尿膜管遺残症等病気—8ヶ月間の憂鬱 第4章「退院~完治まで」

尿膜管遺残症等病気—8ヶ月間の憂鬱 第3章「入院~退院まで」
第3章 入院~退院まで(2018年5月28日~)  第3章はいよいよ手術と入院生活のお話しです。 第10話 入院1日目/前日入院 2018年5月28日(月) 10時30分〜  いよいよ入院当日である。準備は万端。家を出るのは11時半頃のつも

第4章 退院~完治まで(2018年6月3日~)

 第4章は退院後から完治までのお話です。退院後も完治の診断が下りるまでは安静に過ごす必要があります。

第17話 手術したのにへそ炎が治らない!

2018年6月3日(日)

 退院日。

 帰宅した後は持ち帰った荷物の展開。体力はまだ戻らず、日中に昼寝。退院祝いの食事は昼は寿司、夜はレストランでステーキ。食べ過ぎた。

 とにかくすぐに疲れる。何もしたくない。夜は早めの就寝。自分のオフトゥンでぐーすか寝る。

2018年6月4日(月)

 退院2日目。

 朝快便。しかし太い。また切れ痔になるんじゃないか。怖い。

 滲出液だと思っていたものが膿みっぽい。気にしながらお家の中の掃除しまくる。

 やっと限度額適用認定証が届いたので、掃除がひと段落ついたあとで病院に持っていく。入院費の請求額189,700円が、限度額適用により85,170円になった。次回の検診時に支払うことにする。誓約書にサインをする。

 夜は体力作りの為に近所をのんびりウォーキング。1時間も歩いてしまった。

2018年6月5日(火)

 退院3日目。

 前向きに起き上がれるようになった。昨日までは朝起きる時、体を横にしてからそっと起き上がっていた。

 朝快便。まだ太い。でもすんなり出る。

 午前中に映画館。日常に戻ってきた実感が増す。

 膿みが気になるので病院に電話。痛みが増したり熱が出たりしたら相談することになった。今の所そこまでの症状は無し。

 膿みのことが気になるという点以外は、生活は元の日常にほぼほぼ戻りつつある。今は入院生活中にできなかったことの後を追う感じで、のんびり片付けている。

2018年6月11日(月)

 退院から一週間経った今日は術後検診の日。手術で穴をあけた部分はもうカリッカリのかさぶたになっている。指で触ってみるとなんか皮膚の裏側がもっこりしてる。手術前はそんなもっこりなかったけど、特に痛みもないし、かさぶたの見た目的には順調に治っていることが伝わってくる。

 術前の診断では、安静期間は2週間ほどと言われていた。でもこれならもう仕事に復帰しても大丈夫ではないか、と思う。そうなるように今日まで体を休めていたつもりだ。

 午後11時過ぎ、期待と不安を胸に病院へと向かった。

 不安とは、仕事への復帰のことと、癌の病理検査の結果と、へその炎症が治っていないことである。

 大事なことでもう一度言おう。へその炎症が、治っていないのだ。

◇ ◇

 14時予約で13時30到着。最初に採尿と採血をして、そのあとはベンチで待機。診察室に呼ばれたのは15時。

 先生にへその調子はどうですかと聞かれたので、手術の傷は痛みもなくほぼかさぶた状態であることを伝えたあと、肝心のへその炎症が治ってないことを言いながら服をめくって腹を見せた。先生は「あらら」と言った。その反応だけで、普通は治ってるはずであることがわかった。

 ジュクジュクと荒れたへそを見ながらう~んと唸る先生は、はっきりとした答えが出せない感じのまま話を始めた。私も自分の体感で思うことを話した。尿膜管の手術は例が少ない。少しでも情報を出さねば、と思った。

 先生の意見は、

・内側の原因は取り除いたから、後は放っておいても治るかも……

・異常は皮膚の部分だけのはず。へその内側はもう何もないから……

・とりあえず今後の治療は前に通院していた駅前の皮膚科へ……

・尿膜管が悪化させていたとすれば、もう取り除いたのだから、以前の治療で治る可能性もある……

・わい「もし尿膜管が関係なかったとしたら?」⇒先生「真菌かも?」

 という内容だった。

 癌の病理検査は問題なく、仕事も激しい運動でなければ復帰してもいいと言われた。それは喜べることなんだけど、へそ炎が原因不明のままなので、複雑な心境の方が大きくなってしまった。

 診察は10分ほどで終わった。話の最後に病理検査前の尿膜管の写真を見せてもらった。全体的に灰色だったけど、それはホルマリン漬けにしたせいで、元は赤かったとのこと。

 診察の後は支払い窓口へ向かった。

入院費の支払い

 県民共済の生命保険申請に必要な書類(病院側に書いてもらうやつ)の費用で5,000円、今日の診察で2,000円ちょい。入院と手術費用は限度額適用認定で85,000円ちょい(適用前は19万程)。合計で93,000円ほどをカードで払った。一括で支払える現金はあるけどポイント狙いでカード払いにした。

