に話を戻すと、私たちの人格は生後から言葉を習得する過程で形成された一症状に過ぎないものであり、その人格所以で発現している症状は言葉の使用量を管理することで強弱を変化させられる、つまり社会的改善が期待できる、ということです。
ここまでを前提知識として、改善法の話を進めてきます。
依存症状の改善プロセスが超活用できる!
つまり本記事で提唱するお話しは、メカニズムが完全解明されていない発達障害症状というものに対し、本来望まれる改善法も確立されていない状況下で、一当事者の経験と自論に基づく改善法を採用するということです。
このようなアプローチを『経験的療法』と言います。公的な改善法が確立されてないこの時代で生きていくためにも、有用性を優先するという方針で読み進めてください。
というわけで、やっと本題です!
発達障害が言葉の使用を主要因とする依存症状だといえるのであれば、依存症の改善プロセスをベースとした発達障害の改善プランがつくれるはずです。なんたって、依存症の仲間ですからね!
まずは「解毒」ですね。依存症のもとをやめる、ということです。発達障害でいうなら、「言葉の使用を止める」ということになります。はい、そんなの無理ですよね(汗)
でも、よーく思い出してください。発達障害の治療方針や配慮事例の中には「言葉の使用量を減らすこと」がたくさんありますよね。
- 頭のごちゃごちゃが鎮まる薬
- 十分な休養、睡眠
- 授業が通常学級ではなく個別教室で
- 少人数のフリースクールに通う
- ネットやSNSを控える
- 業務は言語化したマニュアルで
- マルチタスクはさせない
- なんでも1つずつやる
- スモールステップを基準にする
など、これらは全て言葉の使用量を下げる効果があります。
運動や瞑想、マインドフルネスなんかも発達障害の改善に効果的だと言われやすいですね。これらもやっている間は「言葉の使用量が減る」という共通点があります。一時的に症状を鎮静させ、パフォーマンスが回復する効果が得られるわけです。
発達障害を言葉の依存症としてとらえる考え方を知らなくても、既に社会は蓄積された経験則からその原理に沿った対策を取り入れているのです。
次に後遺症の改善です。
3大特徴であるケアレスミスの集中力問題、コミュニケーション上の問題、仕事の習得困難が、症状の鎮静により改善できたとしても、依存症の改善プロセスに沿って考えるなら、なんらかの後遺症を抱えているはずです。
例えば、発達障害症状に振り回された間に習得しそこねた、社会通念上、基本となる能力の欠如はまさに後遺症そのものでしょう。言葉の解毒により症状が鎮静しても、知識なり感覚なり、足りない能力を再習得する取り組みが必要であるということです。拙著『発達障害考察本: 31歳までグレーゾーンだった私がやってきた改善法』で提唱したケアレスミスやコミュ障改善法のような日常の動作を活用したトレーニング方法が理想的です。
最後はスリップ対策です。
発達障害でいうなら「言葉をまた使用しないこと」となります。しかし、それは無理ですから、症状が診断域にまで悪化しないレベルを目安に、相性の良い職業に就くことが望ましいです。それはズバリ、「人とあまり関わらなくてもいい仕事」です。なぜならそういう仕事は、言葉をあまり使いませんからね。逆に症状を活かすなら、喋るまくる営業職につくなど、そういう対比で考えるとイメージしやすいと思います。
思い出してください。発達障害が認知される前、古くからコミュ障は「人と関わらない仕事がオススメ」なんて言われるのが定説でしたよね。コミュ障には発達障害が多そうです。そして発達障害は言葉の依存症である為、言葉の使用量が少ない仕事なら症状が悪化しにくい為、そういう環境なら適応しやすいわけです。したがって、コミュ障が漂着する場として、人と関わる機会の少ない業種が実態として形成されていくのは人間社会の必然なのです。
発達障害を依存症に置き換えることで、いろいろ答えあわせができましたね。あくまでも私の当事者考察による説ですが、発達障害の改善法を考える上で、依存症の改善法を参考にできるという点は間違いありません。
今現在、自助努力で頑張っている人も、一度、依存症の改善プロセスを参考にしてみてください。依存症の方が蓄積された医療的知見が豊富にある為、考察に関わる時間や難易度を大きく下げることができます。
ここまでが考察本シリーズでもお伝えした範囲です。本記事では要点のみですので、より詳しく知りたいという方はぜひ書籍の方をお読みください。発症の機序から症状の捉え方、改善法から後遺症対策まで、全てを「発達障害依存症説」という一貫性でまとめています。
ある問題のメカニズムや改善法を考える上で、一貫性は説得力を維持する上でとてもとても重要なことです。
