尿膜管遺残症等病気—8ヶ月間の憂鬱 第3章「入院~退院まで」

尿膜管遺残症等病気—8ヶ月間の憂鬱 第2章「尿膜管遺残症確定~入院まで」
第2章 尿膜管遺残症確定~入院まで(2018年4月5日~)  第2章は尿膜管遺残症確定から入院までのお話です。へその炎症を確認した前年の10月から5〜6ヶ月も経っています。  確定後は、入院と手術に向けて数々の検査、説明、書類記入が待ち受け

第3章 入院~退院まで(2018年5月28日~)

 第3章はいよいよ手術と入院生活のお話しです。

第10話 入院1日目/前日入院

2018年5月28日(月)

10時30分〜

 いよいよ入院当日である。準備は万端。家を出るのは11時半頃のつもり。少し時間が余ったので、それまでは部屋の掃除でもしてようかなと思いつつ、あることを確認する為に全国健康保険協会に電話した。『限度額適用認定証』の手続き状況である。入院時に病院側へ提出することにより、通常は後から自己負担額に応じた払い戻しがされるところ、窓口で支払う時点で自己負担額に応じた金額に調整される。一度に十数万も払えないよ、なんていう人の為の救済制度だ。

 先月の検査の際にそのことを教えられたのだが、勤め先で社会保険に入っているなら手続きのことは会社に相談してくださいと言われたので、会社の支社長には確かに伝えた。その認定証が未だに届いていないのだ。たしか、「家に届くはず」と支社長からは言われているのだが。

 電話をかけてみると、担当窓口が混み合ってると言われ、30分後に折り返し電話が来た。話を聞いてわかったのは、会社からそのような申請は来ていない、とのことだった。会社が忘れているのか、協会内で紛失したのか、誰かのところで手続きが止まっているのか、真相はわからないが、今から自分で申請書を作成した方が良いと考え、慌てながらパソコンで協会のサイトへアクセスして申請書を作成した。

 そもそもなんでこんなギリギリになったのかというと、認定証がまだ届いていないことに気がついたのが先週金曜(25日)の夜だったからだ。協会のサポセンはもう時間外、土日は協会の電話応対が休み。だからこの出発当日の月曜日に問い合わせる形になってしまったのである。ちなみに自分でも作成できることは週末の内に調べ済みである。こんなこともあろうかとね。

 申請書は住所を入力し、印刷した紙に直筆で署名するだけで完成した。で、これの送付先を確認していなかったので、もう一度電話することにした。申請書の作成ページには送付先が表記されておらず、あちこち探すより電話で聞いた方が早い、と判断した。住んでる地域とかで違うかもしれない。自分で探して判断するとその情報を見落とすかもしれない。

 その電話の時にまた面倒なことがわかった。前年(平成29年度)の住民税が課税か非課税かで、申請書が変わるようなのだ。自分が調べた時はそこまで気にしていなかった。しかしさっきの電話担当はそんなこと言わなかったぞ。しかも非課税用で作成する場合は非課税の証明証が必要であるとのこと。

 自分がどちらであるかを確認するには、通常は給与明細をみて税金から引かれているかを確認するとか、昨年分の収入が100万円を超えているかどうかを計算すればいいのだが、それ以前に勤め先の会社は東京にあり、私は埼玉に住んでいるので、恐らく会社から住民税は引かれておらず、給与明細からでは判別できない。この場合、住んでいる地域の役所に聞いて確認することになるのだが、個人情報だから電話では教えてくれないかもしれない、というのが電話担当さんの話。もうここらあたりでげっそり。超めんどくさい。なんだよこれ。こういうの嫌いだ。

 駄目元で役所に電話をしたが、やはり電話では教えてもらえなかった。6月に決まるらしい。でも窓口まで来て手続きをしてくれればわかる、とのこと。

 考えた末、課税用の申請書で提出することにした。自分は昨年の3月から今の会社に勤めているし、副業もしているから、課税対象となる収入はほぼ間違いなく得ていると推測した。そりゃ、ちゃんと確かめた上で手続きを進めたかったけど、週払いだから給与明細書が何十枚もあって計算してる時間がないし、非課税用で提出できたとしても、窓口で支払う金額が20000円程少なくて済むという程度の差額なのだ。一度に数十万払うかどうかの瀬戸際にいることを思えば、大したことのない差額だった。

 そうしてこうしてなんとか申請書を封筒に入れるところまで手を進め、ようやく出発できた。

 申請書は道中の郵便局から速達で配送手配した。

 部屋の掃除はできなかった。

12時30分〜

 病院到着。入院の受付カウンターへのしのしと進む。受付で本人確認をして、リストバンドとテレビカードを受け取った。テレビはこのカードだけで30分無料、2枚目以降は販売機で買う必要があるようだ。まぁ観ないだろつから気にしない。あと、限度額適用認定証が今日間に合わなかったこと伝えると、入院中の提出でも大丈夫とのことだった。焦って作成する必要はなかったかもしれないと一瞬思ったが、手続きにどれだけかかるかわかったものではない。最善は尽くしたと思っておくことにした。

 エントランスでの受付の後はエレベーターで上の階へ移動し、今度は入院病棟階の受付へ。そこでまず身長と体重を計った。175.9cm、68.5kgだった。そして病室へ。しばらく寝床になる私の巣である。そこで荷物を展開して待つように言われた。可動式のパラマウントベッドの両脇には、金庫と小型冷蔵庫の入った棚、反対側には日用品などを収納できる棚があり、そこにドカドカと着替えや洗面用具を詰め込んだ。

 またこの時、ベッド脇に置いたキャリーケースが大きすぎて回診の時に邪魔になるので、持って帰ってもらうかもしれないと言われた。

◇ ◇

 ベッドの上でひたすら待つこと1時間。誰もこないので一度受付に行く。急かすつもりはないが、新人の看護師が忘れているとか、自分が聞き漏らしただけで実は自分から別の部屋に行く必要があるなど、何かが起きているかもしれない。

 受付に行くと、やはり部屋で待っていればいいとのこと。その後数分ほどしてからやっと看護師が来てくれて入院中の説明を受けた。担当医の紹介、食事の時間。他、トイレは尿量や回数を計るので、尿は一旦ポットに出してから、自分の名前がある袋に入れること、今日のシャワー時に明日の手術に備えて胸から下〜ちんちんの上までの体毛を剃ること、水分補給の頻度などなど。

 あと、次回の排尿時だけ検尿もする、とのこと。

 話が終わったあと早速トイレに行く。たしかに名前が記載されたカップとポット、蓋付きのビニール袋があった。言われた通り、まず検尿カップに必要な量を注ぎ、残りはポットの方に注いで、蓋を開けてビニール袋の方へ流し込んだ。検尿は今回だけとして、このビニール袋への畜尿作業は毎尿しなければならないようだ。なんという発達殺し。……間違えて他の人の袋へ入れないようにしなければ(笑)

