※4月5日加筆
本記事にはAmazonKindleにて販売中の『発達障害考察本:31歳までグレーゾーンだった私がやってきた改善法』の巻末に追加収録予定の内容を掲載しています。
本書は改訂版の内容としてご提供する予定ですので、電子書籍版をお持ちの方は原稿データ差し替え後、改訂版をダウンロードしていただくことでお読みいただけます。
しかし、ペーパーバック版をお持ちの方には無料でお届けする術がありませんので、当ホームページにて一週間のみ限定で無料公開することにしました。
追加収録の内容はあとがきのようなもので、内容もこれまでホームページなどでお伝えしたきたお話をまとめたような内容です。本編の追加には値しないものですが、どうしても読みたい方向けに無料公開を実施します。
原稿データを差し替える4月8日(土)に非公開にしますので、それまでにお読みください。
追加収録:4年後の私から
発達障害改善法の総括記事をブログに掲載したのが2018年、そして本書を出版したのが2019年4月。あれからおよそ4年の歳月が経ちました。
出版当時の私は警備士でしたが、現在は違います。昨年2022年のことですが、コロナ禍の影響で転職することになりまして、今は製造系のとある会社でその道の職人を目指しながら暮らしています。
本書の最後に、この4年間のことや今の近況、発達障害考察のその後を綴った本文を追加収録することにしました。
執筆当初は本書の続刊に収録するつもりで書いていたのですが、発達障害考察に関する私自身の発信ポリシーを鑑みた末、本書の巻末に収録することにした次第です。
口下手な私でも発達障害の話ならいくらでもできますが、読者には一日も早く発達障害のことなんて気にしなくてもいい日常を送ってほしいのです。本書はそういう願いも込めて制作しました。それなのに、続刊を読んでもらうことを見据えた執筆はしたくありませんでした。
ですので、今回の完全版への改訂および標準販売価格の改定を機に、本書に収録することにしたわけです。
4年間のこと
警備士として生きた5年間は充実した日々でした。嫌なことも楽しいことも全部含めて、自分の成長を実感しながら務めることができました。将来的には指導教育する立場になろうと資格取得に向けた勉強も続けていました。
普通の人としての暮らしができていると結論した後に、ネット上で使う筆名も改名しました。今は「平極ルミ」(ひょうごくるみ)と名乗っています。来未炳吾(くるみひょうご)の文字をずらしただけですが、「発達障害の凸凹を平らにした」という感じで、「平らを極めし者」という意味を込めています。
しかし、コロナ禍のせいで勤め先の警備会社への依頼数が減少し、隊員が配属される現場数も激減。給与形態が日給である都合上、勤務がない日は収入もありません。そうしてこうして、生活費の為に転職を余儀なくされたというわけです。
私は2020年のコロナショックの時でも、勤務予定が白紙になった隊員が多数いる中、ずっと週4〜5日ベースで現場に配属された隊員の一人でした。それでも、昨年はそれが難しいようでした。
転職を決意した理由はもう1つあります。それは私が40歳を迎える歳だったからです。もし人生を変えるつもりで新しいことに挑戦するなら、これが最後のタイミングかもしれない。そう考えた私は、職業訓練校に通ってプログラミングを習得することにしたのです。
長年、構想止まりだった発達障害の治療に必要なデバイスを開発する為でした。
◇ ◇
私のホームページなどにアクセスしてくださった読者はご存じかもしれませんが、本書に記した内容は私の発達障害考察の中でも、改善に必要な行動に関わることが中心であり、発達障害そのものに対する考え方についてはあまり触れていませんでした。
私は発達障害の正体を〝依存症〟の類だと考えているのです。
発達障害の関連情報や当事者からの話を聞いたことがある人なら、「発達障害は依存症になりやすい」という話をどこかで聞いたことがあるかもしれません。私が言っているのはそういうことではなく、発達障害そのものを依存症状としてとらえるという考察なのです。