Aさんが考えたA方式と、Bさんが考えたB方式、この2の方法を組み合わせて解決はできたとしても、そのアプローチはメカニズムの考え方が異なるため、結果的に改善法が有効だったといえるだけです。でも、メカニズムと改善法の考え方が結びついているCさんの考えたC方式なら、これ一つを採用するだけで解決できる。合理的で、説得力も担保される。どちらを優先するかは言うまでもありません。
発達障害を改善する上での課題
ここまでの内容で、あなたは発達障害の改善法を自力で考えられるようになりました。つまり、依存症状という的に絞って考えれば良いのです。それが冒頭でお話しした「とかっかり」に値することなのです。
発達障害者は、ネットのインフルエンサーの発信や関連書籍をたくさん読んで「発達障害コレクター」になっている人も多いのですが、そういう人で改善できている人はみたことないです。なぜなら所詮はコレクターなので改善に繋がる行動をしていない上、症状が鎮静できていない状態で社会人活動を継続しているため、その人格がより定着してしまうからです。
発達障害でも生きやすくなる!とうたってライフハックを発信する→読んだ人が楽しむ→でも症状は改善しない→生きづらさが解消されない→またライフハックを参考にする→新たなライフハックを発信する……というマッチポンプのようなことが起きているわけです。本当に生きやすくなるのであれば、今ごろ発達障害で生きづらいと言う人はだいぶ減っているはずなんですけどね。
そんなグループの仲間入りをしたくなければ、依存症の分野一本に絞り込んで対策をとっていきましょう。
ただ、「改善できた」と自他共に認められるほどになるには、大きな課題と、長い道のりがあるのです。
言葉の使用をやめて「回復域」を体験することが難しい
言葉を原因とする依存症状を鎮静させるには、言葉の使用を控えることが第一です。少しやめるくらいなら簡単ですよね。小休憩、睡眠、瞑想、ヒーリングミュージック、運動、いろんな方法があります。しかし、「完全に止めて、大きく回復する」となると日常の営みの中では難しいです。
私が症状から完全回復できた放浪旅は、野宿暮らしのガチ放浪旅だったので、リュックにテントや寝袋、着替えなど、様々なものを背負っていました。重さは10kg以上あり、重すぎるので一歩進むのもかなり大変です。その上、旅を始めてから早々に足の指に靴擦れを起こしてしまい、一歩あるく旅にペンチで足指をつねられているような激痛を抱えながら、一日多い時で30km近く歩いていました。足指の甲の皮が捲れて、肉をえぐりながら歩いていた状態です。そうこうしているうちに、痛みを紛らわす為に考えるのをやめました。そして夜は日記の執筆です。認知療法の一環で、その日見たこと、思ったこと、考えたことを全てノートにペンで綴る、という日記を書いてました。これは言葉を使いますが、インプットではなくアウトプットだったので、言葉の使用による症状の悪化にはならず、むしろ回復効果があったと考えられます。そんな生活を一ヶ月ほど送りました。
言葉の使用量を減らす、回復させる、と考えて、「家でじっとしている」程度のことを最上級にイメージしていた人はその考えをあらためてください。色々考えるのをやめたくなるほどの運動量と痛覚の刺激を伴うくらいじゃないと、頭の中を空っぽにはできません。
私は完全に回復できている状態のことを「回復域」と呼んでいます。精神疾患や発達障害の症状があらわれてない状態であり、つまり普通の人のコンディションです。その回復域だった時の心身や脳の調子を覚えているので、その後の日常の中で不調を察知しやすくなりました。回復した時の調子を感覚が覚えているから、違いがわかるのです。そしてすぐに必要な対応が取れるわけです。
当たり前のことですが、誰しも風邪を引いたら、まず「なんとなく察知」ができますよね。そして医者に行くなり市販薬を頼るなり、休むなりの対応を、自分の判断でとるわけです。風邪を引いていない時の調子を感覚がわかっているから、そういった早期対応ができるのです。
回復域というゾーンの上に「注意域」のゾーンがあり、その上に「診断域」があるイメージです。グレーゾーン当事者の多くがその「注意域」か「診断域」にいるわけです。
問題はグレーゾーン当事者の多くが、この回復域を体験しないまま生きているということです。心身の不調を抱えながらも、なんとなく察知ができない状態なのです。
そして、言葉の使用を止めて回復域になるには、長期の休暇や、休職中くらいの時しか機会がないということ。これも大きな課題です。 ちなみに、私が放浪旅をした時は無職の状態でした。放浪旅をするために仕事をやめてアパートも退去したのです。
お酒やギャンブルなどはその気になればいくらでも対策できます。椅子にでも縛りつければいいわけです。そうすれば、それ以上摂取できない・体験できないという状態を強制的に作り出すことができます。
