発達障害考察本外伝7 “No Word, No Life”

 これまで私は自分自身の経験的療法に基づく発達障害の改善法をお伝えし、その考察の集大成として発達障害依存症説と、発達障害の治療用デバイスも考案しました。

 本作では発達障害依存症説の根底にある、人間の人格は依存症の産物であるという捉え方をもとにした、現代社会の実態考察をお話しします。

 発達障害考察本1をお読みいただいていることを前提としていますが、本作からでもお読みいただけるよう、要点をおさらいしながら進めていきます。

 


発達障害考察のおさらい

 まずはじめに、どのようにして私の考察が始まり、考察本でお伝えしたような自論に発展していったのかをおさらいします。まぁまぁ長いですが、大きな変化のポイントに絞ってお話します。▶︎をクリックしてお読みください。

前編

 中学二年生の時、いじめられ体験を通して自分自身の奇異な人格を自覚できた私は、その後は普通の人になることを目指して生きることにしました。この時から発達障害のことを知らないまま、発達障害の考察人生が始まったわけです。時は1996年、まだ発達障害の認知度は今のように広くありませんでした。

 この頃の気づきは、後に定説となる発達障害の標準的な特徴をおさえていました。例えば、これは何かの障害に違いないとか、1クラスに数名自分みたいな奴がいるとか、脳の働き方が人と違う、コミュニケーションの感覚がおかしい、などなど。

 しかし、普通の人になる努力は思うように成就せず、人間関係のトラブルを起こし続けました。日々、手探りの努力の中で、わずかな気づきを糧に邁進しますが、結局、人間関係の大きな失敗に挫折して高校を中退。
 その後は家業の飲食店への就職しましたが、そこも所詮は機能不全環境。両親の夫婦喧嘩と宗教、父のギャンブルに一家心中未遂。挙句に自己破産。

 その頃、ネットで発達障害のことを知りました。それまで考えていたこの謎めいた症状がそのまま書いてあると思えるほど自分の境遇を言い当てており、親も含めて診察を受けたいと強く思いましたが、当時地方に住んでおり、近くで診てくれる医療機関がなかったのと、家の状況的に診察どころではなく、結局その知見は自分の発達障害考察の中に取り込んだのみでした。

 二十三歳。店舗兼住宅の家が競売にかけられることを機会に、私は一人暮らしをはじめました。仕事はゲームやスロット、パチスロの動作をチェックする不具合検出業の会社に就きました。普通について考え続けてきた自分は、機械の仕様をチェックする仕事と相性が良い気がしました。

 狂った親の環境から離れたことで、やっと人生の軌道修正ができると思いましたが、その生活の中で私はストーカーになってしまい、同僚の女性に大変な迷惑をかけてしまいました。これも自覚できるまでに時間がかかりました。

 自分は、普通の人になるんだ、と気づきを大切にしながら人生を費やすつもりで生きてきたのに、結局普通になれなかったばかりか、やっぱり異常なままだったことが酷く辛く、この頃、本気で自殺を考えた時期もありました。

 実家の自己破産騒動の最中に発達障害のことを知っていた私は、このストーカーになってしまった件を重くみて、自助努力での克服を諦めて、大学病院での診察を受けることにしました。

 この時の診察で発達障害の疑いは否定されたものの、WAISなど各種知能・心理テストの結果の値は大体想像通りで、精神的に一区切りついた私は、発達障害を克服する為の放浪旅を決意しました。

 診察がおりなかった以上、発達障害の薬や、福祉や医療のバックアップは頼れません。でもこのまま日常の中でまた頑張っても、きっとまた同じ境遇になってしまう。人生を変えるには、もう脳の働き方を変えるしかない。それには、毎日同じことを繰り返す日常でただ気づきを増やすだけではなく、初めての体験が連続する放浪旅で脳を刺激するくらいじゃないとダメだ、という考えでした。

 

中編

 一ヶ月ほど、野宿暮らしの放浪旅をした後、東京のゲストハウスで社会人生活に戻った私は、一人暮らし中にもやっていた不具合検出業の仕事に戻りました。放浪旅中の後半、仕事ができるようになった変化の実感が得られたので、自分を試したくなったのです。
 その予感の通り、放浪旅前は細々としたミスばかりで、業務も十分に習得できずただのお荷物だったわけですが、この時は仕事がバリバリできるようになっていました。

 ケアレスミスも人並みで、障害を疑うほどではなくなりました。仕事や雑談の会話に頭がついていけるようになっていて、業務の習得も周りと足並みを揃えた感じでできました。ミスらしいミスといえば、経験の差異ややる気のありすぎによる判断ミスです。

 もうただの気づきだけじゃなく、脳の働き方が変化したことを明確に体感できたのです。

 特にわかりやすかった変化は、人の会話の速度についていけるようになったことでした。例えば、通常の時間感覚をYOUTUBEの動画再生速度1.0とすると、放浪旅前の自分は、0.5か0.75くらいの感覚で生きていたことがわかりました。その違いも放浪旅後の変化のおかげでわかったことで、放浪旅前は自分の感覚がそんな、他人と比べて遅れているなんて思いもしませんでした。

