普通の人とは何か。
人生の中で、誰しもが考えたことのある疑問だと思います。多くの人にとっては、いつだったか気にしたことがある程度の、どうでもいいことなのかもしれません。
しかし精神・発達障害の界隈では、一生向き合い続けるほどの深刻なテーマです。生きづらさの原因を考えていくうちに、あらゆる結果に対して、これは普通ではない自分のせいなのか、社会のせいなのか、その二択の迷路に迷い込むからです。
繰り返し、自分に向けられる周囲の言葉と真摯に向き合う営みが、この疑問を人格の一部として植えつけます。この答えさえわかれば、改過自新を効率よく進められ、普通の人と同じように生きられる道が想像できるからです。
今回の記事では、「普通の人」の基準となる模範回答をお話しします。これを知識として備えることで、外部要因との線引きがしやすくなり、生きていく上での悩み、特に自責思考に陥るパターンを減らすことができます。
それはすなわち、セルフメンテナンスに通じる術であり、生きやすさを末長く維持してくれる知恵となるのです。
普通の人・普通の人ではないと感じるポイント
普通の人と、そうではない人の違いについて話をする前に、まずその判定をするポイントを整理しましょう。
仕事をして働けていれば普通なのでしょうか? そうとは限らないですよね。引きこもりやNEETは普通ではない? そんなことはありません。手や足がないなど、身体障害者の人は、普通の人ではないのでしょうか。
精神疾患や発達障害の人は普通ではない? これも違いますね。じゃあ、GoogleやNASAで働けるような超天才は普通ではない? 人を殺した人は? 会話ができない重い知的障害者は?
そういう話じゃないんですよね。
それでも、私たちは日常の中で、心の中で相手を指して「この人は普通ではない」と察するタイミングが確かにあるわけです。逆にそう感じない相手のことは、少なくとも自分にとっての「普通の人」であるはずです。
その察知する要因になったものが、「普通の人とそうではない人を区別するポイント」になるわけです。
それは、『会話の応答』だったはずです。
会話は二種類に大別できる
普通の人ではない、と感じる要因は会話の応答にあります。以前の記事でもお話しした『リレー型(傾聴タイプ)・フリー型(競争タイプ)』のグループ分けをイメージするとわかりやすいです。
傾聴感覚で生きている人から見れば、競争感覚の人の応答は好き勝手に喋る子供のように思えるでしょう。実年齢と不釣り合いで、社会的判断力の欠けた印象はまさに普通の人ではありません。
逆に競争感覚で生きてる人から見れば、傾聴感覚の人の応答は、気にしなくてもいいことにこだわっているように思えるでしょう。こだわりがあらゆる損失の原因になることがわかってない様子は、普通の人ではないように見えるわけです。
両方の感覚があれば普通なの?
社会的に考えれば、傾聴と競争、両方に対応した応答ができること。それが理想だと思えます。しかし、それは難しいことなのです。
競争タイプの恣意的な応答に対し社会的対応をしていると、その相手は傾聴的感覚が強くなっていきます。競争タイプの言葉の意味をよく理解しようとするからです。
逆に傾聴タイプの規則的な応答に対し社会的対応をしていると、その相手は競争的感覚が強くなっていきます。感覚的に言わなくてもわかることまで言ってくるので、イライラするからですね。
すなわち、傾聴タイプと競争タイプ、どちらかのグループに属していること自体は普通であるということです。
会話の応答は、表面上の言葉を変えるだけなら簡単ですが、脳の反応までを変えることは、通常の社会人生活の中では実現できません。一度形成された神経伝達の性質を変えるには、それを強める要因から離れるしかありませんが、言葉の使用自体がその要因であるため、この言葉社会においてそれは実質不可能であるというわけです。「天は二物を与えず」の理は、こういうところにあるのかもしれませんね。
つまり何が普通なの?
前述した通り、傾聴タイプから見れば競争タイプは普通ではないように見えるケースがあり、逆に競争タイプからみれば、傾聴タイプの人は普通ではないように見えるケースがあるわけです。
競争タイプ同士、傾聴タイプ同士なら別に気にならないのかもしれません。
すなわちどちらにいようが普通であり、これは、自分で自分のことを普通だと思えているかどうかの問題なのです。
そして、普通ではない境遇に陥った時にどう対処するか、という話なのです。
傾聴タイプの注意点
傾聴タイプは人の話をよく聞けますし、説明も上手です。これで業務の遂行力も負けていなければいいのですが、親が競争タイプだったなどで、無自覚のうちに傾聴タイプに調教されてしまったタイプはなかなかそうはなりません。
このタイプは競争タイプから「仕事ができないくせに賢ぶっている」などという印象を持たれやすく、嗜虐性の矛先を向けられやすいのです。
傾聴タイプで転職を繰り返している人は、面接ではいい感じやりとりできるのに、いざ働いてみるとすぐに冷たくされるというパターンを何度も経験していることでしょう。それは傾聴感覚の乏しい競争タイプが、あなたの傾聴姿勢を業務の遂行力だと混合し、勝手に非現実的な期待をして、勝手に失望して、勝手に騙されたと思い込んでいるからなのです。
この関係性がわかっていないと、「自分は仕事ができなくて人の指示もろくにきけない障害者なんだ」などと思ってしまうわけです。でも実際には競争重視の環境で働いてしまっただけ、というのが真実です。
ですので、基本的に傾聴タイプの人は、実力主義(傾聴よりも競争重視)の職場には近づかないようにしましょう。100%避けることはできませんが、ネットを使った企業リサーチを徹底すれだけでも、ミスマッチの可能性を下げることができます。
競争タイプの注意点
競争タイプは、周囲の言葉に翻弄されず、必要な行動をすぐに察知して実行することが得意です。業務の処理力としてとても頼りになります。
しかし、傾聴タイプから見れば、自分勝手に行動しているように見えますし、会話で我を出しすぎるので、プライドが高いなどと思われやすいです。
社会的対応を基準に考えれば、傾聴あっての競争ですので、過度に競争的態度が目立つ場合はどうしても人物評価の面で不利になりやすいです。仕事の成果が認められて管理職になれたとしても、部下は次々とあなたのせいで適応障害になったり病んだりで、特にこれからの時代は居場所がなくなるでしょう。
対処法は傾聴とは逆で、実力主義の職場に行けばいいのです。しかしそういう職場は傾聴タイプを「仕事ができそうで真面目で文句を言なさそうな人」と評価して積極的に採用しているケースがあることに注意です。
ミスマッチを防ぎたい場合は、見学や体験を実施している企業を重視し、試用期間中も目を光らせて、合わないと感じたらすぐに辞めましょう。
まとめ 普通でいたければ、合わない環境にいかない
この社会は仕組みの都合で、どうしても競争姿勢が有利で評価されやすいです。自分が普通ではないと思い込んでいる人の多くは傾聴タイプだろうと推測できます。
しかし、それらは単なる外部要因に過ぎません。自分と相性の良い環境の多さ云々は、自分が普通であるか異常であるかを評価する要素にはならないでしょう。
今、自分は普通の人ではないと悩んでいる人も、本記事でお伝えしたように、傾聴タイプは実力主義の環境を避け、競争タイプは傾聴主義の環境を避ける。これを生きる術として身につけていれば、今のように悩んでいなかった人生を歩んでいてもおかしくなかったのではないでしょうか。否定はできませんよね。
合わない環境に長くいると、精神疾患を発症する確率を高めるだけなので、基本的には離れる方向で考えましょう。この社会は、自分の評価は他人が決めることを社会的判断としています。合わない環境にいても、自分は普通ではないと刷り込まれるだけなのです。
コメント