 トイレのあとは院内を探検することにした。が、昼食をとっていないことを思い出し、一階にあるコンビニの「ポプリ」でパンを買って、「デイルーム」という共用スペースで食事をとった。

 食事中に、手術の時に麻酔科の先生と救急救命士が来た。呼吸器の管を通す処置を経験の為に救命士が処置をすることの同意とサインがほしい、とのこと。はいはい、とサインする。

 その後、また別の担当医が挨拶に来たので、一旦病室へ移動した。今度は手術の詳細な説明だった。初日は説明だらけなんだな、と思った。

15時00分〜

 探検再開。地下1階から2階までふんふんと歩く。地下3階へ続く階段があったけど、周囲に案内図がなく、患者が足を踏み入れても良いエリアなのかどうかわからなかったので、その先に進むことはやめておいた。

 他は1階に喫茶店と売店があるくらいで、あとは各科の受付とベンチがどこにでもある感じ。一周しただけで飽きてしまった。

18時00分〜

 また別の担当医の挨拶。もう覚えきれないよ。そのあと待ちに待った夕飯。初の病院食。5歳頃に肺炎で入院してるけど当時のことはほとんど覚えてないので、気持ちとしてはこれが初体験だ。

 夕飯は米、さくら大根の漬物、ほうれん草のピーナッツ和え、豚肉の生姜焼き。量は少なかったけど素朴な味で美味しかった。

20時00分〜

 お風呂は20時に予約で、入浴前に体毛の剃り方を説明すると聞いていたが、20時20分頃になっても誰も来ないのでまた受付に行くと、電動バリカンを渡された。これで毛を剃るんだと。脱衣所でジョリジョリ剃ってから浴室へ入った。

 浴室は家庭用よりちょっと広かった。恐らく介助者と一緒に入る為だろう。下半身のちくちく具合を気にしながらシャワーを浴びた。浴槽もあったが、通常は使わないらしい。

 シャワーのあとは隣の洗面室で、備え付けのドライヤーを使って髪を乾かした。

21時00分〜

 誰もいないデイルームで自分の小説をKindleFireで読む。

 30分頃になんとなく売店まで散歩したが既に閉まっていた。営業時間は20時までらしい。

22時00分〜

 消灯。オフトゥーンに入って小説の続きを読む。

23時00分〜

 眠くなったので就寝。深夜2時頃に一度目が覚める。眠れたのか眠れてないのかはっきりしない、半覚醒と浅い眠りを繰り返しながら手術当日の朝を迎えた。


第11話 入院2日目/手術当日

2018年5月29日(火)

6時30分〜

 起床。室内のどこかにある空気清浄機か何かの駆動音がちょっと気になったけど、なんとなく眠れたと思う。今日は一日ご飯がないことを思い出して悲しくなる。

 ベッドの上でぼーっとしつつ、お茶を飲んだりトイレに行ったりする。

8時00分〜

 また別の担当医の挨拶と、抗生物質と点滴に関する説明を受ける。

 ご飯がないことをまた寂しく思う。

 散歩する(病院玄関〜駐車場)。

 ブログに入院1日目を打ち込む。

9時00分〜

 水分補給禁止時間突入。ブログへ入院1日目をアップ。ベッドで小説の続き読む。

10時00分〜

 点滴を付ける際、針が腕の奥まで刺さった直後、看護師さんが点滴のチューブを何かにひっかけて、針がぐいっと引っ張られる形で抜けてしまった。一瞬のことで痛みは全くなかったが、血がベッドの布団にかかってしまった。めっちゃ謝られたけど、本当にぜんぜん痛くなかった。点滴は2発目で成功。

11時00分〜

 一眠りする。午後には手術だ。体力温存。

12時30分〜

 起床。検診。

13時30分〜

 手術着に着替え、T字帯(ガーゼのふんどし)を装着した。

14時00分〜

 病室に嫁が到着、それとほぼ同時に看護師が呼びにきた。いよいよ手術室だ。手術の怖さは特になかった。この時の心境は緊張が4と、早く終わってほしいという面倒臭さが6くらい。なにをされようとも、尿道から内視鏡を入れられるよりはマシである。余裕のよっちゃん。

 エレベーターの前に着くと、妻は看護師から説明を受けて一人で家族用の待合室へ行くことになった。私の方は看護師と一緒に、妻とは別のエレベーターに乗った。

 エレベーターを降りた先のフロアは、他とは違う雰囲気の空間だった。巨大な冷蔵庫の中へ足を踏み入れた気持ちになったのは気のせいじゃないと思う。すぐに別の部屋に入ったので一見した限りの印象だが、壁は緑色で、医療器具を積んだ台車や、忙しなく移動する医師たちの姿を覚えている。通路だけ見ても、患者用ベッドが同時に3台はすれ違えそうな幅があった。

 病院と聞くと白い壁をベースにした清潔な印象をイメージするだろうけど、ここは違う。良い言い方が思い浮かばないのだが、〝生ものを扱う倉庫〟という印象を受けた。

 で、また大きな扉の先へ進むと、医師と助手の看護師たちが笑顔で迎えてくれた。こんなにも笑顔を向けられたのは久しぶりな気がした。穏やかな口調と明るいトーンで自己紹介を受け、医師たちと同じビニールの被り物をしてから奥の部屋に入った。そこはドラマや漫画などで見たことのある手術室だった。肉を解体する為に使う怖いものがあちこちに置かれていたが、医師と看護師たちの和やかな感じのおかげで不安は全くなかった。

 あちこち見渡しながら言われるがままに手術台の上に乗って、点滴のチューブをひっかけないように気を付けながら仰向けになった。

 4〜5人の医師や看護師たちが総出で私の体のあちこちに手術の準備を施していく。手数が多すぎて何をされているのか覚えきれない。そのわちゃわちゃとしている間もなんとなく話しかけられた。日焼けた腕を見て何かスポーツをしているんですか、と聞かれたので、警備士をしていることを話した。炎天下の中ずっと外に立っているとか、工事中のエレベーターの前に立つことや、道一つ塞がっただけでベビーカーの人は大変な思いをすること。この道は通れないということを、どうしてもわかってくれない人がいる、なんてことを話した。

 その話のあとだったと思うが、麻酔を打つ時がきた。背中からである。だから私からは見えないのだが、チューブ状のものが背中に入り、そこから液体を流し込まれたのだと思う。

 記憶違いでなければ、事前の説明ではまず1発目に普通の注射麻酔をし、そのあとの2発目で背骨に入れる麻酔を打つという流れだったはず。

 それが終わってからいよいよ酸素吸入器のマスクをつけられた。全身麻酔である。つけたあと、深呼吸をしてくださいねと言われたので、「深呼吸ってどうやるんですか?」と聞いた。その質問に医師が困ってしまったので、口呼吸なのか鼻呼吸なのか、どこから息吸ってどこから吐くのか、それがわからないことを言い換えて伝えた。回答はどっちでもいいとのことだったので、口から息を吸って吐くことにした。