 この変化の仕組みを言語化できれば、それは発達障害の改善法に値することだろうと思い、その後の私は、自分の脳に起きた変化を言語化することを人生の目標にして生きました。

 仕事については不運が重なり、せっかく社員になれた会社をすぐ退職することになりましたが、二十代は自分がどこまでできるようになったのかを確かめるつもりでめげずに働き続けました。

 その生活の中で、ケアレスミスとコミュニケーションの感覚は完全につかむことができ、訓練方法も考案して自分なりに安定させることができました。

 しかしそれでも、症状が再発してしまう時がありました。発達障害の症状に悩んでる人にとってはイメージしにくいかもしれませんが、症状があらわれるコンディションとあらわれないコンディションがあり、それが脳の状態の違いとして明確に自覚できた、ということなのです。

 それなら、症状がでない状態で自分の調子を固定したいです。しかし、その条件がわかりませんでした。再発の条件も謎でした。発達障害のことを気にせず、調子良く働き続けられていると思えば、ある時、突然調子が悪くなり、また症状が再発した? という混乱に見舞われるわけです。その度にやっぱり発達障害は治っていなかったんだ……、とげんなりするわけですが、またいつの間にか症状が落ち着いていて、調子良く働けるわけです。

 そんなこんなでつまづくことも多い日常でしたが、ケアレスミスとコミュ障を克服できましたし、放浪旅前に比べれば別の人生と思えるほど心は満たされていました。

 そして、三十歳の頃に現妻と婚姻。私は個人事業主でネットショップを始めました。症状が再発しないよう常に構えていましたが、発達障害の症状は全く気にすることなく、開業手続きやらExcelを用いた青色申告の帳簿の自作、仕入れから販売、お客様対応まで、全部自分でできました。発達障害のことなんて、もう過去のことになりました。

 しかしこの自営業は売上が思うように伸びず、後に副業化して市内の工場へ就職。この時に働いた工場はそれまでに培った改善法が私を支えてくれたので、経験相応に習得できましたが、同僚の加害認知力の著しい低さを理由とする異動願いが叶わず、一年半で退職。
 その後は副業化していたネットショップを本業に戻すも、市場事情の変化によりいよいよ続けられなくなり、また求職活動。この時はネットの繋がりをご縁に秘書業務に就けたのですが、事前に話し合って決めた労働環境と著しく違っていた為にすぐに退職。

 預貯金的に余裕がなくなり、もう転職活動に使える期間がありませんでした。そしてすぐに雇ってくれそうだった警備会社に就職しました。

 最後に勤めた秘書業務は短期でしたが、そのわずかな間にも症状が再発したことが気がかりで、警備の仕事でも症状が出たらどうしようかと内心不安でしたが、ここでも症状の再発に悩むことなく仕事を継続することができました。

 この頃、人生初の天職となった警備の仕事に勤しむ中で、パチスロ依存の克服に関するエピソードを記事にしていました。放浪旅の後にも不具合検出業の会社に勤め、そこで自分の症状の改善を確認できたわけですが、退職後、私はパチスロ依存になっており、それがずっと克服できず、何年も依存症に悩んでいたのです。

 それがこの頃、ようやく依存症を克服できたので、やめられるまでの流れを言語化していたというわけです。

 その記事を書いている途中に、重大な気づきがありました。
 それは、依存症と発達障害の症状がとてもよく似ているということでした。

 

後編

 私が長年パチスロをやめられなかったのは、脳の仕様であるカリギュラ効果が原因でした。禁止を念じると逆にやりたくなる、脳にはそういう仕様があるのです。
 毎日欠かさず、常にパチスロの禁止を念じていた私は、この気づきの後から禁止の念じをやめたところ、まるで深い霧が晴れたように、パチスロやりたい衝動が脳から消えたのです。

 発達障害も、ミスをしてはいけない、などと気にして念じ続ける意識が症状の悪化を招いていることは明白でした。しかし、あくまでも悪化の要因であって、発達障害そのものの原因とは言えません。

 ここで考察が終わってしまいそうになったのですが、〝ケアレスミスをするようになる前から何かを念じていた可能性〟を疑うことで進展しました。実際、人生を振り返ってみると、私は子供の頃から色んなことを念じながら生きていました。
 虐待環境だったこともあり、脈絡なく怒られるというのが日常で、私はいつも怒られないパターンを意識しながら生きていたのです。

 この考察を経て、〝虐待環境が発達障害のの原因になるイメージ〟がもてました。今ではこれも定説になりつつありますが、当時は一部の専門家の主張にとどまる説でした。

 ただ、虐待とはいえない、一般的に健全と思われる環境で育った人でも、発達障害の症状に悩んでいる人はいるわけです。それは別の要因なのかもしれませんが、できれば多くのケースをまとめられる一貫性のある理論として成立させたい。