その考察は『言葉の使用量を管理する必要性とその方法』と題してまとめた後に、ホームページ上に掲載しました。
ここではその内容を噛み砕いてお伝えします。
「言葉の使用量」を管理する必要性とその方法
私は中学生の頃にいじめを受けた体験を通して自身の奇異な人格を自覚し、「普通の人」になることを人生の目標としましたが、どれだけ普通の振る舞いを意識しても対人トラブルは絶えず、労働者になった後は過度なケアレスミスや習得の困難が悩みに加わりました。そんな境遇から脱するきっかけとなったのが、本書でもお伝えしたように25歳の時に決行した発達障害を克服する為の放浪旅だったわけです。
その後も症状が一時的に再発することがあったものの、本書の第1〜2章に記したケアレスミスとコミュ障の改善法を独自の訓練を通して習得し、症状の発生頻度や周囲の評価を取り入れた上で、「自分は症状を改善できている」と結論しました。
症状の再発条件は長らく謎のままでしたが、工場の作業員や警備員の業務では再発しなかった経験を通して、人格意識と発達障害症状の機序には「言葉の使用量」が関わっていることに着目しました。そして「言葉を要因とする依存症状なるものがある」と考察した私は、症状が再発しないよう「言葉の使用量」を管理した生活様式を日常に取り入れたました。その後の生活では想定した通り症状が再発しなくなり、フラッシュバックや不眠、突発的な怒気など二次障害とされる症状の頻度も鎮静したのです。
実はその「言葉の依存症」というとらえかたが第3章にあたる部分なのですが、改善に必要な行動をするだけなら、発達障害を依存症としてとらえる物騒な考察なんて別に知らなくてもいいので、考察初期の着眼点となった「感覚モード・思考モード」という気づきを主に本書では言語化したのです。
本編では思考モードのことを、何事に対しても思考的な意識で向き合ってしまう状態という風に解説しましたが、これを依存症状に置き換えれば「感覚機能が麻痺している状態」だといえます。そして言葉を使う状態から解放されると少しずつ麻痺が解けるので「会社からの帰り道になると仕事中はわからなかったことがわかってくる」というわけです。
お酒を飲んでいる間は酔う、飲むのをやめれば時間経過で酔いから醒めていく、流れはそれと同じです。
◇ ◇
発達障害の症状は疾患名からなる医学上の基準だけではなく、当事者の病識や各医師の見解、各機関が定める定義など多岐にわたります。それでも、少なくとも自分の主たる症状だった「過度なケアレスミス・偏向的なコミュニケーション・習得の困難」は依存症の症状に相当します。それらは昨今のメディアでも積極的に使用された「大人の発達障害」に挙げられる主症状でもあり、様々な精神疾患の素因にもなりうることから、「発達障害を依存症としてとらえる仮説」は追求する余地があると考えました。
◇ ◇
依存症について考える時、通常は「健常的な人格意識」に対して、依存症なるなんらかの要因が脳に影響を及ぼしている関係性を想定するでしょう。したがって脳には「依存症ではない状態」と「依存症の状態」があり、世の中には「依存症にかかっていない人」がいる一方で「依存症にかかっている人」が存在することになるわけです。
依存症の定義は「世界保健機関」(World Health Organization,WHO)、「疾病及び関連保健問題の国際統計分類」(International Classification of Diseases,ICD)、「精神障害の診断と統計マニュアル」(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders,DSM)など各機関によって症状の要素を詳細に分けていますが、依存症の特徴は大別して「衝動」と「麻痺」の要素に分けられます。例としてギャンブル依存症なら「ギャンブルをしたくなる衝動」と「金銭感覚の麻痺」と分けることにより、当事者が陥る境遇は概ね想像できるようになります。依存症はそのように輪郭をとらえられる単純さを有しており、専門家ではない一般人でも経験則から依存症の影響有無を判定できるわけです。