しかし言葉は、話す、聞く、読む、書く、などは対策できても、頭の中の思考でも使えてしまうものです。
言葉というものは、完全に切り離すことができないのです。だから難しいのです。
後遺症対策のトレーニング方法の確立が難しい
後遺症を改善するトレーニング方法の話ですが、これを確立させることが難しいです。例えば、通常は小〜中学生の間に感覚的に理解する「空気をよむ感覚」や、勉強をして自分の知識にする学習方法を考える感覚は、大人になってからどうやって習得すればいいのでしょう? 大前提として、訓練しなければこの後遺症は絶対に克服できません。使わない脳の機能が育つことはないからです。
特定の感覚を鍛えることに狙いを定めて、反復訓練を以って脳に定着させることが理想です。しかし多くの場合、手探りの努力となり、効果的な方法を見つけられるまでに何年もかかるでしょう。実態としては、ほとんどの方が成就できずに一生を終えています。ネットで改善法を調べてもろくな情報が出てこないのはそのためです。
せっかく言葉の使用量対策ができたとしても、後遺症の改善法を特定するのに、その症状対策の専門家になるくらいの自助努力を強いられるわけです。これではまた言葉の使用量が増えてしまい、症状が再発してしまいます。
正直言って、自力で考案しようとするより、ネットでそれっぽい方法を手当たり次第に試して、相性が良いと思えたやり方を採用する方が効率は良いと思います。注意点として、必ずしも専門家の提唱する方法が良いとは限らない、ということです。
私が考察本の中でお伝えしたケアレスミスとコミュ障改善のトレーニング方法は、多くの方から目から鱗だと言われました。日常の中で起きた変化を逃さず見つけて考案した手法です。こちらもぜひご検討ください。
再発対策をしたまま生きることが難しい
再発対策は難しいというより、無理なんです。この社会の中で、言葉の使用をしないまま生きていくことは不可能だからです。常に再発の条件を満たしたまま、症状が悪化しないよう気をつけながら生きるしかありません。これが発達障害の最も厄介なところです。
せっかく回復域になれて、後遺症をトレーニングで解決できても、社会人生活に戻ればまた言葉をたくさん使うことになります。そうなれば症状の再発は避けられません。アルコール依存症を克服したのに、酒を飲みながら生きるしかないような感じです。
ですので、「言葉の使用量が少ない仕事に就く」という選択肢が、模範回答として揺るがないわけです。
史上最悪最凶に相性の悪い業種の代表例が、「オフィスワーク」です。言葉を使って進める業務はパフォーマンスが低下するので一発アウトです。学歴の整った発達障害者の多くが発達障害のおすすめ職業の話を鵜呑みにして事務系に就いてしまうのですが、よほどの幸運がないかぎり適応できることはまずありません。
対して、最も相性の良い業種の代表例が「工事現場などで働く警備員」です。仕事のほとんどが目で見て判断できることであり、体の動作だけで対応できるからです。1日中一言も発する必要なく、会話する必要もなく、立っているだけで済む現場も実際にあります。
あとテスター業務もおすすめです。テストで必要な操作は基本的に手順化されている為、その通りにやればいいからです。工場など製造系の仕事もおすすめです。要求される運動機能に左右されますが、作り方さえ習得できればあとは黙々とできるでしょう。
業種的には相性が良くても、オフィスワーク並みに言葉を交わし合う職場はいくらでもありますから、そこは面接時のヒアリングや試用期間中にしっかり確認する必要があるところです。
もちろん、相性が悪いと考えられる業種でも、周囲のサポートや知識、経験則、趣味趣向など、他の要因が支えになって適応できることは十分に考えられます。それでもオフィスワークは要警戒職種にかわりないですけどね。
本記事を読んでいる人の中には、「なるほど、だから自分は倉庫のピッキングならできるのか(黙々とできる)」と思っている人がいる一方で、「なるほど、自分はお金の計算が好きだから経理の仕事ができるのか(言葉の使用が多いオフィスワーク)」といった人がいることでしょう。
言葉の使用量のことを考えると、自分の人生の選択肢が極端に制限されているようで、なかなかポジティヴに受け止められないところではありますが、逆に、相性が悪いとわかっていれば、事前対策も考えやすいはずです。
自分の弱点とは、人生の壁であると同時に、その壁の弱点そのものでもあります。これも捉え方を変えて向き合ってみてください。
この部分に関する考え方が甘いと、わざわざ自分が適応できない職種について、受ける必要のない発達障害の診断を受けて、障害者として生きている、という納得しにくい人生を送ることになります。
単純な質問ですが、オフィスワークだと障害者だが、工場のライン作業員なら健常者として生きられるとします。あなたはどちらを選びます?