 その要素として注目できたのが「言葉の使用量」でした。

 立っているだけの時間も多い警備業では症状が再発しないことがヒントになり、孤独な一人旅で、誰とも喋る必要のなかった放浪旅のあと、症状が鎮静していた体験が決定打になりました。

 私の発達障害症状が再発したのはオフィス業務という言葉で仕事を進める環境にいた時で、どちらかといえば動作で仕事を進める接客や工場の仕事、自営業のネットショップや警備業では、症状が再発していなかったのです。子供の頃も、物心ついた頃から宗教の経文を覚えさせられ、宗教という自覚もないまま親の経文を聞くことが日常でした。言葉だらけの学校にいる間も症状に振り回されました。対して、土日や長期連休など家にいる時は比較的落ち着いていました。

 

言葉の依存症説 爆誕

 言葉の使用量が原因で症状があらわれる。この機序にぴったり該当するのがこの考察の入り口にもなった依存症でした。

 依存症は、アルコールやニコチンなど何らかの成分が要因となる物質依存と、ゲームやギャンブルなどの体験が要因となる非物質依存に分けられます。いずれも使用量や体験時間が依存度や症状の強弱に関わります。

 すなわち私の考察は、〝発達障害は言葉を主要因とする非物質依存の症状である〟という捉え方なのです。

 医学の分類上、発達障害が依存症として認められないものであっても有用性は重視する余地があり、発達障害を依存症に見立てることにより、様々な課題に対するアプローチを、個人レベルでも組み立てることができるのです。

 単純に、発達障害の対策となるとまだまだ雲を掴むような話になるわけですが、依存症なら一般常識からでもある程度対策がつくれますよね。

 蓄積された医療知見も頼りになります。例えば、発達障害の遺伝の可能性は昨今になってようやく認知されてきましたが、依存症の遺伝はもっと前から、統計的に遺伝することがわかっており、遺伝することは医療の標準回答でした。このように、発達障害の分野ではまだまだはっきり言及されていない知見が、依存症の分野ではもう常識になっていたりするわけです。

 余談ですが、更にスケールを広げた話をすれば、この考察は現生人類の時代にまで遡ります。人類は言語を習得した頃から、言葉の依存症を生体機能として引き継ぎながら繁栄してきた生き物だといえるのです。なぜなら言葉の習得は人格の獲得と同義だからです。

 話を戻しましょう。依存症として捉えられるなら、お酒に強い弱いのように個体差があるはずで、人間は言葉に強い弱いでグループ分けができるはずなのです。

 つまり発達障害の人とは、言い換えれば、〝脳の気質的に言葉に弱く、言葉を使用するだけでお酒に酔っぱらったような症状があらわれてしまうグループの人〟というわけです。

 そんな特性を抱えた状態でこの言葉社会の中で生きればどうなるかは、火を見るよりも明らかです。普通に生きているだけでも、お酒に酔っぱらったまま生きているようなことをしまくってしまうわけです。
 思い出してください。発達障害の症状とはどれも、無自覚に酔っぱらったまま生きていればやってしまうようなこと、陥るであろう境遇ばかりのはずです。過度なケアレスミス、奇異なコミュニケーション、習得の困難、どれも酔い症状に置き換えられます。

 この考察を結論とした私は、その後は言葉の使用量を管理した生活を基準にすることで、発達障害の症状の悩まない生活を獲得できたわけです。症状が悪化する条件も理解できているので、周囲の環境によっては症状が再発してしまうわけですが、大きな混乱はありませんでした。それは100%外部要因が原因なので、私のせいじゃないですからね。

 

本編

 私の結論を一言で言うなら、「発達障害は言葉の依存症である」ということ。その一言で言い表せます。ただこれだと依存症という症状への先入観から「言葉を使うことがやめられなくて仕方ない状態」というイメージを持たれる方が多く、意図通りに伝わらないことがありました。

 ですので最近は、「言葉は非物質依存である」と言うようにしています。この視点を持つことにより、言葉の使用という、私たちにとっては生態機能の一部と言っても過言ではないこの機能が、脳に及ぼす影響を、依存症の分野と同じテーブルで扱うことができるようになるのです。

 こうして、発達障害が陥っている境遇から改善法まで、多くの課題を網羅した上で言語化できたわけです。言葉という非物質依存の影響によりあらわれる症状の中に、私たちが発達障害と認知している特性がある、という考え方です。

 ただ、この考察の根底には冒頭でもお話しした通り、人類の人格はそれ自体が依存症状の産物である、という捉え方があるのですが、その観点を主役とした言語化はまだそれほどしていませんでした。

 ではここから本編として、発達障害依存症説をもとにした現代社会の実態考察をはじていきます。発達障害の話以上に、ショッキングな内容となることを予めご了承ください。

 

PHASE-1

全人類がアルコール依存症の惑星を想像してみよう
本作、考察本外伝7をきちんと理解してもらうために必要な話はなんだろう? と考えた末に、読者の皆さんにはまず、これからお話しする架空の惑星を想像してもらうことにしました。  ちょっとだけ想像力を働かせながら、これからのお話をお読みください。 ...

 

 以下、執筆中やで🤗

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