 ここからがすごかった。

 5回ほど息を吸って吐く。名前を呼ばれたのでこくこくと頷く。さらに5回ほど息を吸って吐く。また名前を呼ばれたので頷いて反応を見せる。こんなんじゃ眠れないぞ? しかもなんかちょっと笑える。薬の効果かな? いや、自分の呼吸が浅いかもしれない、と思い、強めに息を吸って吐く。

 たしか3回目の意識確認は覚えている。

 その後の記憶がない。

◇ ◇

 気がついたら鎖骨と肩の中間あたりをべしべしと叩かれながら、「平極さんっ、起きてください、終わりましたよ」と呼ばれていた。時刻は18時だと告げられた。

18時00分~

 寝ている間に終わりますとは聞いていたが、本当に終わっていた。意識も少しずつはっきりしてきた。

 全身麻酔で眠りに落ちたこと、どうやらもう手術は終わったこと、自分が手術を受けたこと、おにぎりは夢だったこと、喉の奥まで何かを入れられていたこと。順番はばらばらだが少しずつわかってきた。

 下半身に尿道カテーテルをつけられていることもわかった。今ゾンビが来たらヤバい、どうしようとか考えた。

 自分から希望して切除した尿膜管の写真を見せてもらった。ナマコかな、と思った。深海魚にこんなやつがいた気がした。

 どういう話の流れだったかは忘れたが、自分は小説を書いたり映画を撮ったりしたことも話した。アーティストなんですね、と看護師の一人が言っていた。妄想状態だと思われたかもしれない。

 寝ている間に見た夢もなんとなく覚えてた。息が苦しくてもがいてる自分と、おにぎりを食べている自分の夢だった。

 エレベーターに乗る前に、患者用ベッドに乗せ替えられた。医師たちが「せーのっ」で私を持ち上げる。要安静の体重68kgの男性一人を隣のベッドに移すには、大人4人〜5人がかりでないと無理なのだ。

 そのまま元いた病室に運ばれた。そこまでの移動中は病棟廊下の天井をずっと見ていたんだけど、全く知らない場所へ搬送されてる気持ちになった。

 看護師が奥様を呼んできますと言って部屋を出た。それからしばらくして妻がやって来た。

 手術前のことをこうだったあーだったと少し会話した。でも体力的にも精神的にも疲労を感じたので長話はできそうになかった。妻も翌日は仕事なので、私の方からもう大丈夫だから帰っていいよと話した。

19時00分〜

 妻が帰ったあとから腹の痛みが気になりだした。ビリビリと電流が流れているような痛みだ。あとは寝るだけだが、術後の腹の傷みのせいで入眠できそうにない。ていうか「こんな状態で寝れるか」という心境だ。

 眠気を煽る為、いつもの日常のようにスマホをいじった。サイドテーブルの上に置かれたスマホを手に取るだけでも一苦労だった。

20時00分~

 痛み止めの点滴を追加してもらったが、あまり変わらなかったので座薬の痛み止めをもらった。座薬の痛み止めは自分でいれた。痔の経験豊富なので慣れている。座薬IN選手権があったら予選通過できるくらいの自信はある。

22時00分〜

 頑張って体を起こしてみると、ものすごいめまいと吐き気がした。体力ゼロだとこんなことになるのか、と驚いた。もしいまゾンビとか猛獣とかに襲われたら絶対に逃げられないし勝てないと思った。

 深刻な入眠難だが、これでも深夜バスの寝辛さよりはマシだと思えた。大事なことなのでもう一度言う。腹に穴を開けた術後の入眠困難より、深夜バスの座席の方が眠り難い。体を横にできるって素晴らしいことなのだ。

0時00分〜

 水を飲ませてくれる時間になったが看護師さんが来ないので自分で取ることにした。水のペットボトルが入っている小型冷蔵庫はベッドの左側の棚の下段にある。仰向けのままでは手が届かないので、まず体を左向きにした。で、右手を伸ばしてみると、今度はベッドのフェンスが邪魔でやはり届かないので、右手は諦めて左手を使うことにした。が、体を横を向けたことにより左手は胴体の下にある。その体勢のせいで腕の自由がきかない為、また仰向けに戻り、ベッドの左側にずりずりと体をずらし、フェンスの隙間から左腕だけ伸ばして手探りで棚を開け、冷蔵庫のドアも開け、こうしてなんとか水のペットボトルを手に取った。チャラララー!(ゼルダ風)

 これを飲むのもまた一苦労である。仰向けのまま飲もうとすれば、傾けたペットボトルの口から水が零れてしまうので、また体を横に向けて、ゆっくりとした動作で頭部だけをフェンスの上に持ち上げた。これでようやく飲むことができた。朝の9時から何も飲んでいないから、およそ15時間ぶりの水分補給である。喉を通る冷たい水が最高に気持ちよかった。

 痛み止めのお陰か、痛みの強さは術後を10とすると6~7くらいには下がった。けど、左手には点滴、背中には麻酔チューブ、下半身には尿道カテーテル、身体中には心電図のケーブルが貼られ、腹には穴が空いている。

 こんなんで眠れるかと思っていたが、水を飲んで落ち着けたのか、半覚醒のままなんとなく眠りに落ちたのだった。

※注※ 術後の状態の写真。グロいです



第12話 入院3日目/トイレに一人で行っちゃダメ!

2018年5月30日(水)

5時30分〜

 なんとなく起床。でもまだ自由に動けそうにない。ベッドの上で仰向けのままスマホしたりまた寝たりする。

 患者着のお腹のあたりがじんわり濡れていることに気づく。染みの縁が若干濁った色をしていることから血が混じっているのがわかった。手術の傷口に貼ってある透明なシートの隙間から体液か何かが漏れたらしい。この時は治療用の消毒液的なものが漏れた、と思った。

8時00分〜

 起こされた。先生と看護師たちがベッドを囲んでいた。

 回診、らしい。

 今日から歩く、らしい。

 この後でご飯も食べる、らしい。

 左腕の点滴の針のところがごちゃごちゃしているので後で整理する、らしい。

 この回診のわちゃわちゃとしている間に尿道カテーテルをズルゥッと引き抜かれた。「カテーテル抜きますよ~」の一声はあったとはいえ、心の準備は全くできてなかったので体がびっくりした。一瞬だけ痛かったけど、その刺激は抜き終わった直後に引いた。後から来る恐怖感の方が強い。二度とごめんだ、と思った。

 術後初回のトイレの尿は検査で使うから、カップに入れたらそのままにしてナースコールを押して、と言われた。

10時00分〜

 ホカホカのタオルで体を拭いてもらった。下半身は自分でやった。

 手術着から自分の服に着替える。まだ点滴のケーブルや背中の麻酔が刺さったままなので、シャツと短パンを履くのに苦労する。頭から被って着るタイプのシャツだったので、前開きできるパジャマタイプの服にするんだったと後悔した。