 保険は給付額通りなら、手術で15万と1日3万×7日で合計36万振り込まれるはずだ。

駅前の皮膚科での診察

 尿膜管遺残確定前に通っていた駅前の皮膚科へ。で、こちらでも同じ話をすると、やはり先生の表情も曇った。こんなに長引く人もそうそういないらしい。ただ道は決まった。改めて抗生物質と軟膏で治療を試みる。

 これで駄目ならまた総合病院行きで、今後は皮膚科でばい菌の検査をすることになるだろう、と先生は話した。

※注※ 次ページ:尿膜管と術後一週間目のお腹の状態。グロいです。


第18話 新保険コースの適用日

2018年6月13日(水)

 総合病院での術後検診と、駅前皮膚科での再診察から二日が経った。

 皮膚科での相談の末、尿膜管遺残発覚前に使っていた飲み薬と軟膏による治療を再開したが、今のところ大きな変化はない。悪化もしてなければ回復の兆しも見えない。前と同じだ。このまま変化がなければ、土曜あたりにまた皮膚科に行って、また総合病院への紹介状を書いてもらうことになる。その後はばい菌マンの検査だ。

 で、本当はその頃に続報の記事を書くつもりだったのだけど、今日ちょっと気になることがあったので記事に残しておこうと思う。

 日中、県民共済から電話がかかってきた。保険金の申請のことだろうと思って話を聞いてみると、今回の病気のことで、最初にお医者にかかった初診日を教えてほしいという。

 私は昨年に保険コースの変更をしたのだが、その新しい保険コースの適用が去年の10月16日からなんだと。コースを変更したことは覚えていたが、適用日のことまでは気にしていなかった。(しまった!)と思いながら話を聞いた。前のコースと新しい保険コースでは、支払われる保険金が倍くらい違う。

 担当の人曰く、届いた保険申請用の書類を見てみると、病院側に記入してもらった書類上では初診日が「10月」としか書いてなく、正確な日付がわからない状況らしい。そのことで近日中に診療所に行って確認するとのこと。この話はそのお断りも兼ねた電話のようだった。

 私はいつもお薬手帳を持ち歩いているから、その場ですぐ伝えることができた。記録を辿ると初診日は10月28日であることがわかった。その日付で間違いなければ適用後なので、新しいコースの保険金が基準になります、と電話の担当者は話した。更に、旧コース換算での保険金はすぐに支払えるので、先にその金額を支払い、日付の確認ができ次第、新しいコースでもらえる保険金換算で差額分を後から支払ってくれるんだと。

 私は保険金を貰える権利を有しているだけなんだけど、電話の担当者は積極的に保険金を支払う姿勢の話し方で、やりとりしてるだけでなんか申し訳なくなってきた。でもすごく安心できた。

 電話を切ってから改めて戦慄した。もし病院へ行くのがあと13日くらい早かったら……古い方の保険コースでの支払いになっていたのだ。

 入院1日で30,000円のはずが、16,000円に。

 手術1回で150,000円のはずが、100,000円に。

 そんなことになったらマジで笑えない。どれだけ減るのか考えるだけで頭が重くなる。

 これから医療保険のお世話になる人で、保険コースを切り替えた覚えがある人は適用日を確認したほうがいいと思う。数十万の違いは大きいよね。


第19話 私の尿膜管遺残症の正体

2018年6月15日(金)

 県民共済の保険金212,000円が振り込まれる。金額から見て旧コース分だと思う。

2018年6月18日(月)

 今日は紹介状をもって総合病院へ行ってきた。2日前の土曜日。駅前の皮膚科で紹介状をもらったのだ。先生には「今の治療法で治るとしても、原因や症状の正体を知った上で治療を続けたい」と話した。私も妻もへそのことでかなり闘病ストレスを抱えている。先生も理解してくれた。その足ですぐにでも総合病院へ行きたかったのだが、土日外来を受けていなかったので、今日、月曜に行くことになったというわけだ。

 受付は8時からだったが、昨晩はPythonのプログラミングで夜更かしをした為に起きれず、病院に到着したのは9時だった。診察室へ呼ばれたのは11時半である。

 診察が始まってすぐへそを見せることになった。診察台に仰向けになって服を捲る。ふむふむ、という感じでへそを診る先生。どんな検査するのかと思っていたら、手に持ったピンセットをおもむろにへそに近づけてきたので「ちょちょちょっと待って!」と静止した。「痛いですか?」と聞くと、どうやらへその炎症部分の皮膚をピンセットでそっと撫でて、皮膚の一部を採取したかっただけらしい。あぁびっくりした。無言でそういうの近づけないでほしい。ぜんぜん痛くなかった。

 先生はそのあとどこかへ行ってしまい、私は診察台の上であおむけのまま放置された。暇なので足をぶらぶらさせて遊んだ。

 5分程して先生が戻って来ると、机に座って顕微鏡で何かをみた。さっき採取した自分の皮膚を見ていることはなんとなくわかった。そして先生は言った。

 「かぶれですね」

(か…………………かぶれ?)

