自分の異常性問題に集中する為に勉学を放棄した

 普通の人になる為の取り組みを心掛けてからしばらくして、これは日常を全て捧げなければならないほど大変なことであり、 勉強どころではないと思うようになりました。

 私の小学生の頃の通信簿は三段階評価でほぼオール1。「2」が2~3個で他は「1」です。一度だけ、小学四年生の時に図工で「3」をもらったことがあります。中学生になってから気が付いたことですが、勉強以前に教科書の文章を行を追って読むことが上手くできていなかったんです。テストの点数も散々でした。

 例えば算数の問題で「たかしくんはりんごを2個、みかんを3個買いました。合わせていくつでしょう」と書かれていても、目に入るのは「2」と「3」の数字だけで、それが足し算なのか、引き算なのかはその時の勘で答えていたのです。「合わせていくつでしょう」の部分がわからないのです。国語のテストも、登場人物の気持ちを答える類の問題は、まず物語の文章や問題文が理解できていないので答えられませんでした。ひらがなで書かれた例文に漢字を当てる問題は記憶力で答えられました。そこに加えて授業中の私語や徘徊、教科書への落書き。1がつけられて当たり前です。通信簿の先生からの言葉の欄にはいつも「落ち着きがない・授業中静かにできない」などの指摘が書かれていました。

 中学生になってからは、テストの点数は平均には届かないものの、通信簿は5段階評価で3~4がもらえていました。真面目に授業を受けて、徹夜で勉強した成果だと思っていました。私が徹夜で勉強していることを先生は知らないので、関係ないことなんですけどね。テストの回答内容に勉強した痕跡がみられることと、授業態度からの評価でしょう。

 それでも私は、どれだけ勉強ができる人でも、人とコミュニケーションができない人はこの社会では生きていけないという確信がありました。社会のことはよくわからないけど、それだけはわかりました。

 だから学校の勉学は放棄することにしました。これは当時の精一杯だったというだけで、ベストな方法ではないと思います。でも 勉強というストレスを減らしたことにより、自分の異常性問題とより集中して向き合うことができました。もし勉強まで継続していたら、どちらも中途半端になっていたと思います。

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 勉強のことでもう1つ話をします。勉学を放棄するまでの私は、学研の「まなぶくん」という学習用コンピューターを使って勉強をしていました。小学生の頃から勉強を放棄するまでの間のことです。

 当時コマーシャルで流れていた学研の「まだかな まだかな~♪ 学研のおばちゃんまだかな~♪」の科学の雑誌を購読していたのですが、裏表紙の広告に面白そうなゲームと勉強が一体になったパソコンが載っていて、親に頼み込んで買ってもらったのです。両親は共働きで私の勉強を見てやれないことに負い目もあったのでしょう。当時かなり高額だったと思いますがわりとすんなり買ってくれました。

 私が勉強できないまま育ってしまった原因を考察する上で、このまなぶくんの責任を外すことはできません。画面に表示される問題文にはいくつかのパターンがありますが、所詮は数パターンです。何度もやっている内に問題文の先頭を見ただけで否応なしに答えがわかるようになり、『幽遊白書』の「ポロロッカ」みたいなことができるようになってしまったんです。(←知らない人は『幽遊白書』単行本15巻の135話を読んでね!)

 考えなくても記憶だけで正解が入力でき、画面に神々しく表示される100点。当時の私の脳が「よし、今日も勉強をした」と認識するようになるまで、そう長い期間はかかりませんでした。

 塾にも通っていましたが、問題を読んでも、聞いても、私には答えがわかりませんでした。普通は「わからない」と思う前に「考えて解く」があるわけですが、私にはその工程がなかったんです。だから先生になにを言われても「1・・・、あ、いや、5!」とか、思い付きの答えを言うばかりでした。先生はその時に、問題の解き方を教えてくれるわけですが、私にはそれがなんの話なのかがわからず、先生の話が終わってから、また思いついた答えを繰り返すばかりでした。

 まなぶくんで勉強ができるようになった人もいるとは思いますが、私にはこのような結果を招きました。今だから思うのですが、なんにも理解していないのにキーパネルで入力した内容が正解であれば、「〇」や「100点」がもらえる設計は、ドラッグ的な効果があったと思います。勉強以前に、問題の文章を読んで内容を考えて解く感覚が身についていない子が使うのは駄目ですね。

 学校のテストも同じです。わからなくても勘で書いた答えが合っていれば「〇」がもらえます。私はずっと、「わかりません」という選択項目がほしかった。

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