カリギュラ効果対策が難しい
カリギュラ効果という心理現象を聞いたことはないでしょうか。ない人でも、「人は禁止されると逆にやりたくなる」という話はどこかで耳にしたことがあると思います。「このスイッチを押すな!」と書いてあると押したくなっちゃうアレです。
私の経験則ですが、発達障害はこのカリギュラ効果の働きが強すぎであるため、禁止云々関係なく、認識した情報はなんでも逆向きに受け取ってしまうと考えています。この話をスケールを一言で言えば、標準的な教育を受けても反社会的思想が根付いてしまうような感じです。これも発達障害者にとって言葉自体が有害になる所以です。
人の脳には物事を逆向きに認識してしまう働きがあります。例えば疲れている時などに「右だよ」と答えるべきところで「左、あ、違った右!」と言ってしまったり、1か2しかない時に1と返事するところで「2、いや、1だった」という感じのやりとりをした経験はないでしょうか。職場で適応障害になる前はそんな症状が発現したはずです。
本記事ではカリギュラ効果の解釈を拡大していますが、「カリギュラ効果のように脳が逆向きに解釈してしまう」と単純に理解しておくことで、細かいことを考えず対処法を中心とした扱い方ができるようになります。これも有用性を優先する方針です。
対策法は、基本的に世の中のなにが正しいかは標準回答を基準にする、これにつきます。アホにならないためです。ですので、いろんな本を読んで、いろんな人と関わって、世の中のことを知るという営みが当事者には必要不可欠となります。
このように現象の輪郭と対処法は単純なのですが、これも発達障害境遇にいる人の人生難易度を上げている要素です。これを怠った人が、反社になったり反社も同然の有害活動を応援したり、調子が悪いのに働き続けて会社を恨むという感じでアホになるのです。
フリータイプの話法に負けてしまう
会話のタイプは二種類に大別できます。
相手の言葉を聞いて、思ったことを基準に応答する「フリータイプ」と、しりとりのように相手の言葉に対応した応答をする「リレータイプ」に分けることができます。
発達障害者は症状に振り回されながらも、生きていく術を追求する中で、否応無しに言葉の理解力が正確になってしまいます。しかしこの社会はフリータイプが中心の社会なので、どこにいってもうまくいかず、適応障害になりやすいのです。
長くなるのでこの話は下の記事に誘導します。
最後の壁 加害認知力が高くなりすぎてしまう
加害認知力とは、この漢字からでもなんとなくわかると思うのですが、ある行為に対する加害性を推し量る力のことです。例えば、思ったことを好き勝手に喋りまくる行為は、周囲に対する加害になりえますよね。
人の失敗を笑う、馬鹿にする、事実と異なることを押し付ける、なども加害です。(加害認知力とは私が解説用に作った造語です。どこかで用いられている専門用語ではありません)
子供と大人の区別をする時、私たちは実年齢や精神年齢などを基準に判定します。細分化すればいろんな種類が言語化できるわけですが、今のお話の中で注目してほしいのが、「加害認知力」というキーワードです。
単純に言って、加害認知力が低い人=子供っぽい、幼稚っぽい、のです。なぜなら、「周囲に害を与える基準がわかっていない様子」は、子供の特徴そのものだからです。 例えば、どれだけ仕事ができるとしても、周囲にハラスメントをする上司をみると、すごく幼稚な印象を覚えるのはこの為です。
業務上の損害は認知できても、他人の精神に対する加害を回避した対応ができない≒そもそも加害性が認知できていない=つまり「子供」ということです。
発達障害の改善を試みると、この加害認知力が高くなりすぎる副作用のような問題が生じます。脳のパフォーマンスが低下する仕組みについて、否応なしに詳しくなってしまう為、当然、他人に対しても気をつけるようになるわけですが、その他人に対する配慮はあらゆる点において、営利活動的には効率が悪く、無駄であり、不利益なのです。
例えば、新人に必要な注意ができない、周りに仕事を振れない、喋り方が畏まりすぎるなども、加害性を回避してやってしまう判断や行動の一例です。
逆に言えば、営利活動において効率が良く、有益な判断や行動というものは、少なからず加害性が含まれるということ。結局、病識をもたないまま傍若無人に振る舞う無自覚発達障害者の方が、職場で活躍できて、頼られて、評価されて、人間関係もうまくいく、というある種の皮肉な結果が実現するのは、この労働の本質と相性が良いからなのです。