 落ち着いたところで歩行チャレンジをした。が、立ち上がって数秒くらいするととんでもなく酷い目眩が襲ってきたので断念。これは麻酔の影響であり、人によっては平気らしい。倒れると危ないのでトイレの時はナースコールを押して、と言われた。

10時30分〜

 使っていない方の点滴の針を抜いた。残り一本。この時、やはり晩御飯まではなにも食べれないことがわかった。みんな言ってることが違う(涙)

12時00分〜

 尿意が来たので起き上がってみた。ここまではいい。問題は立ち上がったあとの立ち眩みだ。でも数年前、原付カブで埼玉から三重まで行った時、記録的な猛暑の中走っていたせいで熱中症になってしまったのだが、あの時のくらくら感を思えばまだこれはザコいと思えたので、頑張って行ってみることにした。

 トイレまで目測で3m。通常なら数歩くらいで辿り着ける距離だが、果てしない遠さを感じた。ふらふら感がじわじわと強まる中、なんとかトイレまで到着。ドアを開け、カップを手に取り、竿をつまんで尿を出す。一つ一つの動作を慎重に行う。

 尿を出し終えて棚の上にカップを置いた。さぁ戻るぜよ、と思ったところで悲劇が起きた。棚がパタンと閉じて、尿入りのカップが床に転がり落ちてしまったのだ。すぐにカップを手につかんだので、尿は1cmくらい無事だったが、トイレの床は自分の尿でびしゃびしゃになってしまった。最悪。

 何が起きたかというと、私が入院初日から、〝小物などが置ける棚〟だと思っていた平らな部分は棚ではなく、〝開かれた棚の蓋〟だったのだ。初日はその場所に他の人の空のカップが置いてあったから、勘違いしてしまったようだ。それがこの時は、尿の重みで蓋が閉じてしまったというわけだ。

 掃除しようにも頭はふらふら、それ以前に掃除用具の場所はわからず、どうしようもないのでベッドに戻った。横になった途端、汗が吹き出した。ナースコールを押して、ぜぇぜぇしながら事情を伝えて来てもらった。

 看護師が来て事の経緯を話した。棚だと思っていたところにカップを置いてしまい、蓋が閉じてカップが転がり落ちて、床を汚してしまったこと。カップの中には尿が少し残っていることを伝えた。

 この時、一人でトイレに行ったことを注意された。たしかにトイレに行く時は呼んでほしいと言われていたが、朝の回診の時は、カップに尿を注いだらナースコールを押してと、一人で行くことを前提とした言われ方だったので、一人で行けると思えるなら行ってもいいかな、くらいの軽いニュアンスに受け取っていた。うーん、反省。

13時00分〜

 気持ちは元気。ベッドの上にもなんとなく慣れてきた。でもまだ体を起こすと気持ち悪さが強まる。

 動画を見て笑ったら腹が痛かった。元気な証拠だ。

14時00分〜

 移動式のレントゲン装置が来た。

 ベッドの上で寝たままレントゲン撮影をする。

15時00分〜

 看護師から今日中に水分を1.5リットルは飲むように言われる。ペットボトルの自販機代が気になる。この看護師からもトイレは絶対に一人で行かないで、と注意を受けた。頑張りすぎて目眩で倒れてしまい、頭がい骨を骨折してしまった人もいたんだとか。

 そこまで言うなら、最初から一人でトイレに行くことを前提とした話をしないでほしい。「今日の初回トイレの時は一人で行かずにナースコールを押して」となぜ言わないのか。ちょっとイラっとした。

16時00分〜

 2度目の歩行チャレンジに挑む。が、やっとこさ体を起こしたところで。看護師が緊急で呼ばれて放置される。しんどくなってきたので横になって待つ。10分くらいして戻ってきた。改めてチャレンジ。しかし、体を起こしただけでも血圧が下がりすぎる為、断念することになった。数値はたしか60とか言っていた。

 ここでまたトイレは一人で言っちゃダメと念を押される。

 尿瓶、到着。

18時00分〜

 待ちに待った晩御飯。献立は、お粥、カレイの煮付け、茄子の醤油和えのようなもの、豆腐のおからのようなもの。急いで口の中にかき入れないように、スマホをいじりながら、ゆっくり、噛み締めながら食べた。病院食はマズイと言われるが全くそんなことはない。美味い。むしろ一般家庭の料理の質の方が下がっている気がする。妻の飯は美味いが。

19時00分〜

 嫁到着。

 頼んでいたメンダコのぬいぐるみを受け取った。妻の変わりだ。これでこの空間の生活感がアップした。

 今日のこととか、限度額適用認定証が明日届くかも、といった雑談をした。

20時00分〜

 入院2日目ブログ打ち込み開始。

 1.5リットル到達まで残りペットボトル一本。頑張って飲む。

22時00分〜

 ずっとスマホいじりマン。

 2本目の点滴が抜かれた。あとは背中の麻酔だけだ。変化のペースが思っていた以上に速いのでちょっと戸惑う。こういうものか。

 水分を取りまくっているのに汗をかかないせいか、おしっこがジョバジョバ出る。尿瓶に入れた小水の処理の為に今日何度目かのナースコールを押す。看護師が来なかったので、待ってる間に試しに2回目の尿も入れてみたら溢れそうになってしまった。横にしたら間違いなく溢れるので置くこともできず、再度ナースコールを押した。看護師が来てくれるまでの間、たぷたぷの尿瓶をずっと持ち続けていた。瀕死の状態でニトログリセリンを守るアクション映画のワンシーンを想像した。

0時00分〜

 なんとなく目を閉じる。

 明日は背中の麻酔を抜く。明日からが本番だ、と思う。

 2時頃に尿意で目が覚めた以外はぐっすり眠れた。

※注※ ガーゼだけのお腹の状態の写真です。


第13話 入院4日目/超便秘大戦

今回はおトイレに関する話が中心となるので、お食事中に読まないことをお勧めします。

2018年5月31日

5時30分〜

 起床。腹の痛みは前日より緩和した。でもまだ腹筋は使えないそうにない。ガーゼに血が染みていた。腹の穴に貼ってある医療用の透明なシールがずれていた。ナースコールして見てもらったが、先生の回診の時に言うことになった。

6時30分〜

 検診。

 体の回復を実感できる。ゾンビ2体くらいなら倒せそうな気がする。

8時00分〜

 楽しみにしてた朝ご飯。入院4日目だが、病院食の朝食はこれが初めてである。献立は食パン2枚、イチゴジャム、洋梨を角切りにしたデザート、レタスとたまごのサラダ、玉ねぎとわかめ入りのファミレススープ、ミートボールと恐らくインゲン。

 今日は食べている最中に回診が来た。またわちゃわちゃと賑やかになり、あれよあれよと言う間に背中から麻酔が抜かれた。背骨の付け根のあたりから、体感で15cmか20cmほどの管が入っていたようだが、違和感が一瞬走っただけで特に痛みはなかった。抜いた直後は若干ズキズキとした刺激が気のせいレベルで残っていたが、ガーゼかなにかを貼ってもらったら、その痛みもすぐに感じなくなった。