依存症の有無は「やめたくてもやめられない意識」と、「社会人生活を営む上で不都合が生じている事態」が結び付けられることにより判定されます。しかしながら「社会的な不都合」とは症状を抱えたまま活動することによって陥った境遇に過ぎませんから、症状有無の判定基準に含めるべきではないでしょう。
この方針にて人格意識の機序から整理すると、そもそも人格意識とはそれ自体が依存症状の産物であるという結論に帰結するのです。
◇ ◇
依存症にかかったことがある人は想像しやすいと思うのですが、衝動性が強くなった時は平常心からかけ離れた人格になってしまう時がありますよね。例えば喫煙者なら煙草が吸いたいのにライターが見当たらない時のイライラとか、ギャンブルでありえないほど負けてしまった時なんかに、家族や友人など身近な人に強くあたってしまったことがあると思います。
そういう時にあらわれる人格は短命で通常は時間が経てば鎮静するわけですが、「依存症状は別人格を形成する」ということがポイントで、「人格というものは依存症状が形成した症状」であり「人格は依存症の性質を有している」と考えることができるわけです。
◇ ◇
依存症の発症には当事者の習慣や境遇が関わる他、統計的観点から遺伝要因も関わる報告があります。そして発達障害も同様に、症状発症の要因には境遇や遺伝が関係する報告があるのです。
依存症の要因は、アルコールやニコチン、ドラッグなど精神に作用する物質を摂取する「物質系」と、ギャンブルやゲーム、ショッピング、性行為など特定の行動や関係、体験にのめりこむ「非物質系」に分けられます。
本論にて依存症の対象として想定する「言葉」をこの基準に当てはめると、言葉は「非物質系」に分類できます。
人類の歴史と進化の過程から推測するに、人類は言語を習得してから先天的に言葉の依存症を抱え、生涯を通して言葉と密接に関わり合いながら活動し、その依存症状を生態機能の一部として保持し、遺伝システムの一要素として次世代に引き継ぎながら繁栄してきたといえます。
現代社会においては、「言葉の依存症」を要因とする症状が「個性」として扱われていたり、「発達障害」など他の症状として分類されている可能性が指摘できます。昨今話題のAPD(聴覚情報処理障害)やHSP(Highly Sensitive Person)も依存症状の観点から考察できます。APDの人の言葉がよく聞き取れない症状は麻痺のようですし、HSPの感受性の強さも依存症者特有の様子です。
お酒のせいで酔っ払った状態の人を見ても、私たちは「アルコールの影響だ」と理解できますが、もしそれを知らなければ突発性躁症候群なんていう名前がつけられ、それが個性として扱われ、「お酒を飲んだあとは躁がでやすいよね」なんて言われていたかもしれません。
◇ ◇
前項にて「依存症状は衝動性と麻痺に大別できる」と述べましたが、発達障害に挙げられる症状も要素を分解することにより「衝動」と「麻痺」に大別できます。以前より発達障害は衝動性の高さが主症状として指摘されていますから、麻痺の面に注目することは当然といえるでしょう。
大人の発達障害に挙げられやすい主症状に絞っても、過度なケアレスミスは「集中に関わる感覚の麻痺」、習得の困難は「記憶や体験の定着に関わる機能の麻痺」、コミュニケーションに関しては「社会性の麻痺」といった風に、なんらかの感覚や機能が麻痺している症状としてとらえることができます。
いずれの症状も依存症のような強制力があり、自分の意思で解消することは困難です。
◇ ◇
定義上は依存症にも発達障害にも当たらない「健常的な人格意識」も、それを構成する要素から観察することにより依存症と同定できます。例えば子供が1つのことに夢中になって調べている様子は、「他への関心が麻痺している様子」として注目すれば依存症状たる輪郭が見えてきます。しかし、たとえその特徴が依存症状のような持続性を有していても、現代では社会生活を営む上で有益(あるいは無害)な結果に通ずる要素は「個性」として認知され、不都合な結果に通ずる要素だけが、依存症や何らかの疾患・障害として疑われるわけです。