病識を持って症状と向き合い、社会の中で真っ当に生きようと真摯に努めている人ほど、加害認知力が高くなりすぎてしまい、会社にとってはお荷物になる。
かといって、低すぎてもいけない。
自分はちょうど良い感覚をキープできても、職場の加害認知力が低すぎれば当然、そんな環境には適応できない。
発達障害を改善する過程で、否応なしに人の精神に対して有害が条件がわかるようになります。この社会は有害だらけであること医学上のエビデンスを背景にわかるようになります。
これが、発達障害の症状を全て克服した後に立ちはだかる壁なのです。
余談ですが、発達障害の生きづらさの改善をうたう情報の中には、病識レベルの低い当事者向けの情報が紛れ込んでいます。例えば「ADHDは衝動性のまま生きろ!」的なやつですね。そういう提案のほとんどは加害行動が増えてしまうものなので、自分と真摯に向き合いながら生きている当事者にとっては、現実的ではない方針だと思います。少なくともこの記事をここまで読めたあなたには選べない生き方でしょう。
症状を鎮静させたいのか、活かしたいのか、自分が目指したい生きづらさの解消の形をしっかりと見極めて、相性の悪い情報を参考にしないよう気をつけてください。
おわりに
発達障害を依存症として扱う。こう聞くとこじつけのように思えるかもしれませんが、 私が提唱していることは、言葉自体を「非物質系依存」として扱うアプローチということです。
そして、発達障害は依存症に置き換えられる、という主軸から改善法と課題の話をしました。つまり発達障害の生きづらさとは、依存症状の生きづらさに相当するのです。しかも、生まれつき依存症を抱えていて、その症状に振り回されながら生きているわけです。そりゃあなんにも身につきませんし、いろんな症状を抱えちゃますよね。
ここで、「生まれつき依存症を抱えている」という捉え方に疑問を持たれる方も多いと思います。依存症は通常の感覚だと、日常の営みの中で抱える症状ですからね。でも実は依存症の分野では、依存症は遺伝するというのが標準回答なのです。発達障害の分野では最近になってやっと、遺伝の可能性を示唆する言及が増えてきたように思います。実は身近なところにヒントがあったわけですね。
あなたの人格はどのようにして形成されたのか、覚えていますか?
答えましょう。あなたという人格をつくったものは、言葉だったはずです。
※補足:最近発売された『Newton(2024月11月号)』に収録されていた発達障害に関する最新の標準回答と自論との突き合わせをしており、持論を積極的に疑う必要はないと評価しております。気になる方は『INT_4:Newtonの発達障害特集で有用性の突き合わせ』の記事も後でお読みください!
はるか昔、人類は言語を習得しました。私たちはその頃から、言葉の依存症状を生体機能の一部として、次世代に引き継ぎながら繁栄してきた生き物なのではないでしょうか。
発達障害とは言葉の使用量が多すぎることによって陥る状態と考えられるのであれば、発達障害の症状は言葉を習得する年齢から発現すると推測できますし、学校へ通うことによって調子が悪くなる子供がいてもおかしくありません。そういう実態、聞いたことはないですか?
この記事に辿り着くくらいの人なら、「発達障害の診断を受ける人が年々増加している」というお話をどこかで聞いたことがあると思います。現代人は言葉の使用量が増えているのでは、と推測することができます。そういえば、私たちの時代にはそれまでの時代にはなかったものが増えていますよね。そう、インターネットです。現代のインターネット技術は、言葉の使用量が爆発的に増えた原因として指摘できるのではないでしょうか。ここまで分かれば、「ネットの利用を原因として発達障害の診断域に陥る人がいるのでは?」という推測までつくれるわけです。
最後にいろいろ派生した話をしました。この「発達障害依存症説」、面白いと思いません? 考えれば考えるほど、世の中に散らばっている発達障害のお話しと結びついてしまうのです。
発達障害という境遇は、「依存症」というキーワードをとっかかりにすることで、とても扱いやすくなります。症状や境遇の悪化を防ぎ、人生の選択肢を増やすことに繋がります。
この記事を読んだあなたは、その考察を自分一人で開拓できる考え方を得たはずです。
発達障害の改善は、はっきりいって難しいです。でも、単純明快でもあります。
なにをしても無駄だったという人も、もう一度だけ、やってみませんか。
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