 お腹のシールも剥がすことになり、これで体についているものはガーゼのみとなった。

9時00分〜

 ほかほかタオルの人が来た。今日は自分で全身を拭いた。服も着替えた。洗濯済みシャツのストックがなくなったのでなんとかする必要がある。また嫁に持って来てもらおうか、考える。

10時00分〜

 お腹を触る。まだ痺れが残っていたが、トイレに行きたくなり立ち上がってみた。すると、昨日とは違って立ちくらみがほとんど感じられなかった。麻酔を抜いたことによる変化であることは明らかだった。一人でも行けそうだがもう怒られたくないので、念のため看護師を呼んで付き添ってもらった。

 トイレは問題なくできた。その後、看護師と病棟を一周した。大丈夫そうだということで、歩行の許可をもらった。これからはトイレも自販機も自分で行く。デイルームにだって行ける。日中は病室が蒸し暑いので、移動できることが本当に嬉しかった。

11時00分〜

 病棟をなんとなく散歩する。その道中、受付前の体重計を使った。68.5kg。うんちすればもっと減るかな。

12時00分〜

 昼ごはんが来た。米、焼き魚のホッケ、ほうれん草のおひたし、ウインナーとポテトソテー、ドリンクのジョア。

 デイルームの水道水は浄水器付きだから飲み水として飲んでも大丈夫、と確認が取れた。これで自販機代の問題は解消された。早速空いたペットボトルに水を汲みに行く。食後にそこで、コップと箸、歯ブラシを自分で洗った。

13時00分〜

 ベッドでスマホをいじっていたら便意が来た。3日前の朝に出したっきりだったから、やっと来たかと思いつつ、力んだ時に腹に走る痛みに気持ちで備えつつ便座に座った。

 あまり力まなくても排便できたのでほっと胸を撫で下ろした。

 が、確かな残便感があった。

第2ラウンド

 そのまま第2ラウンドに挑むが、これが全く出てくれる気配がない。やめときゃよかったのに、力んだり休んだりを繰り返していたら20分も経っていた。肛門の入口あたりまで運べた気がしたが、もうだいぶ病室のトイレを占有してしまっているので、その状態のままズボンを履いて廊下にある共用トイレに移動した。ここなら思う存分時間をかけられる。

 気持ちに余裕ができたはいいが、ど~しても出てくれない。ティッシュを指に巻いて肛門付近の状態を確認してみると、たしかに便らしき物体があった。指先と肛門から伝わる感覚的に、この後ろにとんでもないやつが控えていることもわかった。これは大事だと思った。7、8年程前だったと記憶しているが、ツチノコかと思えるほど太い奴を出した時のことを思い出した。あれは運良くすんなりと出てくれたが、今は分が悪い。傷と痛みのせいで、思い通りに力めないからだ。

 推測だが、この出難さは水分不足が原因だと思えた。最後に便を出したのは3日前の朝、それから手術日の絶食日を挟み、この時までに病院食を計4回食べているが、その間便意はなかったし、手術当日は朝9時から0時まで水分補給禁止だったし、手術翌日の昨日だって私は最低分の1.5リットルしか水分を飲んでいなかった。その上、尿の頻度は高かった。

 長期戦を覚悟した。これはちょっとやそっとじゃ出そうにない。トイレの中で立ち上がったり屈伸をしたり、床にティッシュを引いて野糞スタイルをとってみるが、膠着状態は続く。肛門から一部だけ露出しているせいで、もう10分以上、肛門は開いた状態のままである。苦しい、厳しい。

 悩んだ末に、強引な方法をとることにした。ウォシュレットの水圧でそのはみ出た便を削ったり溶かしたりして砕きながら出す方法だ。先端部分が細くなり、より柔らかくなれば滑りが良くなってそのぶん出やすくなるかもしれない。しかし実際にやってみると、効果が感じられないので数分ほど試して断念した。

 意を決して指にテッシュを巻いて物理的な方法をとってみる。下半身の前から手を伸ばし、直接指で便を押してみた。するとはみ出ていた部分が落ちて、ぽちゃんと音がした。千切れたのではなく、それで一個の塊だったと思えた。ブツの大きさは掌の上に置いて「バルス」とか言いたくなりそうな小石大。

 しかし肛門は訴える。まだ奥に残ってるぞ、と。それがまたバルスっぽいサイズなのか、ロボット兵クラスの大きさなのか、正体まではわからない。厄介なことに、こいつは肛門の出口付近に居座った上、奥に引っ込んでくれなかった。

第3ラウンド

 スマホの時計をみると、戦闘開始から1時間が経っていた。汗ぐっしょりで体力的にもう限界だった。トイレから出ると看護師がいた。事情を話すと、一旦ベッドに戻って横になるよう指示された。私は肛門の出口に巨大な異物感を残したまま、言われた通りベッドに戻った。

 私の意思とは無関係にヒクつく肛門。その「呼吸」の度に堪え難いテンションが肛門に集約される。この入院生活で一番の苦しみだった。術後直後の痛みとか体中に管を通される不快感とか、そういう次元の問題じゃない。あまりの辛さに何度も「……グハァッ」という感じの声が出た。

 担当看護師はすぐに来てくれた。私はぜぇぜぇ言いながらここまでの経緯を話した。で、とにもかくにもと一旦血圧を計ることになった。座薬は血圧が低い人には使えないらしい。で、血圧は問題なかったので、とりあえず座薬を使うことになった。

 座薬が来るまでの間、「姿勢が楽だから」という理由で私はトイレの方に移動することにした。座っている状態なら肛門の呼吸による苦痛を受けることはない。

 この時も頑張ってみたがやっぱりでない。不安が募る。座薬でなんとかなるのか?と。

 10分ほどして座薬が届いた。自分で入れることにして、トイレの中で指で突っ込んだ。すると、シュワシュワ〜とした感覚が肛門のところで広まった。排便用の座薬が始めてだったので看護師に聞くと、そういうものらしい。その話をした直後、早速強い排便感が来たので急いで座った。しかし、出ない! 溶けた座薬の汁が垂れ出ただけだった。腹にかかるテンションを無視して力んでみる。痛い。くそ痛い。それでも便はでない。

 数分ほど糞闘した後、私は諦めた。

第4ラウンド

 もう一つの選択肢である浣腸をしてもらうことにした。浣腸をする為にまたベッドで横になる。先生が来てもらうまで待たなければならない。呼吸するようにヒクつく肛門が容赦なく体に苦痛を刻み込む。数分ほどして先生が来てくれた。この人がこれまたとても美人でかわいい先生だった。私は全てを委ねて浣腸を受けた。先生は優しく、丁寧にやってくれた。