これら症状の強弱やあらわれかた、持続性にはアルコールの酔い覚めのように個人差があり、定型発達者(健常者の総称)は衝動性と麻痺が強まりにくく、一時的に強まることはあっても短期間で鎮静します。したがって学習や対人などシチュエーション毎に適した意識が保ちやすく、総じて診断域に陥りにくいといえます。
対して非定型発達者(精神疾患や発達障害者に該当する者の総称)は衝動性と麻痺が強まりやすく、あらゆるシチュエーションにおいて言葉の使用を余儀なくされる現代社会で活動することにより、症状が否応なしに持続・増強してしまい、各場面に対応した意識を維持しにくいわけです。
◇ ◇
依存症からの回復条件は何よりも依存対象を遠ざけることが重要です。これを禁断症状がなくなるまで続け、寛解後も自分に近づけないまま症状が鎮静している回復域を維持することが望ましいです。罹患期間が長期間に及べば、寛解できたとしても社会復帰に向けた訓練が必要となるケースがある他、精神面や臓器機能などに後遺症を抱えるケースもあります。
依存症と後遺症はセットで考えることがポイントです。
発達障害からの回復にかかる工程も依存症と同様の条件から設定できます。
私は放浪旅中、単独行動だった都合上、通常の社会人生活よりも他者の言葉と関わる機会が少ない境遇に身を置いていました。これは依存症治療における「解毒」の期間に相当するでしょう。症状が回復した後も感覚の精度を維持する為に独自のトレーニングを考案し、その感覚を平常時の能力として定着させる工夫をしました。これは依存症治療における「リハビリテーション」ですね。しかし、言葉で業務を進めるデスクワークや接客販売業に就いた途端に症状が再発してしまいました。これは依存症で言うところの「スリップ」(再発)だといえます。アルコール依存症を治療する為にお酒を控えていた人が、自分でも知らない間にまた飲酒してしまったような感じですね。
本書で提案した改善法もこの依存症の改善プロセスを踏んだ内容となっていますが、このようなアプローチ法は主流となっていない為、発達障害症状の改善を試みた多くの人が、なんらかの訓練を通して特定の感覚を鍛えるリハビリテーションに執着してしまい、肝心の解毒やスリップ対策をしていないのが現実です。これではアルコール依存症者が毎日お酒を飲みながら改善法を考えているようなものですね。
◇ ◇
発達障害の改善を謳う情報の中には「運動」や「瞑想」を推奨する媒体や、その効果を研究する論文が存在します。現時点で言葉そのものを依存対象として扱う媒体は確認できていませんが、運動や瞑想、そして本論にて提唱する生活様式は「意識から言葉を減らす」ことにおいて実行者の状態が共通しており、他の媒体と注目点は異なるものの、同様の改善結果を得ている可能性が指摘できます。
精神障害者と発達障害者に対する合理的配慮事例にも「業務指示は一つずつ行う」「静かな場所での休憩」など、その一時における言葉の使用量が少なくなる配慮を含むものが散見されます。
◇ ◇
次ページに、ここまでに述べた症状の発症から悪化・再発・回復までを想定した過程をフローチャート図にしたものを掲載します。
衝動と麻痺が鎮静している状態を第1段階とし、定型発達者はこの回復域を維持したまま活動していると想定します。
対して先天性とされる発達障害者は生まれつき第2段階に相当する状態であり、回復域への移行、あるいは回復域の長期的な維持ができなかったことにより、第3段階に移行したと想定します。
後天的に発達障害を抱えたケースは、生まれた時は第1段階だったとしても、家庭環境など後天的な要因により第2段階へ移行し、そのあと第3段階にまで移行したと想定します。
