重要なお知らせ「改訂版への更新のお願い」

2022/6/30 記

 本お知らせは、拙著の一部のKindle書籍をある一定の期間内にご利用された読者の皆様へお伝えする内容です。拙著をご購入された方、KindleUnlimitedでご利用されている方は、必ずお読みいただきますよう、お願い申し上げます。

 出版登録済みの原稿データをチェック中に、品質上の問題が発覚しました。現在、販売中のデータは改訂版に差し替え済みですが、出版から今回の改訂に至るまでの期間中に、「Kindle本をご購入・KindleUnlimitedのご利用をされた方」は、改訂版への更新が必要となります。

 通常、このような場合はアカウント内「コンテンツと端末の管理」画面から改訂版への更新が可能となりますが、今回の更新については、ご購入された読者さまご自身で改訂版への更新をしていただくことになりました。

 読者の皆様へは誠にお手数をおかけしますが、何卒ご協力のほど宜しくお願い申し上げます。なお、今回発覚した品質上の問題により、内容の通読に障りがあったり、おつかいの端末などにダメージを与えるといった恐れは全くありませんので、その点はご安心ください。

 

改訂版への操作が必要となるKindle本(計2冊)

『発達障害考察本2: 心理校閲 Kindle版』
 >https://www.amazon.co.jp/dp/B0855RHD29
※対応が必要となる版:「奥付」内の「改訂情報」に1版〜3版までしかない書籍をお持ちの方です。発売日の2020年4月1から、2022年4月13日頃までにご購入・KindleUnlimitedに利用登録された方が対象となります。


『発達障害考察本1.5: 発達障害克服をかけた放浪旅 Kindle版』
>https://www.amazon.co.jp/dp/B08RHFH71H
※対応が必要となる版:「奥付」内の「改訂情報」に1版までしかない書籍をお持ちの方です。発売日の2021年4月1から、2022年4月17日頃までにご購入・KindleUnlimitedに利用登録された方が対象となります。


改訂版への更新方法

※以下の手順はAmazonサポートより教えていただいた内容です。

  1. デジタルサービス&デバイスサポート(>http://www.amazon.co.jp/kindlesupport) ページを開きます。
  2. ページ左側の、「こちらで解決」にある、「カスタマーサービスに連絡」をクリックします。
  3. 「今すぐチャットをはじめる」ボタンの下にある、「Amazon.co.jp からお電話いたします」をクリックします。
  4. 「お問い合わせの種類を選択してください」で、「デジタルコンテンツ – Kindle本、プライムビデオ、音楽など」を選択します。
  5. 「お問い合わせ内容を選択してください」で、お問い合わせ内容の一覧から「Kindle 電子書籍」を選択します。
  6. 「詳細内容」の一覧から、「Kindle コンテンツの問題」を、「さらに詳細を選択してください」の一覧から「Kindle 本のダウンロードの問題」を選択します。
  7. 「お問い合わせ方法を選択してください」で、「電話」ボタンをクリックします。
  8.  「カスタマーサービスに連絡する」でお客様の電話番号を入力し、「今すぐ電話がほしい」ボタンをクリックします。

 お問い合わせされる際には、以下の点をお伝えください。

・本を購入、またはKindle Unlimited で利用していること
・ご要望内容(例:改訂版の送信を希望していること)

あとがき — 「壁」と「選択」

 放浪旅前の一人暮らしをしていた頃、精神状態のやばさがピークになった時のことを誰に教わったわけでもなく「ビックウェーブ」と言っていた。

 実際、大きな波に自分の意識がさらわれるような感じになるし、時間が経てば鎮まるところも現実の津波に似ていると思う。精神薬を服用していた職場の同僚も、同じようにやばい時のことを「ビックウェーブ」と呼んでいた。

 

 私は発達障害考察の中で、意識のコンディションを津波や砂浜の状態に置き換えることがあった。「普通の人は〝静かな砂浜〟で、自分みたいな奴は〝津波でぐちゃぐちゃになった砂浜〟だなぁ」という感じである。

 そうイメージすることがあったというだけで、考察上重宝していたわけではないが、2011年3月に起きた東日本大震災の災害報道を観ている内にその認識は変わっていった。

 津波でぐちゃぐちゃに破壊された街。

 浸水した家々。

 その状態からの復興。

 まるで、自分の人生のようだった。

 特に浸水した街とそこで生活する被災者たちの様子は、私に新しいイメージを持たせた。街が浸水すると社会機能が麻痺してしまう。それは当事者が陥る「社会性の麻痺」そのものだった。

 こうして、私の考察の中に「海辺モデル」ができあがった。以降、発達障害考察の中でこのモデルを取り出し、最終的に「静寂・津波・浸水」の3点に絞って形にした。

 