 絶対に変な菌がいるんだ、と思っていた私には寝耳に水であった。先生は「菌はいない」ということと、「少なくとも今はただのかぶれ」ということを強調した。あと、かぶれの中でもまぁまぁ酷い状態らしい。

(ただのかぶれなら、なぜ治らなかった?)

 先生は過去の検査記録に目を通しながら推測を話してくれた。先生いわく、今となっては正確なところはわからないが、今日までへその炎症が治らなかった原因として、「尿膜管嚢胞」と「かぶれ」がクロスオーバーしていた可能性と、使っていた軟膏のせいでかぶれた可能性を挙げた。なるほど、それなら今日までの経緯と辻褄が合うと思った。発症時からこの日まで、一度もへその皮膚自体の検査をしていない。最初に紹介状を持って総合病院へ来た時も、皮膚の検査はしないまま泌尿器科へ回された。

 先生はゲンタマイシン軟膏でかぶれた可能性もあると言った。「ゲンタマイシンがそもそものかぶれの原因」なのか、「かぶれが悪化した原因」と言いたかったのか、どっちともとれる言い方だったが、詳しくは聞き返さなかった。たしかにこれのせいで治りが悪かったと考えればその通りのことが起きている。最初に処方された薬の方がいいところまで治ってたし。でも結局、いつから尿膜管嚢胞だったのか、かぶれだったのか、その疑問が解消できなければ、はっきりとは答えられない質問だからだ。

 診察が終わり、別の軟膏を処方してもらうことになった。これで治らなかったら次はどうなるのかと聞いてみると、先生は「自信がある」と言い切ったので、これも詳しくは聞かなかった。

手術の意味は?

 帰宅途中、ふと思い浮かんだ疑問について考えてみた。今回の軟膏で治った場合、ただのかぶれだったということになる。そして、もし今回のへその炎症が初めからただのかぶれだったとすれば、手術をしなくても皮膚の炎症自体は完治できたということになる。となると、『手術はしなくてもよかったかもしれないのでは?』と思えたのだ。

 ただこれは考えを整理する内に、「手術の意味は大いにある」という結論に至った。

 こう考えてみよう。もし最初の診断でかぶれの診断がつき、最適な薬を処方されたことにより治ってしまっていたら、私の尿膜管遺残は見つからなかったわけだ。そうなると他の当事者のように、いつかものすごい激痛に見舞われていたかもしれない。その点、私はラッキーだった。初期段階でへそ炎の詳細な検査をしないままCTやMRIという大がかりな検査をすることになり、尿膜管遺残の発見に至ったのだ。こうして尿膜管遺残がまだ無痛状態の内に手術を受けることができた、というわけだ。

 ネットで調べたところ、症状が軽い場合は薬で様子を見るとかなんとかで、すぐに手術の段取りを組んでもらえない人もいるらしい。

 尿膜管遺残確定に至るまでの診察過程が適切なものだったのかどうかという疑問は残るが、私にとっては複数のラッキーが重なったという見方ができる。

 これでモヤモヤは整理できた。あとはゴールに向かうのみ。来週の水曜日の再診察の時、完治は無理かもしれないが、薬が合っていれば回復していく変化がみられるだろう。

2018年6月26日(火)

 県民共済から保険金148,000円が振り込まれた。新コース換算の差額分だろう。15日に振り込まれた分と合わせて合計36万円。契約通りの金額だった。

 これで県民共済の保険金の件は終わった。


最終話 完治

2018年6月27日(水)

 昨年の10月末から始まった尿膜管遺残闘病記にもようやく終止符を打つことができた。今日の診察で、先生から「完治」の診断をいただくことができたのだ。前回処方された新しい薬のおかげで、へその炎症はみるみる治っていったのだ。

 長かった。本当に長かった。闘病はおよそ8ヵ月間にも及んだ。年末年始も、空とびの映画制作中も、映画公開時も、そのあとも………………ずーーーーーっと、おへそのことで落ち着かない日が続いていた。

 そのストレスからやっと解放されたのである!