私の場合、生誕時点で第2段階にいたと想定できます。父母はアルコール量も多く、特に父においては8人兄弟という大家族の中で育ち、ギャンブル依存に加えて啓発ビジネスに執着があり、その依存的な脳の性質が強く遺伝したタイプだと推測できます。また父母はある宗教の信者であり日常的に経文を唱えることを営みの一部としていました。
レストランだった店舗兼住宅では一日中有線音楽が流れていて、その音は住居スペースにも響いていました。
私の非定型的人格は誰からも障害特徴として認知されないまま普通学級の生徒として扱われた上、四六時中、脳が言葉を認識し続ける境遇で育ちました。そうして症状が悪化の一途を辿った末に第3段階へ移行してしまったと想定します。
25歳の時に決行した放浪旅により体感として実感できるほど症状が鎮静し、この時は第1段階へ移行していたと思われます。その後もオフィスワークや接客販売業に勤めていた時を中心に症状が再発してしまいましたが、当時は言葉に囲まれた環境が再発の条件だと気づけませんでした。そして34歳の時に勤めた警備員での業務を通して、症状の再発には「言葉の使用量」が関わっていることに気づきました。以降、言葉の使用を少なくした生活を意識したところ症状が再発しなくなり、数々の二次障害も鎮静していきました。
◇ ◇
依存症と発達障害は通常別の疾患として扱われますが、類似する要素に注目することにより、依存症は発達障害症状の性質・境遇・発症要因から回復や予防に必要な条件まで、一貫性を持たせて考察をする上で手本となるモデルだといえます。依存症の機序もまだ十分に解明されていませんが、蓄積された医療的知見の恩恵により発達障害考察に関わる敷居を下げられることは利点だといえるでしょう。
将来的に医学が発達障害を依存症に分類する、そんな未来があるかもしれません。たとえそうはならなかったとしても、このアプローチは医療や福祉の支援を頼れないグレーゾーン境遇にいる人や、症状の改善願望が強い人にとっては有力だといえます。はっきり言って「発達障害を治す方法」を考えるのは難しいです。書籍やネットで調べても治せないことを前提としていたり、改善できると言いつつも具体的な方法論が記載されていない情報がほとんどかと思います。なにより、あなたの人格という症状を尊重し大切にあつかおうとします。調べれば調べるほど症状をねじ込むだけなのです。
でも依存症というアプローチならストレートな言い方ではないにしろ、人格という要素を症状という観点からあつかいますし、「依存症を治す方法」なら特別な知識がなくても、一般常識レベルの知識でもプランを立てることができるはずです。
有症状から回復域までを行き来した私なりに当事者の状態を形容すると、身も蓋もない言い方ですが発達障害の境遇というものは「意識が素面(しらふ)のまま、脳だけが酔っぱらっているような状態」です。他の当事者と会話をした時もその振る舞いからアルコールの酔い症状に挙げられる「◯◯上戸」(笑い・泣き・怒りなど)や多弁、寡黙が連想できる時があります。
実際、当事者はその例えのように酔っぱらった状態のまま活動すれば避けられないであろう結果を日常的に繰り返してしまいます。平常時の意識そのものが症状の影響下にあることを自覚しにくい境遇にあり、犯罪行為など社会的規範から逸脱した行動をしている時ですら、その異常性を自覚できないことがあります。
この世界にはお酒に酔いやすい人がいるように言葉に酔いやすい人がいて、その人はこの社会で生きている限り、一生その境遇から抜け出せないのです。例外があるとすれば、私のように言葉を使用することで脳が依存症に陥ることに気づき、言葉の使用量を少なくする生活を意識している人くらいでしょう。
こんな症状を「個性」として保護するより、一定の改善法があって然るべきだと私は主張します。
◇ ◇
発達障害の症状が言葉を要因とする依存症状であるのなら、「言葉の使用」を断てば良いです。アルコール依存症なら酒をやめる、ニコチン依存症ならタバコをやめる。それと考え方は同じです。