 「意識」という広い範囲でみれば脳も自分を構成する一部には違いないが、「自分」という視点から見れば脳は「他人」に等しい存在である。

 当事者が注目するべきは、その他人に意識の主導権を奪われている「浸水」状態だ。浸水は社会性の麻痺を伴う為、この境遇のまま長期活動すると、暴力的で感情的な人格意識が形成されやすい。これが、当事者たちが悪徳業者や反社会勢力と同様の手段を用いたり、犯罪に走ったり、自傷や自殺をする要因だと私は考える。

 現実の津波に対して人間が無力であるように、自分も脳の影響には抗えない。

 この現実に気がついた時、私には大きな壁が見えたのだ。


 

 人とは何か。それは言葉である。あらゆる学問が示す解答はその事実を示している。人は神と同じで、言葉の中にしか存在できない。

 私とは何か。それは渚である。海と社会の境目で引いては寄せる波形の連鎖を、私たちは「自分」と認識している。

 脳とは何か。それは海である。私の社会性を破壊する津波もそこからやってくる。ゆえに海は私ではない。津波は私ではない。

 脳は他人である。それは人ではない。そいつらは私に成りすますことがある。他人には言葉の壁が、架け橋に見えている。

『こいつらを封じ込めるものが必要だ』
 そう思った時、壁だと思っていたものが途方もない棺であることに気がついた。
 私の発達障害考察はそれがただの輪郭であることを教えてくれた。

 平穏と現実は共存できない。どちらかを選ぶ必要がある。
 私はただ、選択しながら生きていきたい。

 


   言壁の棺TOP   

考察し、「普通」を見抜く

 自分は普通とは違う。当事者の誰もが想うことだろう。しかし、自分が思い描く「普通像」とは、本当に普通と言えるものだろうか。

 転職の末に流れ着いた警備士の職場で、私の「普通」の基準は大きく塗り替えられた。

   ◇ ◇

 警備業にはいろんな種類があり、私は「第二号警備業務」の「雑踏警備業務」に属していた。工事現場や駐車場、道路上、イベント会場など、そういう雑踏が主な職場だった。

 工事現場の世界では、ぱっと見は子供でもできそうな簡単な業務でさえ資格で管理されている。例えばクレーンで資材を吊り上げる際、フックをロープにひっかけるだけでも資格が必要となる。講習を受けたり試験に合格するなどして、「その作業を安全に遂行する為に必要な能力を備えている証」を有している人しかしてはいけないのである。

   ◇ ◇

 転職を繰り返していた20代の頃、求職時の私はいつもデスクワークか接客業を選んでいた。パソコンはできたし、接客は家業の手伝いで慣れていた。

 肉体労働系の仕事はなにかと粗暴そうで、自分には絶対に合わないと思っていた。

 人間関係云々という点では、当時の自分の社会性を考慮すれば当たっていたと思う。しかし、業務の習得や相性という点で言えば、むしろ自分には合っていたんだと今は考えている。

    ◇ ◇

 デスクワークの世界はなんでもやらされた。業務の多くは一度教えるか、教わらなくてもできて当たり前で、できないことがおかしいとされた。
 毎年数えきれない人が心身を壊して病院へ行くが、それは社会の日常とされている。
 普通の工事現場ではそんなこと起こらない。なぜなら業務が資格で管理され、ちゃんとできるとわかっている人にしかやらせないからだ。
 それは20代の頃の私が労働環境に求めていたことだった。

 複数の業者が関わるから、お互いが正しい業務をしているかを監視し合うし、現場を乱したり危険を招く者は「出禁」になる。災害が起きれば原因を究明し、二度と同じことが起きないよう同業他社含めて全国規模で共有される。

 労働環境としてどちらが「普通」で「異常」なのかは言うまでもないだろう。

   ◇ ◇

 一説によると、日本におけるオフィスワークの歴史はまだ100年程度らしい。歴史に疎い私でも、工事の歴史に比べれば浅すぎることはわかる。その業務は誰にでもできるのか、その業務に危険はないのか、まだなんにもわかっていないということだ。

 それなのに当事者も含めて大多数が「オフィスワーク」で働けることを「普通の人の証」だと思っているのだ。

 私も数年前はよく当事者会に参加していた。そこで会う人たちと職業の話をすれば、皆がデスクワークや接客業だと話していた。当事者会で肉体労働をしている人に会ったことはなかった

 つまりは当事者の多くが、「自分にはできない仕事」に就いており、その上で「障害者として生きている」ということになる。

 私はその実態に気づいた時、疑問を持たざるを得なかった。「彼らは本当に障害者として生きるべきなのだろうか?」と。

 肉体労働に就いていれば適応できた人間が、自分にはできないオフィスワークに就いて障害者として生きているとしたら、そこに疑問を感じることはおかしいだろうか。

 私自身、もし初めから警備の仕事に就いていたら、発達障害のことなんて気にしないまま生きていたかもしれないと思うのだ。



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