◇ ◇

 では、今日の話をしよう。昨日の仕事がまさかのシフト変更により終わったのが24時で、帰宅が25時30分だった。入眠したのが26時過ぎである。そんで、こんな時に限って診察が朝9時からだったこともあり、朝7時半には起きて病院へ。5時間くらいしか寝ていない。

 病院には8時50分頃に到着。待ち時間は30分くらいで、体感的にはすぐだった。診察も数分程度で終わった。

 へその状態は「完治」で、前の診察で処方された薬ももう塗らなくていいとのこと。ただ、しばらくは保湿の為に「ワセリン」とやらを塗った方がいいと言われた。これも処方してくれることになった。

 話が落ち着いたところでズバリ聞いてみた。「私のへそ炎は尿膜管嚢胞によるものだったのか?」という質問だ。前回の診察時にもそういう主旨の質問をしたが、なんとなく遠回しなやりとりだったし、自分なりに経緯を整理した末に、ここだけは再確認するべきだと思ったのだ。自信ありの薬で完治したことで、新たに言えることも増えたかもしれない。

 これについてはやはり「今となってはわからない」という回答だった。CTやMRIに膿みの袋が映っていなくても、へそと尿膜管の間に炎症ができてしまうと、尿膜管遺残に患部がひっぱれることで炎症が進み、へそから膿みや浸出液が漏れて、それが原因でかぶれが悪化する可能性もあるという。記憶違いでなければそんなことを言っていた。あと「かぶれ」という診断について正式な病名などはありますかと聞くと、「刺激皮膚炎」だったか、「接触皮膚炎」とかいう名称を先生は挙げた。ただ帰宅後に記憶を頼りに調べたら「刺激性接触皮膚炎」という名称が出てきたのでこれのことだと思われる。これは、なにかの影響で皮膚に炎症が起きてかぶれた時によく付けられる名称で、原因の特定はほぼできないと思っていいらしい。私の場合はたぶん、へそを引っ掻いてしまったことになるのだろう。そう考えるとやはりへそ炎自体はただのかぶれだったようにも思えてくる。

 診察が終わって会計をした後は書類受付窓口に進んだ。「傷病手当」の書類を申請する為だ。これは病気やケガなどで働けなくなり、収入が得られなくなった時に受け取れる公的制度の手当てだ。しかしここで会社からもらった病院記載用の書類を家に忘れてきてしまったことに気づく。健康保険協会のサイトからダウンロードできるものだが、受付の人は私が書類を持参してくれないと受付できないという。どうやら会社によって書類が違う場合があるらしい。どうしたものかと考えながら病院を出て処方箋の薬局へ行ってみた。そこで近くにネカフェはないかと聞くが、駅前付近の場所しか知らないという。

 スマホから健康保険協会のサイトにアクセスすることはできる。そこからなんとかしてコンビニでプリントできないかと考えたが、私の知る限りコンビニのネットプリントはWEBからの手続きが必要なはず。書類をスマホにダウンロードするところまでは操作したが、そこからの手順がわからず断念した。

 しかし家に帰宅するだけで1時間近くかかる。往復で2時間。取りに行くのは嫌だ。もうどうしようもないので、駅前にあるネカフェを利用して印刷することにした。そうは決めたのはいいが、ここで気になることがあった。申請用紙には左下に様式番号が記載されていたのだ。つまり、万一会社からもらったものと公式サイトからダウンロードしたもので番号が違った場合、見た目は同じ内容の書類が作成できたとしても、申請をやり直すことになりかねない。

 そこで、

 1.妻に電話して、仕事鞄の中に入れたままの書類を写メして送ってもらう。

 2.写メをみて申請用紙の様式番号を確認する。

 3.健康保険協会に電話して、事情を話す。これからネカフェで用紙を印刷するが、様式番号が同じなら問題ないか、違っていても問題ないか、という事を聞く。

 そうして健康保険協会に電話をしたら、なんとコンビニのコピー機のネットプリント機能からでも、ナンバーを入れれば用紙を入手できることを教えてくれた。その時、私はちょうど駅前まで来ていて、コンビニも目の前にあったので、電話をしながらプリントナンバーを教えてもらい、無事にちゃんとした用紙を入手することができた。数百円は覚悟していたネカフェ代が40円で済んだ。イェイ!

 妻から写メも届いていたので、会社からもらった書類の様式番号と、ネットプリントした書類の様式番号を伝えた。番号は違ったが問題ないとのことなので、これで、ようやく安心することができた。そしてまた10分ほどかけて病院まで戻り、書類受付の手続きをした。

 正直言うと、傷病手当の書類がコンビニのネットプリントから入手できることは病院側から教えてほしかったと思う。別機関とはいえ業務が連動してる組織なんだからさ。そんなもやもやもあったりなかったりしたけど、少なくとも手続きが終わって病院を出た後はそんなことどうでもよくなっていた。

 完治の診断ももらえたのでもう診察へ行く必要もない。あとは傷病手当の入金を待つだけとなった。

2018年7月31日(火)

 傷病手当の入金を確認した。金額は入院日数と退院後の安静期間、計12日間分で、39,996円。

 この入金を以って、尿膜管遺残の闘病に係る全てのイベントが終了した。

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