しかし、人の営みは言葉によって成り立っているので、最難関の課題だといえます。ただの雑談から仕事の会話、考える時も読み書きをする時も、私たちは生きている限りありとあらゆる場面で言葉を使います。他の依存症と違い、言葉の使用量をゼロにすることは不可能なのです。
それでも「言葉の使用量を管理」することにより、「減らす」ことはできます。本論のタイトルにもある『言葉の使用量を管理する必要性とその方法』とは、一人一人が自分のおかれている意識の状態を把握し、回復域を維持したまま活動する術を獲得することです。
これを社会全体が生活様式として取り入れる為には、「言葉の使用量を計測・視覚化できるシステム」が必要不可欠です。
そこで考案したものが『言葉の使用量を計測するデバイス』なのです。
次ページに、私が職業訓練校に在籍している間に制作した『ワードカウンター』(試作品)の写真を掲載したのでご覧ください。
技術的な話を抜きに仕組みを説明すると、マイクが音を検知するとマイコンに信号が送られ、その検知時間を計算式の一部にして、液晶ディスプレイ上に時間や字数が表示されるというものです。
といっても、検知時間の総計を割り算しているだけなので、話した言葉が長くなればなるほど実際の発音数からはズレていきます。
声を1音1音、区切って計測できることが理想なのですが、私のスキルでは実現できませんでした。
◇ ◇
私はこの考察と試作品の開発を実績の1つとして掲げて求職活動をする予定だったのですが、訓練校在籍中に開発者になる道を断念しました。
私のプログラミングスキルは、同じクラスの生徒のなかでは中の上くらいだったと思います。しかし、企業説明会や面接の場でその分野の第一線で活躍している方々から話を聞いていると、IT業界未経験・IT系資格未取得・39歳︙︙そんな自分がやっていくには、会社の社員教育力について格別な仕組みが必要なことが想像でき、それが就職活動の方向性として現実的な道だと思えなかったのです。ちなみにプログラマの世界は「35歳定年説」という言葉が生まれるほど、若い人が重宝される業界です。
それでも「障害者の福祉用品開発と関わりのある企業に勤めたい」という気持ちだけは残りました。それは言葉の使用量を計測するデバイスを考えている時からずっと想っていたことでした。
その後いろんなご縁を経て、現在の会社に就職することができました。
福祉用品の開発をメインとしている企業ではありませんが、その分野でも輝かしい功績をもつ企業でして、自分なんかが就職できたのは本当に幸運だったと思っています。
雇用形態は一般雇用ですが、クローズ入社ではありません。会社は私がアスペルガー障害の診断を受けていて、障害者手帳を所持していることも知っています。
近況の話
入社したばかりの私は、ハンドワークスキルが求められる製造系の業務は未経験ということもあって、まだまだ多くの場面で教わりながらでなければ仕事を進めることができません。入社される方のほとんどが他業種からの転職らしく、社員教育にかける熱意に救われている感じです。症状が再発する気配もありませんので、このままやっていけると思います。
今は仕事の習得を最優先に考えていて、仕事から帰った後も家のことが終わった後は空き時間を利用して、習ったことをノートにまとめたりしています。
発達障害症状を改善できた警備士の頃から、私は自宅での学習ができるようになりました。机の上に参考書を広げて内容を読み、大事だと思えたことを自分なりの言葉でノートにまとめて書き留める、あの「勉強」と呼ばれている行動です。
職業訓練生だった頃は授業にもついていけましたし、『ITパスポート』(情報処理技術者試験)の国家資格にも合格できました。
今の私は自分の学習能力に関しては、なんの不安もありません。人一倍頑張らなければ人並みになれないところは変わっていませんけどね。
私は今の勤め先でも、将来的には後進に技術を伝え指導していく立場になることを目指して頑張っていくつもりです。
◇ ◇
発達障害は依存症であり、その原因は言葉である。この説を知った読者さんの中には絶望した方もおられるかもしれませんが、そんな風に思う必要は全くありません。
