自分を振り返る為に、ネット上で日記をつけた

 自分の言動を振り返る習慣をもっと増やそうと思い、ネットゲームの取り組みと並行して、ネット上で日記をつけ始めました。その日一日に起きたことや、思ったことなどすべてを書き記す日記です。

 自分のことやありえない日常を晒すことで、考え方のおかしなところを誰かが指摘してくれたり、同じ境遇にいる人と繋がれて情報交換できることを期待していました。夜寝る前から書き始め、書き終えるのが深夜になることもありました。 2008年の放浪旅に出るまで、どうしても時間が取れなかった時以外、5年間ほぼ毎日書き続けました。

 でも誰からも反応がありませんでした。他所の掲示板で宣伝したり自作自演をしてまで誰かに読んでもらおうとしましたが、一瞬だけ数人のアクセスはあっても、継続して読んでくれる読者は増えませんでした。

  反応がなかったことで、自分の人生は誰も興味を持たない、他人からは価値のない人生であることを学べました。それは普通の人を目指していた私にとって重要なことでした。

 この時もし自分の発信が話題になっていたら、ただ生きづらさを語っただけなのに誰かの為になる良いことをしたと思い込む、キラキラした人になっていたかもしれません。

 この体験があったからこそ、考察ブログの改善法はぬか喜びにならないレベルまで突き詰めてから掲載するよう心掛けて書きました。フィーリングでわかった風に思わせるのではなく、理解者や友好的な人だけが認められるものでもない。デバッグの動作確認のように、「なんのために」「なにをすればいいか」「どのような結果が得られるか」を明確にして、第三者の客観的視点からみて「できている」と、共通の認識が得られる内容です。

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 昨今、発達障害や精神障害者の当事者エピソードにスポットが当たり、生きづらい界隈の話題をさらうことがありますが、どの話題も生きづらさの解消には通じず、読んだ人の時間を浪費させるものばかりです。

 一時、発達障害界隈でもライフハックが流行りましたが、根本からの改善法を基準に考えている私から見れば言及深度が浅い上、テレビを叩いて直すレベルのものばかりです。それを提唱した人の活動範囲や、共感できた人同士の範囲でしか価値がありません。

 人を集められる人が発信したことにより、無形の価値が付与されてしまう一過性の現象であり、世間感覚で言ってそれは教組と信者の関係です。この当事者が最も距離を置くべきネットワークでしょう。教祖を生むのはいつの時代も信者なのです。

 そのような不特定多数が注目したり感情的な共感が持続的に集まる言葉には、その誘引力を利用したがる 反社や悪徳商法の手が必ず伸びていきます。

 私は警備の仕事の関係で、暴力団や悪徳商法 の手口や不当要求について学んでいますが、ある時の講習で、今の反社会勢力はNPOや一般業など表向きは健全な活動を装うようになっていると教わりました。つまり一般社会に浸透している、私たちが当たり前のように認識している経済活動の中には、既に不当な手口が潜んでいるということです。組織のことではなく、手口のことです。

 現実に、メディアで話題になる著名人の活動にも詐欺の手口を連想させるものが増えていますし、炎上商法でフォロワーを増やした有害アカウントを企業が商業デビューさせたことにより、そのSNSの発信に事業性が付与されてしまうケースまで起きています。

 この障害の当事者はその生きづらさから、なにかと真面目に向き合ってしまう為に騙されやすく、騙す側もこの当事者で、搾取の手口と同様の手法を無自覚に行っているケースがあります。発達障害者は平常時の自我と、それとは別に頭に浮かんだことの間に線を引いて思考することが苦手ですから、一時の感情も含め、頭に浮かんだこと全てが自我になるといっても過言ではありません。ですから簡単に羽目を外しますし、外部の情報の影響を受け、普段の自分とは違う基準による意思の決定をしてしまいやすいのです。善悪の判別すらも周囲に流されてしまいます。

 リアルでは発達障害の生きづらさに苦しみ、ネットでは反社や悪徳商法も同然のことをしている発達有名人を応援している。悲惨すぎて目も当てられません。

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