 私はこれが人生初の浣腸だった。どろっとしたジェルのようなものを肛門に注入された。それが排便感を刺激し、その液体と一緒に便を出してしまう、というものらしい。

 浣腸が終わった後、聞いた通り強い排便感が体を襲った。先生は「肛門の口を力んで閉じて、出すのはできれば数分待ってから」と言ったが、そんな余裕はなく、私はトイレに駆け込んだ。その移動時に肛門からジェルがポタポタと垂れ出てしまった。(あぁ、床を汚してしまった、もうぐちゃぐちゃだ……)と気分がさらに落ち込んだ。肛門に力を入れているつもりだったが、弱かったようだ。いや、力んだつもりで、力が入っていなかったのかもしれない……と、やや混乱しつつ、先生に言われた通り数分は耐えようと便座の前で立ったまま待機するが、汁が流れ出るのをどうしても止められず、この謎の勢いを利用して出すことにした。

 しかし、出なかった。体が予感していた通り、浣腸のジェルがだーっと流れ落ちただけだった。座薬の時と同じだ。絶望しながら残り僅かな排便感を頼りに力んでみる。

 これでもダメなら、さっきのかわいい先生が指で掻き出すらしい。「便」を「摘出」するという意味で、「摘便」(てきべん)という。それだけはご免だ、と思いつつ、祈るような気持ちで排出を試みる。

 そうしたら、バルスの石サイズのものが2個も落ちてくれた。それにより、肛門の出口付近の残便感はほとんどなくなった。とりあえず肛門の呼吸は楽になった。

第5ラウンド

 でもまだ奥の方には残っている。かなりの太さを感じる。早く出したいが、また肛門付近に居座られたら大変なので、私は一旦ベッドに戻った。そして、全てを諦めて摘便を依頼した。もう体力の限界が来ていた。激しいスポーツに相当する汗をかいてしまっている。これ以上は本気で腹の治療に障ると考えた。

 あの先生に指で肛門をほじくられるのか……と心の中で涙しつつベッドの上で待っていると、また排便感が強まって来た。ジェルが少し残っているようだ。

 万一に備えてトイレの便座に移動した。下着やベッドを汚したくないからだ。で、恐る恐る力んでみた。すると、『ぶぴっ』と下品な音を出してジェルが垂れ落ちた。

 その直後……何 か が 肛 門 に 迫 っ て 来 た。

 こいつだ!

 きたぞ!

 私はこれが最終決戦だと確信した。

 ファイナルラウンド

 体感的に、かなりの太さと長さが感じ取れる物体だった。入院生活中の水分補給量を考え、数年前のツチノコサイズを超えるものだと覚悟した。とんでもない奴が出てくる。

 最初は第2ラウンドの時のように、ティッシュを指に巻いて直接便を押し出そうかと思ったが、万一途中で千切れたら面倒なことになる。一本物だから一気に出してしまいたい。

 ここで直感的に思いついたテクニックが「肛門の周囲を指で押す」という方法だ。これが実にいい方法だった。マッサージをするつもりで、肛門の縁や周囲の尻の肉を、指で優しくぐいぐいと押すのだ。肛門周囲の皮膚越しに便の形を感じながら圧力をかける感じで、時には内側、時には外側に指を押し込む。そうしているだけで、肛門の口が広がったり狭くなったりしたのだ。これなら肛門付近のデリケートな皮膚を傷めてしまう不安もない。

 そして、傷口の痛みと相談しながら格闘すること数分……ついにその時が来た。

 ドボンッと、すごい音がした。

 恐る恐る立ち上がった私が見たものは……、木?

 この時なぜか子供の頃に「FINAL FANTASY V」のラスボスを倒してクリアした時の興奮を思い出した。

 正直言って、手術より辛かったし、手術の成功より嬉しかった。

15時30分〜

 ナースコールを押して看護師を呼び、無事に産み落としたことを話す。汗だくなので、体を拭くタオルを所望し、腹のガーゼも取り替えてもらった。服も全てを新しいものに変えたかったが、シャツだけは新しいのがなかった。その後、かわいい先生とも廊下で会えた。無事に出せたことを伝えた。

16時00分〜

 夜に妻が来てシャツを持って来る予定だが、念のため洗濯室に行って使用料金を確認する。洗濯機200円、乾燥機100円。

 ブログ4日目の打ち込み開始。

17時30分〜

 持ち込み食の可否を確認⇒OK

 前かがみで歩いてるせいであちこち筋肉痛になってしまった。バンテリン使いたい⇒OK

 一階のポプリまで買い物。お通じをよくするものがほしかったけど、目ぼしいものはなく、黒ごまのジュースを買った。バナナが欲しかった。

18時00分〜

 第7ラウンドがあった。これはすぐに出せたのだが、日中の戦いで肛門を酷使しすぎた為に、この入院生活で最強の痛みが肛門に走った。肛門付近は長時間の力み、硬い便、何度も接触させたティッシュなどで、ズタズタになっているのだろう。特に力んで肛門がきゅっと締まった瞬間は顔が歪むほどの痛みが生じる。あまりに辛すぎるので、肛門に塗布する軟膏っぽい薬を所望した。

 夕食中に先生が来て退院日程の相談の話をした。週末か週明けと言われたので、週明けを希望した。はじめての手術と入院で不安があるから、長い方を希望した。

 食後は受付の横に貼ってある献立を見て、料理名の答え合わせをするのが日課になった。これがちょっと楽しみ。夕食は米、桜だいこんのムニエル漬物、カジキのムニエル、春雨の和え物だった。

19時00分〜

 デイルームでのんびりする。黒ごまドリンクをゆっくり飲む。

 軟膏座薬を看護師が持って来てくれた。これで肛門は一安心。

 妻が来て着替えを持って来てくれた。明日は休みだから日中に来れるとのこと。今日も雨が降りそうだから、少し話をして帰した。

 ベッドに戻ったら検診が来た。シャワーはダメだけど洗髪だけなら洗髪室でできると教えてもらう。検診の後、早速頭を洗った。サッパリした。

20時00分〜

 やっと1日が終わる。長い一日だった。ベッドの上でごろごろする。

 週明けまで退院したくないなぁ、と思う。

 病室の空調がどうにも合わない。蒸し蒸しするのでデイルームに移動。

 ブログ4日目の打ち込み続き開始。

21時00分〜

 廊下を散歩しようとしたら病室の前で同じ部屋のおじいちゃんに話しかけられた。便意の為に散歩しているがもう三日も出ていないという。それは辛い。まさに今日の私もその状態だった。私が浣腸を受けるやりとりも聞いていたらしく、余計に怖くなったらしい。すまんね。

 自分も浣腸を受けようか悩んでいるが、どうやらお尻の病気の治療後であり、排便自体が怖いという。聞いているだけでも辛かった。なんたって術後の便秘は手術より辛いのだから。おじいちゃんの健闘を祈った。