たとえば、アルコール依存症になる方法を考えてみてください。お酒を飲んで飲んで飲みまくればいいですよね。でも一気に飲み過ぎたら酔い潰れてしまい、お酒が飲めなくなってしまいます。だから、適度に休憩を入れつつほどほどのペースで飲むのが良いでしょう。
それ、勉強も同じですよね? 勉強は一気にやるのではなく、休みながら継続することが重要です。
なにが言いたいかというと、依存症の性質や対策に関する知識は自分を学習させる方法に転換できるということ。すなわち発達障害依存症説は、発達障害克服の突破口になるわけです。
これも、今の私の日常を支えている貴重な知識の1つなのです。
◇ ◇
そんな感じで、新しい生活が少しずつ当たり前の日常になろうとしています。
最近はぼちぼちと、ゴールデンウィークの予定を妻と相談し始めています。生業とする職業が変わったことで日常の中で気にすることも変化しているので、まずは部屋の模様替えをしようとか、そんな感じです。
あと来年の予定ですが、障害者手帳を返納することに決めました。もう私には必要ありませんから。
手帳の有効期限が2024年5月末となっているので、年が明けたらどこかで手続きをしようと思っています。
おわりに
発達障害のことを知った23歳の時。私はネットで自分と同じ境遇の人を探してみました。どんな風に生きているのかを知りたかったんです。
いじめで苦労した人はいました。高校を中退して家業で働いてる人もいました。親の宗教やギャンブルに困っている人や、親の自転車操業に悩んでいる人、家業の自己破産に巻き込まれた人もいました。発達障害の症状に困っている人もいました。
でも、そういうのが全部揃っている人のことは見つけられませんでした。何日もGoogleでキーワードを変えて探しましたが、見つけることはできませんでした。
中学生の時、自分の非定型的な人格を自覚した私は「こんなにもぐちゃぐちゃな境遇の人はそうそういるものではない」と思いましたが、やっぱりそうだったんだと思いました。
どんなことをすればこの人生を復興できるのか、見当もつきませんでした。医者になれるほど勉強をして人間の脳や精神に詳しくなれても解決はできない気がしました。
『道がない』
そう思いました。だから自分が一人目の開拓者になるんだと思いました。
◇ ◇
あれから17年の歳月が経ちました。発達障害の改善に明け暮れたあの日々は、前世の体験のように感じられるほど遠い過去の記憶となり、いまの私は平穏な生活を送っています。
眠気を感じながら朝起きて、朝食を食べて、妻を起こしてから家を出て、電車に乗って会社に行って、いろいろ悩みながら仕事をして、帰宅したら夕飯を作って妻と一緒に食べて、二人で自由な時間を過ごした後は、明日の為に早く寝る。
ただそれだけのなんてことのない日常がなによりも幸福なんです。
私にとって発達障害はある種の『学問』でした。学校の勉強はわからなかったけど、この学問を通して、社会での生き方や、道徳、勉強の仕方、死生観など、社会人として、そして人として大切なことをたくさん学べました。
だから私はこの症状に振り回された人生を不幸だとは思いません。非定型的な人生でなければ妻とも出会えなかったでしょう。
私の取り組みの中には改善まで長期化したものがあり、医者に相談していればあっさり解決した問題もあったかもしれません。
それでも私は、自分の力で向き合って良かったと思っています。
10代で頑張ったことが身につくのは20代。
20代で頑張ったことが身につくのは30代。
40歳になった私は今、30代の時に身につけたことを支えに生きています。
人間の成長とは、そういう流れで考えるものだと思うのです。
私のように「大人の発達障害を治したい」「普通の人になりたい」と思っている人は、その探求に費やす時間を本書を活用して短縮してください。手探りから始める時代はもう終わっているのです。
そして、〝言葉の向こう側〟にある新しい社会を創造してください。
2023年4月7日 4年後の私より