21時30分〜

 自販機で小さいサイズの水のペットボトルを買った。持ち運びやすいし、2本あれば片方を常に冷やせる。お腹の麻痺はほとんど感じない。麻酔も切れてるだろうけど痛みが増してないのは嬉しい。でもまだ咳もできない。お腹は痛い。

22時00分〜

 消灯。セルフで座薬IN。

23時00分〜

 屁をしただけで肛門がズキズキする。

 入眠。


第14話 入院5日目/シャワー解禁

2018年6月1日

6時30分〜

 4時台に尿意で一度起きたが、それ以外はぐっすり眠れた。

7時00分〜

 検診。

 ブログアップ。

8時00分〜

 朝ごはんは、マス塩焼き、株と人参を煮たもの、減塩梅びしお、キャベツ人参味噌汁。美味しい。質素だけど今の自分には丁度いいと思う。

 食後に回診が来た。今日はまだ取れないだろうと思っていたガーゼは卒業となった(怖い)。まだヘソの部分に赤い肉芽みたいなものが見えているのだが、シャワーも解禁となった(怖い)。

 本当に水に濡らしても痛くないのか、不安である。

 そしてまた退院日の話をした。昨晩は担当の先生から週末か週明けと聞かれたのだが、回診で来た先生は明日か明後日と言う。更にその先生の背後では、怖そうな先生が私の目を真顔でロックオンしながら「明日、明日、明日……」と呟くように小さな声で連呼していた。呪文の詠唱か。早く退院してほしいことは伝わった。

 週明けを希望できる空気は皆無だったので、明後日の日曜日に退院を希望した。明日はまだ怖いし、日曜なら妻が迎えに来れる。

 あと気になっていたことを聞いた。今のへそは整形した状態ではなく、オリジナルのへそをそのまま残したらしい。別に綺麗なへそじゃないから、どうせなら無くすか整形してほしかったな、と思った。

 食後に便意が来た。すんなり出てくれたけど下痢気味な上に肛門が焼けるように熱い、痛い。それでも昨日よりはマシ。軟膏のお陰だろう。

 排便後に体重測る。67.7kg。やっと67kg台だ。嬉しい。

9時00分~

 病院の玄関まで散歩。外に出て日光を受けながら腕をぐいぐいと回す。

 妻からのメールで、限度額適用認定証がまだ届いてないことを知る。また健康保険協会に電話して手続き状況を確認した。そしたら「昨日発送しているので今日か明日には届くのでは」とのこと。念のため病棟の受付にも行って事情を話した。理想は入院中に出してほしいのと、最悪6日までに出してくれれば計算し直せるらしい。それ以降でもできることはできるが、いろいろ手続きをしなければならないんだと。

 デイルームでテレビ見てたら、「今日の担当です」と看護師さんが挨拶に来た。

 シャワーの予約を取る。夜8時。

 その後、今日の出来事打ち込み開始。入院中はいろいろ記事を書くつもりだったけど入院生活を記録するだけで一杯一杯だ。

10時00分~

 昨晩のおじいちゃん退院。明け方に排便できたようで喜んでいた。お別れの挨拶をした。

12時00分〜

 お昼ごはんは、米、麻婆豆腐、焼餃子、浅漬けきゅうり、牛乳。

13時00分〜

 体を拭くタオルを自分の足で洗濯室まで返しに行く。

14時00分〜

 検診。腹の傷口は溶ける糸で内側から縫ってあるらしい。だから抜糸はないんだと。

 ポプリまで散歩する。

15時00分〜

 会社から電話があり、これから支社長がお見舞いを届けに来ることになった。その電話の後、妻が到着。着替えやバナナを受け取る。黒豆茶と野菜スムージーのドリンクも持ってきてくれた。

 妻と昨日の便秘大戦の話をしていると、受付の看護師が入院費と退院に伴う書類を持ってきた。医療費は概算で189,700円。限度額適用認定証を出してくれれば計算し直せるという。その話のついでに県民共済の手続きについても聞き、申請書を提出する為に妻には受付へ行ってもらった。

 妻が部屋から離れている間に支社長が到着。会社からのお見舞いの品とお見舞金を受け取る。そして入院するにあたって出した手紙の内容のことで話しをする。

 今の支社長は私が入院する少し前に交代で着任したばかりで、まだ私の障害のことはおろか、他の隊員のこともよく知らない状態だ。そんな中で、私の障害特徴のことで感情の軋轢が起きたら大変なので、手紙という形で自分のことを伝えておいたのである。支社長からはお礼を言われた。いい話ができたと思う。末永くこの会社で頑張りたいと思った。

17時00分〜

 また懲りずにポプリまで散歩。店内には入るが何も買わずに出る。デイルームで記事を打ち込む。

18時00分〜

 晩御飯。米、さわら味噌漬け焼き、かぼちゃのいとこ煮、小松菜の磯和え。食後に排便。しかし下痢。腹は痛くないので先日の下剤や浣腸の影響、あるいは慣れないペースでの水分補給が原因だと思われる。肛門が熱い。

19時00分〜

 検診。下痢の相談をする。やはり昨日の座薬と浣腸が原因とのこと。しばらくはお腹が緩くなるらしい。水分補給は大めにと言われたが、いま1.5リットル飲んでるならそれでいいとのこと。

 退院日は10時から11時の間に出ればいいらしい。まだ咳をすると腹に響く。

20時00分〜

 シャワーを浴びる。最後の正念場だ。痛みはないはずと言われているが、まだ赤々とした傷口をみると不安が拭えない。

 まず頭を洗うことにし、頭だけにシャワーを当てた。で、腹まで飛び散る水滴を気にしつつ、痛みが生じないかを様子見する。特に痛みはなかった。しかも頭を洗っている間にだいぶ濡れていた。いけるんじゃない? と意を決してシャワーを腹にジョバーっと当てる。するとどうだ、本当に痛くない。結構びっくりした。

 そしてシャワーは無事に終了。4日ぶりにちんちんと肛門をまともに洗えた。幸せ。

 ベッドに戻ってから軟膏を肛門に塗布した。幸せ。

21時00分〜

 お腹の傷口から透明な汁がちょびっと出ていたので、看護師にガーゼを貼ってもらった。滲出液(しんしゅつえき)というらしい。かさぶたを剥がした時とか、回復していく過程で染み出してくるんだと。あーそういえば、術後に患者着がじわっと濡れていたのもこれだ。その時も先生がしんなんとか~と言っていたことを思い出した。

22時00分〜

 消灯。『シュタインズゲート・ゼロ』をニコ動で見る。

0時00分〜

 就寝。

※注※ ガーゼ無しのお腹の写真です。グロいです。


第15話 入院6日目/退院前日

2018年6月2日(土)

6時30分〜

 起床。

7時00分〜

 検診。

 体重計る。67.8kg。

 デイルームで記事アップと今日の打ち込み開始。

8時00分〜

 朝ごはん。米、オムレツ、ほうれん草ソテー、玉ねぎと油揚げの味噌汁、ふりかけ。

 食後、肛門に軟膏を塗布する。

 そしてまた検診。あれ、回診は?

9時00分〜

 受付に回診の有無を聞きに行く。今日は土曜日だからもしかしたらないのかもしれないと思ったら、二度目の検診が回診だったとのこと。先生一人だけだったから検診かと思った。

 明日退院なので今日は日常を意識してみる。ポプリにおやつを買いに行く。ベルギードーナツと黒ごまジュースを買う。昼食後のおやつに取っておく。

 デイルームで記事の打ち込み開始。

10時00分〜

 今日もパズドラ頑張る。シャリテ杯上位18%ランクイン。やっといけた。

12時00分〜

 昼飯。米、チキンカツ、フレンチサラダ、柴漬け、牛乳。

13時00分〜

 記事打ち込み再開。

14時00分〜

 便意が来たのでトイレ、イン。下痢は卒業。ちゃんと形になっていた。肛門の痛みの強さもまた一段弱くなっている。さて流そうと立ち上がってみたら、なんか灰色っぽいものがあった。それは私の便だった。……灰色のウンチ?

 念のため流さずに残したまま看護師さんにみてもらおうかと思ったが、座薬or浣腸or軟膏が原因だと思えたので気にせず流した。でもやっぱり不安が消えなかったので看護師さんに相談することにした。先生を待つ間ベッドで記事打ち込み。

15時00分〜

 先生が来ないのでデイルームに移動する。

 検診を受ける。

 記事アップする。

 シャワー予約する。

16時00分〜

 病院内を散歩。前から気になっていた地下2階へ行く。長い廊下が伸びていて、ドアには資料室や倉庫のプレートがあった。少し進んだがやはり患者用エリアとは思えないので引き返す。

 入院病棟まで戻る。日光が差す大きな窓の前で陽を浴びる。

17時00分〜

 ソフトバンクのテザリングオプション解約。丁度いいタイミングで無料期間が終わってくれる。病院内はWi-Fiが飛んでないのでKindleFireで活用した。まさにこの時の為に加入してたようなもの。

18時00分〜

 晩御飯。米、粕漬けメルルーサ、大根とがんもの煮物、しその実漬け、りんご。

 食後に便意が来たけど出なかった。

19時00分〜

 便灰色の件は、ふと過去にも痔になった時に同じ現象が起きたことを思い出し、ネットで検索してみると同じ症状に驚いて書き込んでいる人がいた。その質問に対する回答はやはり軟膏の影響というものばかり。先生来てくれなかったけど安心できたので不問にした。

 今日も妻が来てくれた。豆乳バナナのジュースとお菓子をもらう。明日の退院に備えてもはや不要と思える日用品を持って帰ってもらうことにしたが、使用済みの着替えくらいで、それも毎日来て持って帰ってくれてるものだったから特に荷物はなかった。

 そのあとリハリビで何周も歩いた病棟の廊下を一緒に歩いて、外の空気を吸いにいった。

 妻が帰ったあとはふと思い立って、県民共済の保険金が振り込まれるまでの期間を調べた。申請から数日ほどで振り込まれるようだ。

20時00分〜

 入院生活最後のシャワー。まだお腹は生々しい状態なのでそっと洗う。

 サッパリしたあとはデイルームで記事打ち込み再開。

21時00分〜

 帰宅した妻からメール。限度額適用認定証がまだ届いていないと言われる。もううんざり。まさか会社に送ってやしないだろうか。明日の朝にまだ協会に電話することに。……って思ったんだけど日曜じゃん。

22時00分〜

 ニコ動でアニメ見る。フルメタ、ヒナまつり、シュタゲゼロ。

25時00分〜

 起きたら退院ということが気になってこんな時間まで眠れず。

 頑張ってお布団を被る。

※注※ 次ページは退院前夜のお腹の写真です。グロいです。


第16話 入院7日目/退院日

2018年6月3日(日) 7時00分〜

 朝7時。看護師に起こされる。「体温計っておいてね」と言われる。その一言を聞きながら、今日は退院日だ、と思う。色々あったけど、あっけなかった。体を起こして体温を計った。

 朝食を待つ間に前日のブログをアップ。

 数時間後には退院だがトイレの尿袋がぱんぱんだったので念のため取り替えてもらう。昨晩の内に言っておけばよかった。

 そのあと体の状態をチェックしてみた。筋肉痛はバンテリンのお陰で昨日よりマシ。手足、首、頭、各関節、特に異常なし。ヘソの状態は、昨日よりはなんとなく傷口付近の赤みが肌色に戻って来ている気がする。かさぶたも昨日より硬い気がする。傷口周囲なら指で押しても痛くないけど、傷口の上を直接押すとまだちょっと痛い。それでもただの怪我レベルの痛み。尿膜管が伸びていたと思えるヘソのちょい下あたりは、指で押すと筋肉痛に似た刺激が走った。日常生活はいける。でも運動はまだできそうにないことが感覚的にわかる。

8時00分〜

 8時、朝食。最後の病院食。米、イワシの煮つけ、きんぴらごぼう、味付け海苔、小松菜みそ汁。完食。食後はぶらぶら歩く。廊下で会った看護師さんから、帰る前に忘れ物点検するからナースコールで呼んでと言われる。あと、退院手続きなどは特になく、点検が終わったらそのまま帰って良いとのこと。

 その後、病棟の廊下を2周して病院の玄関まで行って日を浴びた。戻る時にポプリで黒ゴマドリンクを買う。落ち着いてから帰り支度を始めた。

9時30分〜

 9時半ちょいすぎに妻が来たので荷物の整理を手伝ってもらう。あとは帰るだけとなった状態でナースコールを押す。数分後に来てくれた看護師さんがベッドの周りや棚の中を確認。オッケーが出たので帰る。

 病棟のナースステーションでお礼を行ってからエレベーターで一階へ。一階の受付では、限度額適用認定証が未だ届いてないことと、今後の手続きの流れを改めて確認した。既に自宅宛に配送手配されていることはわかっているので、月曜か火曜には持ってこれると話した。とにかく、届き次第持ってきてくれればいいようだ。

 そして病院玄関を出た。9時55分か10時丁度くらいだったと思う。

10時00分〜

 やっと外だ~!とか、太陽気持ちいい~!とか、そういう感情は別段湧かなかった。入院後半は日光を浴びる為に何度も玄関まで来ていたせいだと思う。

 街の喧騒音や駅のごった返しの中を歩くことをちょっとだけ楽しみに思いながら、妻と駅に向かってゆっくりと歩いた。

 退院祝いは、昼に寿司、夜はステーキにした。


尿膜管遺残症等病気—8ヶ月間の憂鬱 第4章「退院~完治まで」
第4章 退院~完治まで(2018年6月3日~)  第4章は退院後から完治までのお話です。退院後も完治の診断が下りるまでは安静に過ごす必要があります。 第17話 手術したのにへそ炎が治らない! 2018年6月3日(日)  退院日。  帰宅した...
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